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皆朱の槍

2014年09月23日 18:23

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/22(月) 20:03:52.66 ID:fLwZXY1g
慶長10年4月、徳川家康は征夷大将軍の職を嫡子秀忠へ譲り、秀忠は江戸にあり、家康は駿府の古城を
修理して居城とし、”大御所”と称した。

その頃、朱や玳瑁(タイマイ)の柄の槍は、殊更武功の有る者でなければ持ってはならないとの仰せがあった。

さて、この駿府城の修理を担当した諸大名の内、細川越中守忠興の持ち場に、皆朱の槍を持ち、菖蒲革の
立付を履いて、下使30人ばかりを召し連れて指揮する者があった。目付のものがこれを見咎め、
その名を問うたところ「細川家中、澤村大学なり!」と答えた。

その事が報告されると、家康は

「澤村…、ああ、その澤村は若き頃は才八と言った男だ。
あれは小牧の合戦の時だ。太閤は二重堀に砦を構え、数多の人数を籠め置いていた。

私が長久手の戦に撃ち勝ったので、太閤も二重堀の砦を保つことは出来ないと退こうとしたが、
もし私が小牧より追い打ちをかけてこないかと恐れ、自ら数万の兵を率いて青塚というところに備え、
二重堀の砦を明けて引き退いていたのを、織田信雄が追い打ちを仕掛け、彼は敗北してしまった。

この時信雄と戦ったのは、殿を担当していた細川越中であったが、その澤村が一番に、信雄の軍に対し
槍を合わせたのを、私は目の当たりに見及んだ。

あのような剛勇の者にこそ、皆朱・玳瑁の槍を持たせるために、並々の者には禁ずるべしと命じたのだ。」

この家康の言葉に、澤村大学は面目を施し、有り難さのあまり感泣したという。

(天元実記)



859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/22(月) 20:25:27.64 ID:tcxUFePh
相変わらずすごい記憶力だ
権現様記憶違いという逸話は無いのだろうか?

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    相変わらず狂気じみた記憶力だな…
    澤村大学は細川家中の大身だし、奥州仕置で一緒に戦ってそうだけど、
    それでも大企業の会長が子会社の部長クラスを覚えてたようなもんだしなぁ…

    てかこの人って細川家中の序列だと上に上席家老3人しかいないクラスの重臣で
    恐らく細川家の工事責任者なのにその人の武功を覚えていない目付ってどうなの?

  2. 人間七七四年 | URL | sSHoJftA

    石田三成も気違いじみた記憶能力があったと言うけどどこで差がついたのだろう。(諸外国だと、ナポレオン三世がやはり気違いじみた記憶能力で部下を掌握したと聞くが)

  3. 人間七七四年 | URL | -

    武功帳とかあったのかなあ(´・ω・`)<あっても自家用か

  4. 人間七七四年 | URL | -

    そしていつものように殿を攻めてるのに撃退される常真様・・・なんというオチ要員なのか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    目付がどの程度の格式の士分が務めてるか分かったもんじゃないし。権現様が特別なわけで家臣一同他家の重臣クラスどれほど覚えてるものか。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    三成に関してはこんな逸話があるから…
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3369.html
    学者とかによくいる、仕事の知識についてはびっくりするくらい覚えてるのに人の名前とかは覚えられないタイプじゃなかろうか

    しかし家康が天下を取れた理由の一つはこの記憶力にあったのかなと思う
    忘れられててもしょうがないなと思ってた人に覚えてもらってたら嬉しいもんな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    記憶が誤変換されているケースはちらほらあるな
    まあ、それでも記憶力すごいことに違いないが

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >菖蒲革の立付を履いて、

    後の勝負パンツである

  9. 人間七七四年 | URL | JalddpaA

    さながら人間wikipedia

  10. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    ※5
    いや、別にただの旗本が知らんかったならああ、そうなのかって話だけど、
    目付は武士の取締が職分なわけで、細川家中の武士が問題起こしたら取締の上で
    協議する可能性の高いのに、そこの最高責任者がどういう人物か知らないのは
    職務上問題でしょって話。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    そう言えば、権現様はこの通り凄い記憶力の逸話は沢山在るけど、それを駆使して
    他家の家臣を工場長の様に無闇やたらと欲しがる逸話も聞かないですね。
    (結果的に何らかの理由で徳川家に仕官した例は幾つか在るけど)

  12. 人間七七四年 | URL | -

    そりゃぁ…ねぇ…(古参の家臣をチラ見しながら)

  13. 人間七七四年 | URL | -

    家康「記憶に残るよう絵を描かせるとよいぞ」
    正信「味噌とかね」
    家康「!」

  14. 人間七七四年 | URL | -

    現代だと田中角栄がこのタイプで有名やったですね

  15. ゆとりある名無し | URL | -

    帝王学の基本なんだろうけど、子供の頃から心がけてないと難しいよなぁ

  16. 人間七七四年 | URL | -

    角栄さんは忘れたら名前を聞いて下の名前を聞いたフリをするとかなんとか(´・ω・`)

  17. 人間七七四年 | URL | -

    林羅山「そのワリには自分の子供時代の記憶は怪しくぁwせdrftgyふじこlp」

  18. 人間七七四年 | URL | -

    某孕石氏「少しくらい忘れてもいいのに…」

  19. 人間七七四年 | URL | -

    孕石のケースこそ、ひとんちに勝手に上がって暴れて怒られているのを嫌がらせされたと脳内変換した悪いケースぞゃねえかw

  20. 人間七七四年 | URL | -

    「権現様スゲー!」と言いたいがための
    後世の創作逸話だと思うな。
    凡人より少しは記憶力がよかったかもしれないが
    一から百まであれもこれも
    全て覚えていたとは思えない。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    全部が全部創作ってのは無いな。

    まあ天下人に覚えて貰ってる事自体が名誉になるから
    そういうのが多少は積み増しされてる可能性はあるけど

  22. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ「権現さまに忘れられた!」より「覚えて貰ってた!」の方が後世に残りやすいだろうし

  23. 人間七七四年 | URL | -

    家康はこういう人物だからこそ天下をとれたのかもね
    上から下の者の事まできっちり覚えてて…良くも悪くも
    (例・孕石)

  24. 人間七七四年 | URL | O9qxAzf.

    作り話にしては具体的過ぎると思う

  25. 名無しの日本人 | URL | -

    作った話だとしても家康本人が覚えていなくてもそばに居たものが
    「あれはこのような者です」と説明したのを「おお、それならば皆朱の槍もおkだね」
    と言ったみたいな話をちょっと捻じ曲げてやればこうなるんではないかと。
    当然、言われた方も「俺の事、権現様知ってたんだぜ」と言えば
    ただ単に認められたとするよりさらに箔が付くと言うもので。

  26. 人間七七四年 | URL | -

    けど、「こんな話があったけど、実はこんな話だった」てより
    「こんな話があって、あの人はすごかった、だから結果出せたのかもね」
    の解釈の方がみんな幸せになれる
    日本人ならそのように受け取るべき。

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