fc2ブログ

駆けつけた隠岐為清に

2014年11月14日 18:43

767 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 20:31:25.13 ID:7Gf/O+oJ
永禄12年(1569)、尼子勝久、山中幸盛、立原久綱らの尼子再興軍が出雲へと侵攻すると、
隠岐隠岐守為清も300余騎にて隠岐国より渡って来て、山中、立原に申し述べた

「それがしは近年毛利家に従って、隠岐一国を領知しました。これは身において本意ではありませんでしたが、
倅に家を相続させるため、力なくこれに妥協しました。

しかしこの度勝久様が当国に帰還され、恐れながら私も一族の端でありますので、大慶これに過ぎたることは
ありません。旧好を思われて、隠岐を相違なく安堵して頂けるのなら、この身命を忠戦のため
投げ打つ覚悟です。」

山中、立原はこれを聞くと、その内容を勝久に申し入れる旨を伝え、忠山に仮屋をかけ、大幔幕を打って、
為清の率いてきた300余人に饗応し、その後山中幸盛は言った

「為清殿の申し述べられた内容を勝久様に伝えた所、隠岐家が昔の好を思い早速入来したこと、
芳志の至である。従って隠州の事も望みに任すべきではあるが、同姓三郎五郎(隠岐清実)は、
近年我らが流浪している間もその志変ぜず付き従い、忠志浅からざるものがあった。
よって本国である以上、隠岐国は彼に宛てがうつもりである。

為清には意向を聞いた上で、出雲・伯耆の内においていずれの地であっても、望みに任せ現在の領地に
倍して安堵いたすであろう。そう仰られた。」

為清はこれを聞くと

「今度の戦いは勝久様の御本意あるものですから、外に所領を増やす望みは有りません。
また味方に参った以上、所を嫌うべきでは有りません。
どこの国であっても、相応の小郷一所を給われば充分です。」

そう言ってさらぬ体にて対応したが、実際にはこれを不本意に思い、この後、終には再び心変わり
したのである。

(芸侯三家誌)

隠岐為清、所領変えを言われ再び変心する、というお話




768 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 21:43:31.65 ID:Meb5omKS
馳せ参じたのに国替を言い渡されるとはな
そりゃ離反するだろw

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 22:19:12.79 ID:AoUknHpQ
てか、この時は隠岐から上陸してるよね?

770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 23:19:04.25 ID:CE7rP0aH
まさに、ちょっと悪い話ですな。感服仕った。

771 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 23:28:06.42 ID:nE/4tcwJ
配流地の隠岐よりも出雲伯耆の方がいいだろうと勝手に気を回した結果だったり

772 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 23:46:38.08 ID:Vi1vt8AD
本領奪われた挙げ句に獲ってもない土地宛がう約束なんて光秀もびっくりですよ

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/14(金) 05:33:09.65 ID:4E/JZRiI
隠岐にこだわる理由ってなんだろ
流刑地だから意外に中央とのコネクションが出来るのかな?

777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/14(金) 07:44:57.63 ID:altq7aPR
>>774
日本海航路の汐待ちとしてはそれなりに便利なんだよ

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/14(金) 08:06:42.05 ID:vaY+nm1n
>>771
その配流地を側近にくれてやる勝久ちゃんwって考えるとお前のレスがおかしいことは理解できるよな。

スポンサーサイト





コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    戦国時代に律儀に悪い宣告する程度の器だから負けるんだよな。

    成功してから言えばいいのに。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    隠岐が潮待ちで栄えるのは、江戸時代になってからじゃなかったっけ?

  3. 人間七七四年 | URL | V81E8UhM

    隠岐隠岐守ってなんかいいな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >>771
    うろ覚えでちょっと状況違うけど、種子島さんにも似たような話があった気がする

    ラスボスか伊集院どっちの配慮か忘れたけど、善意で種子島から本土の方に配置替えしたけど、種子島さん本人は口癖のように新天地で「種子島に帰りたい」って愚痴ってた...と言う逸話。
    最終的に見かねた殿様(多分義久?)が元の種子島に戻してあげた...らしい...うろ覚えでごめん

  5. 人間七七四年 | URL | -

    4さん、文禄4年(1595年)、太閤検地で種子島の領地は島津以久に与えられ、代わりに薩摩国知覧に移って慶長4年(1599年)に種子島に所領を戻されていますね。

    傾!!武辺塾 種子島久時編・いい話
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/1049-cd78ac42
    この話では文禄・慶長の役の功績で戻ることができたようです。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    美濃三人衆の安藤家の元の姓は伊賀で、当主は代々伊賀守を名乗っていたらしい。
    この手の名前は探せばまだまだありそうだね

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    本人や同時代の周辺の人は違和感なかったのか、気になる

  8. 人間七七四年 | URL | -

    信長公記に何度か「伊賀伊賀守」って出てくるからそれは事実だろう
    そしてそんな事気にしてる余裕は多分無かったろう

  9. 人間七七四年 | URL | -

    上総広常「いまきづいたんだけど、上総上総介っていいにくい」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    なんで余裕なかったん?

    ※9
    それはたぶん言わない

  11. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    隠岐氏が隠岐を統一したのが為清の祖父の時で統治が行き届いていない
    さらに毛利の出雲侵攻後は一族や国人がバラバラになってるから、他に移ると逃げ出す形になるのが嫌だったとか
    まあ、単純に本領を取り上げんなってことなんだろうけど
    おかげで為清が自殺してからは惣領争いを始めるんだよなあ

  12. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    「味方してやってもいいけど、ちゃんと本領安堵くらいの約束はしてよね?」って申し出たら断られた。叛いて当然な仕打ち(笑)

  13. 人間七七四年 | URL | -

    米6
    佐久間信信「特に違和感はございませんが、何か?」

  14. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ※12
    鹿とうまくいかなかったらしい
    毛利についたのが気に入らなかったのかな?

  15. 人間七七四年 | URL | -

    今でも隠岐までフェリーで行くのけっこう大変なのに。
    隠岐から300余騎、その兵站。
    率いる兵卒の手前でなんの面目が立つものかだよな。
    現代人でもブチ切れそう。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    尼子を再興すると言う宣言しても殆ど旧臣が集まらなかった事見ても、
    尼子家自体がもう見限られてるって証拠だと思う。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    佐村河内守

  18. 人間七七四年 | URL | -

    遠流の地と言われても流されたメンツを見る限りそれほど過酷な環境でもなさそうだが。実際は距離以外の問題はないように思える

  19. 人間七七四年 | URL | -

    山中とかいう、まるで存ぜぬ輩に下知されたのが、気に食わなかったとしか。

  20. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    出雲に入る前は隠岐氏に城まで宛がってもらってるのに

  21. 人間七七四年 | URL | -

    陸奥陸奥守

  22. 人間七七四年 | URL | -

    美濃尾張守

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/8892-e44cb300
この記事へのトラックバック