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一栗高春、不吉な狂歌を詠む

2014年11月08日 19:20

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/08(土) 02:16:16.13 ID:/37eLJmV
一栗高春、不吉な狂歌を詠む

義光の死後、一栗高春は些細な事で家臣を罰する新領主の家親とは水が合わなかった

高春は庄内の添川に館を構えていたが、昵懇であった清水義親を新たな当主に据えようと酒田亀ヶ崎城の
志村光惟(志村光安の息子)を訪ね、「義親君の方が最上の総頭に相応しいのではないか」と語らい、
同意を求める一筆を取り付けた
高春は光惟から約定紙を得た事を喜ぶと
「田河は大山城の下吉忠も同士になれば心強い」と光惟に言うと
光惟は「吉忠は父の代からの仲ですから、きっと意を汲み賛同してくれる事でしょう」と高春に答えた

高春は「この計画がうまくいけば、義親さまの新体制の下、光惟さまも吉忠さまも私も、
きっと加増は間違いないでしょう」と、記念に一首の狂歌を詠んで扇にしたためた

かはるなよ 下も志村も諸ともに 思ふ心は みな一つ括り(一ツ栗)

一栗の乱で三人が一日中にみな斬死したのは後の事である

またこの密談の後に酒田から添川に戻った高春は西馬音内市正と碁を打った

勝敗は高春の負けの様に見えたが、最後に整地してみると高春の二石差での勝ちであった

高春は喜びまた一首を詠んだ

うれしやな 今を賽碁(さいご)の盤の上(へ)に 一つ栗こそ二つ勝ちけれ

この狂歌も一栗の乱の後に思い直せば、志村と下を二人討ちながら高春も仲が悪かった新関久正に討ち取られたのを思合すれば、「一栗は忌まわの最期に二人の将を道連れにしたのだ」と、人々は狂歌の内容は不吉な言葉だったと噂した

『奥羽永慶軍記』




716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/08(土) 11:38:31.56 ID:/37eLJmV
>>714
碁を打った翌日が「一栗の乱」の日だと言われている。
下吉忠の意思を確認しないまま、楯岡光直の訪問に気を取られて高春は事を急ぎ過ぎたのか。

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    こういう狂歌の類の話は中々面白いな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    後の世で言う死亡フラグだな

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