524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/13(月) 19:29:03.19 ID:PNmC/KAZ
武田信玄家臣・南部下野殿(宗秀)が改易されたのは、信玄公28歳の時であった。
山本勘助という大剛のつわものは、武道の手柄ばかりではなく、兵法の上手であり、
ある時、信州諏訪においてこの南部殿の家臣、石井藤三郎という者を南部殿が成敗しようとして失敗し、
石井は斬り合いをしながら逃亡した。
その頃、山本勘助はたまたまその近所の家に滞在していたのだが、その座敷に石井が刀を抜いたまま
入り込んできた。これに勘助は刀を取らず、そばにあった棒を取るとこれに向かい合い、石井が
斬りかかってきたのを受けて組ころばし、縄をかけて南部殿へと引き渡した。
この時、勘助は3ヶ所ほど少しばかり負傷した。それは負傷というほどのものではなく、30日ほどで
疵も消えたほど軽いものだった。そもそもこの山本勘助は戦場での武辺の時も、罪人を放し討ちする時も
数度にわたって少しずつ負傷し、86ヶ所の疵があった。
ところがこの時勘助が負傷したのを、南部殿は悪しざまに言い立てた。
この南部下野殿は武田家において甘利備前、板垣駿河、小山田備中、飯富兵部少輔の四人の衆に
続く人で、少しは武辺の覚えがあるのだが、心変わりしやすく常に無穿鑿なことばかり言い、
遠慮もなく明け暮れに過言を言い、嘘をついた。無分別な人でこの山本勘助を憎み、
国郡を持たぬのに城取り、陣取りを行う実力の持ち主で、また外科医者も深い傷ではないというのに
「兵法使いのくせに手を負うとは!」
などと言って、山本勘助に尽く悪口を言っていた。
この事を目付衆、横目衆が信玄に報告し、長坂長閑、石黒豊後、五味新右衛門を使いとして
書面を以って南部下野殿に仰せ付けた。
その内容は、山本勘助という大剛のつわものへの悪口の事を穿鑿するものであった。
『一、山本勘助が小身者であるから彼の城取り、陣取りのやり方も正しいものではない、と言っていた
件であるが、これは物を知らい言い様である。昔唐国は周の文王が崇敬していた太公望は
大身ではなかったではないか。
一、兵法使いのくせに手を負ったなどと申すのは、一層武士道不案内である。兵法とは
負傷しないということではない。負傷しても相手を仕留めるのが本物の兵法である。
殊更、その方の被官である石井藤三郎が白刃を構えていた所に棒で立ち向かい組み倒したというのは
勘助がたとえそこで死んだとしても、その屍の上にまで誉れがあるというのに、嫉むとは
無穿鑿なる事である。
一、其方南部は、手柄が実は家中の者である笠井と春日両人が仕ったものであるのに、自分の手柄のように
申していたと聞き及んでいる。
この三ヶ条の罪を以って成敗してしまおうと考えたが、それでは山本勘助も定めて迷惑に思うであろうから、
ここは勘助に免じて命を助けるので、遠き国へと参れ。』
そう命ぜられ改易となった。彼は奥州会津へと行き、飢え死には免れた。
彼のもとにあった70騎の足軽、旗本、その他は家中の者達に分け与えられた。
ちなみに春日左衛門、笠井備後はこの南部下野殿の二人の家老の子である。
(甲陽軍鑑)
南部下野の改易についてのお話
525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 09:35:05.78 ID:2o0XIMaR
勘助かっけぇな
526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 10:12:32.28 ID:9b0wE0oR
刀ではなく棒で応戦するという謎の選択
527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 10:53:55.92 ID:XnD+a83e
殺さず捕えるためだろ
528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 11:39:41.01 ID:eXxXvJuk
流浪時代に宝蔵院で槍術を学んでたのかもとか妄想してみる
武田信玄家臣・南部下野殿(宗秀)が改易されたのは、信玄公28歳の時であった。
山本勘助という大剛のつわものは、武道の手柄ばかりではなく、兵法の上手であり、
ある時、信州諏訪においてこの南部殿の家臣、石井藤三郎という者を南部殿が成敗しようとして失敗し、
石井は斬り合いをしながら逃亡した。
その頃、山本勘助はたまたまその近所の家に滞在していたのだが、その座敷に石井が刀を抜いたまま
入り込んできた。これに勘助は刀を取らず、そばにあった棒を取るとこれに向かい合い、石井が
斬りかかってきたのを受けて組ころばし、縄をかけて南部殿へと引き渡した。
この時、勘助は3ヶ所ほど少しばかり負傷した。それは負傷というほどのものではなく、30日ほどで
疵も消えたほど軽いものだった。そもそもこの山本勘助は戦場での武辺の時も、罪人を放し討ちする時も
数度にわたって少しずつ負傷し、86ヶ所の疵があった。
ところがこの時勘助が負傷したのを、南部殿は悪しざまに言い立てた。
