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【雑談】奥州の豪族・田村家についてなんだが

2014年10月25日 18:55

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/24(金) 21:05:53.01 ID:MebWu6ht
話の内容をガラッと変えさせてくれ
奥州の豪族・田村家についてなんだが、情報がほしい。

ちょっと前に新長寿キャラに香川光景と一条兼定の娘が登場したけども
田村義顕・顕頼兄弟、義顕の子の隆顕・顕盛兄弟も長寿なんだよな。

んでだ、田村月斎でおなじみの田村顕頼の逸話がほしいんだけど……
何か知らない人はいない?
いくらなんでも100歳超えての出陣とか聞いたことないしさ。
子が孫あたりに同じ月斎を名乗った人物がわかれば越したことはないんだけどさ……。

架空人物説まで出てるし。





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    なーんもなしか…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    これは逸話じゃない

  3. 人間七七四年 | URL | -

    だから雑談とついているんだろ 何にでもケチつけんな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    奥州の田村と言われても
    坂上田村麻呂、田村清顕とその娘(愛姫)
    くらいしか思いつかん。

  5. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    三春生まれの娘なら、地震後に知り合ったなあ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    逸話かどうか分からないが、多少情報はあるので書いてみる(604殿は既知かもしれないが)。

    天正14年(1586年)愛姫父の田村清顕が急逝した。
    彼は遺言で、清顕夫人の実家である相馬家、愛姫の嫁ぎ先である伊達家の者を三春城には入れずに、
    家中が一致団結して清顕夫人を守って自立していく事を望んでいたという。

    一族の行く末は、小野城主の田村梅雪顕盛(顕基)、月斎顕頼、
    月斎の二男の橋本刑部顕憲、船引城主で田村憲顕嫡男の清康の四人を中心に託された。

    伊達家において、愛姫付きの田村家侍女たちが処刑された例の事件が起こり、
    田村家中は相馬派と伊達派に二分、対立が激しくなった。
    小野城の田村梅雪顕盛(顕基)・清顕父子らは相馬派、
    田村月斎・橋本刑部らは伊達派であったらしい。

    この後は御存知、清顕夫人が甥の相馬義胤を三春城に入れるクーデターを決行するも、
    政宗によって排除され、結果、田村は伊達の勢力下に入る…という事になったわけである。

    以上は福島民報社が出版している「武者たちの舞台(上下)」からの引用。
    これは福島の城郭歴史を地元記者達が足で取材した労作だが、
    項目によって田村憲顕は、田村義顕「二男」と書かれている場合と「三男」と書かれている場合がある。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    風魔小太郎とか三国志の廖化みたいに複数人居た可能性が微レ存

  8. 人間七七四年 | URL | -

    家兼「九十超えで出陣してはいかんのか?」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    貴方は仕方がなくの出陣でしょ?w

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    有りがちなパターンで
    たぶん初代の月斎(顕頼)一人に、子や孫の分の情報までが集約されて
    めちゃくちゃ長生きした化物爺さんみたくなっちゃったんだろうな

    仙台藩内の田村家は、宗顕の息子が喜多の養子になって片倉を名乗ったから
    田村を名乗り続けてたのは田村憲顕の子孫だけになってたりする
    (伊達騒動に登場する田村図書顕住は憲顕の曾孫・清康の孫)

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