進藤三左衛門正次の節義・別バージョン

2014年09月16日 18:52

794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/15(月) 23:39:17.67 ID:y4jijLvH
宇喜多黄門秀家は関ヶ原の決戦に負けて後、伊吹山へ逃げ入った。この時付き従ったのは、家臣の
進藤三左衛門正次と言う者ただ一人であった。

正次は秀家にこう申し上げた
「日頃、君が御身に付けられし鳥飼国次の脇差は衆人の知るところです。
これを私に賜れば、私は徳川殿の元に参りこれを謀りたいと考えています。
御身はこの地を逃れ、薩摩方に下ってください。」

そう勧めて、正次はその脇差を持って本多忠勝の陣へと参り、
「私は主人の秀家を手に掛けその死骸を深く埋め、差料の鳥飼国次の脇差しを
持参しました。」

忠勝は「なにゆえ検使を受けずして、密かに死骸を埋めたのか?」と問うと、

「厚恩の主でありますから、例え我が手にかけるといえども、どうしてその首級を
敵に渡し、梟木にかけることが出来るでしょうか?
この脇差は、秀家が常に愛して身から離さなかったことは、内府公(家康)にご存知のはずです。
これを御覧にお入れください。」

忠勝がこれを家康の御覧に入れると
「たしかにこれは本物の秀家の脇差である。彼も秀家を害さなければ、よもや当家に降ることはないだろう。」
そう言って進藤正次を御家人に召抱えた。
しかしその頃の人々これに、「主人を害して己が功にするとは、後にはいかなる御誅伐に遭うか図りがたし。」と
囁き合った。

さて、秀家は虎口を逃れ、かろうじて薩摩へと逃れたが、後にそれが発覚し、薩摩へと仰せ言が下り
秀家は召喚された。そして進藤正次の前言との齟齬も究明された。

正次はこれに
「いかにも、はじめは秀家を逃すために偽りを申し上げました。主人のためにこの身を失うことは
元より期しております。この上はいかなる重罪にも処し給われ。」

この事家康も聴き
「己が一命を捨てて主人を救おうというのは、天晴忠義の者ではないか。」
そう賞賛して俸禄をそのまま与えた。

秀家が八丈島へと遠流された後も、正次は旧恩を忘れず、しばしば船舶の便に米金を送っているということも、
後にまた家康の耳に入り、御感に預かり五百石が加増された。

(武家閑談)

進藤三左衛門正次の節義
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8615.html
これの別パターンですね




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まさにいい話だ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    やはり秀家には不思議と人に好かれる人柄だったみたいですね。家中は乱れたけど・・・。
    一体彼の何が惹かれる部分だったのだろう。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    宇喜多で乱れたのは家中じゃなくて従属国人との関係じゃないかな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    家中で問題ないと思いますよ。一応根拠になるのが(逸話も含められちゃうけど)
    秀家と譜代家臣達(特に重臣達)との間の不和ですから。
    改宗や一部家臣達の専横とかね。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    そういや九度山いったらファミマとローソンがあった
    八丈島いったらコンビニなかった

    真田と宇喜多の差はなんだろう
    真田の方が嫌われ&危険だろうに

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