この南部下野殿は武田家において甘利備前、板垣駿河、小山田備中、飯富兵部少輔の四人の衆に
続く人で、少しは武辺の覚えがあるのだが、心変わりしやすく常に無穿鑿なことばかり言い、
遠慮もなく明け暮れに過言を言い、嘘をついた。無分別な人でこの山本勘助を憎み、
国郡を持たぬのに城取り、陣取りを行う実力の持ち主で、また外科医者も深い傷ではないというのに
「兵法使いのくせに手を負うとは!」
などと言って、山本勘助に尽く悪口を言っていた。
この事を目付衆、横目衆が信玄に報告し、長坂長閑、石黒豊後、五味新右衛門を使いとして
書面を以って南部下野殿に仰せ付けた。
その内容は、山本勘助という大剛のつわものへの悪口の事を穿鑿するものであった。
『一、山本勘助が小身者であるから彼の城取り、陣取りのやり方も正しいものではない、と言っていた
件であるが、これは物を知らい言い様である。昔唐国は周の文王が崇敬していた太公望は
大身ではなかったではないか。
一、兵法使いのくせに手を負ったなどと申すのは、一層武士道不案内である。兵法とは
負傷しないということではない。負傷しても相手を仕留めるのが本物の兵法である。
殊更、その方の被官である石井藤三郎が白刃を構えていた所に棒で立ち向かい組み倒したというのは
勘助がたとえそこで死んだとしても、その屍の上にまで誉れがあるというのに、嫉むとは
無穿鑿なる事である。
一、其方南部は、手柄が実は家中の者である笠井と春日両人が仕ったものであるのに、自分の手柄のように
申していたと聞き及んでいる。
この三ヶ条の罪を以って成敗してしまおうと考えたが、それでは山本勘助も定めて迷惑に思うであろうから、
ここは勘助に免じて命を助けるので、遠き国へと参れ。』
そう命ぜられ改易となった。彼は奥州会津へと行き、飢え死には免れた。
彼のもとにあった70騎の足軽、旗本、その他は家中の者達に分け与えられた。
ちなみに春日左衛門、笠井備後はこの南部下野殿の二人の家老の子である。
(甲陽軍鑑)
南部下野の改易についてのお話
525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 09:35:05.78 ID:2o0XIMaR
勘助かっけぇな
526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 10:12:32.28 ID:9b0wE0oR
刀ではなく棒で応戦するという謎の選択
527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 10:53:55.92 ID:XnD+a83e
殺さず捕えるためだろ
528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/14(火) 11:39:41.01 ID:eXxXvJuk
流浪時代に宝蔵院で槍術を学んでたのかもとか妄想してみる
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コメント
人間七七四年 | URL | -
戦国時代でも甲斐に南部氏残ってたんだ
( 2014年10月14日 19:23 )
人間七七四年 | URL | -
甲州の南部って、あの陸奥南部氏の一族なのかな?
話は違うんだけど、俺、陸奥南部家と蠣崎武田氏の出自って結構疑わしいな~って昔から思ってるんだけど、他の人はどう思ってるのかな?
( 2014年10月14日 22:21 )
人間七七四年 | URL | -
全治4週間が些細なキズなんやね。
やっぱ戦国すげえわ。
縫う技術が弱いから、ある程度固定してくっつけて・・大変るやな。
( 2014年10月15日 00:14 )
人間七七四年 | URL | -
刀抜いてる相手を殺さずに捕らえるってのは考えにくいと思うから、抜刀する時間を惜しんでそのへんにあった棒をとっさに拾って戦ったんじゃないかな
( 2014年10月15日 00:41 )
人間七七四年 | URL | -
相手に逃げられた挙句、勘助に捕らえて貰っておきながらこの物言い。
そりゃ見捨てられるわ。
>甲陽軍監
それにしても武士道と言う言葉を使ってるだけあって、
出来事よりも後世に書かれた事を明確に示してるね。
( 2014年10月15日 09:34 )
人間七七四年 | URL | -
*2
陸奥南部は知らんが蠣崎武田は相当怪しいそうで
仮冒だとされるが若狭武田氏の一人が流れてきて~てな具合
( 2014年10月15日 19:14 )
人間七七四年 | URL | -
陸奥南部が本家で分家が甲斐に残ったことになってる
一応、執権北条家に味方して甲斐で蟄居とか何とかだったような・・・
そこそこ勢力が大きいので信玄に粛清されたのを甲陽軍監なので察し
宗秀は信虎寄りだった(甲斐統一に協力している)し
加賀美一門だったので家格も高いのが原因かと
蠣崎は論ずるに値しない
一応、武田嫡流の若狭武田家出身にしているあたり・・・ね?
某新田末裔並みだよ
( 2014年10月17日 17:11 )
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