FC2ブログ

小早川隆景の宮島渡海

2014年10月09日 18:52

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/09(木) 13:23:18.72 ID:m0ZnlYZL
小早川隆景の宮島渡海

弘治元年(1555年)9月30日、毛利元就はこの日の夜に宮島へ渡海し、翌10月1日卯の刻(午前6時ころ)
一戦と定め、「諸軍士ことごとく元就の本陣へ馳せ来たれ」と、触れを出した。
その夜は突然の暴風雨にみまわれ、水夫も将士も船を出すのを躊躇う所であったが、元就はこれを
周の武王の殷討伐、源義経の屋島攻めをに準え(どちらも大風・雷雨の中敵を撃破している)兵を鼓舞。
悪天候の中見事に宮島へ渡海を果たす。

この時の元就3男、小早川隆景の宮島渡海の様子はまとめに既出のこの話

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3987.html

で、そのまま宮尾城に居残った説と、もう一つのエピソードが菊池寛の厳島合戦、また地元の話に伝わっている。

それによると、小早川隆景は熊谷信直の部下を従え、厳島神社の大鳥居の方面から敵軍の船の真っ只中を
正面から進み、敵軍に見咎められると

( ゚Д゚)「誰だ!?」
( ´∀`)「これは筑前の宗像秋月の船で、御味方にまいったものです。」
( ゚Д゚)「よし、通れ!」
(*´∀`)「ちょっと通りますね。」

と、そのまま敵の本陣がある塔の岡に上陸するとその塔の岡の坂下に陣を敷き、翌朝の元就率いる第一軍
と、毛利方の宮尾城に篭る兵と陶軍を挟撃する第二軍を率いる用意をしたという。



25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/10(金) 08:09:17.28 ID:U100Efv5
合い言葉はどうしたんだw

26 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/10/10(金) 10:24:27.83 ID:HogXw4s9
>>25
陰徳太平記では出兵前に元就が自軍の合言葉と併せて陶軍の合言葉を集まった将士に伝えてる記述がある
ただし、陰徳太平記では隆景渡海の逸話は載ってなかったと思う。
暴風雨の中だったってんだから、兵が面倒くさがったか油断してたんかもね


スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    ここまで話作れるっちゅーのもすごいな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    本姓大江氏は中原氏と並んで学者の二大巨頭の家系だし
    「吾妻鏡」の長門本とか持ってる家だからね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    こうやって逸話を逸話として楽しめるのも、日々研究者さん達が努力してくれるお陰ですね。
    一昔前は、逸話と史実がごっちゃになっても有名ならそれが歴史扱いだったのも、段々と
    是正され始めているのは良い事ですね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    同意だな
    どうしてこういう内容に作られたのか、っつー上等な楽しみ方ができる

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/8828-17dc6858
この記事へのトラックバック