疑惑の降伏文書

2014年11月20日 17:50

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/20(木) 05:21:03.63 ID:/6neHdQ5
疑惑の降伏文書

慶長5(1600)年、徳川家康は上方の石田三成の挙兵の報を聞くとただちに軍を西進し、後に残された奥羽の情勢は急転した

上杉家に伝わる軍記「上杉家記」にこの頃の外交文書のひとつとされるものがある

一、今度当地江御発向可被成と承付而 書状以申上候 跡々御家中の者同前に馳走仕段 申進候事

一、先年御差図を以 家康伏見城へ移被申候 御前様ハ若松へ御下向時分 拙者儀者山科大屋毛の原まで罷出 御門送り仕 御主同前に拝し申候事

一、拙者の儀ハ国本へ飛脚を差越 嫡子修理大夫を若松へ御着之翌日為致出仕 御主同前ニ致候事

一、其後家康伏見之城ニて 五日評定被致候 我等式も其列ニ罷成日々罷出申に調といへ共
直江承引なけれハ 御静謐より外無之と相極申に付而 毎日之評談御留守居千坂対馬守へしらせ 早々会津へ申入よと為御知仕候 定而御覧可有御坐候事

一、御評定相済 若松へ御手向之時分 正宗と拙者ハ隣に御座候付 早々夜を日につき罷下 界之道橋を拵
白川表へ先手着候而 早々御領分へ物色を出し候事と被申に付而 急度□元へ罷下候事

一、正宗儀者国元へ罷下 則儀領分を一郷も二郷も打破り 慮外を申上候に御かまいなく被差置
拙者之儀ハ 右より是非御すねをだき入可申と存候ニ付而 至今日迄御領分へ足軽壱人も出し不申に 慮外を仕正宗をハ被差置
是非可頼入と存 拙者へ御手向之儀迷惑ニ存候事

右条々被聞召分被下候ハハ 嫡子修理大夫を証人に差上 其外家人証人之儀ハ 二重にも三重にも 御差図次第差上可申候
拙者之事ハ人数一万召連 何方迄も御用に相立可申候間 可然様に被仰上可被下候 恐々謹言

最上出羽守 義光

八月十八日

直江山城守殿

「上杉家記」

※ただし『上杉家文書』には上記に該当する文書は原本も写しも存在せず、また上杉家側からの山形攻めを記した『越境記』「最上合戦記」と同時期の上杉将兵の手紙にも
最上義光の降伏文書について記されたものはない

『越境記』には「最上の百姓や代官らが上杉領をたびたび侵犯した」事が山形攻めの理由とされ
上記「上杉家記」の降伏文書も最上家改易後の江戸時代に捏造されたものではないかといった説も存在する



852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/20(木) 07:30:08.90 ID:TZaO/MC8
疑惑と言うより研究者はことごとくクロ判定してるような気が…
書いてある内容が現実と一致して無かったりするし

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    当時の最上義光の署名は「義光(印や花押)」「羽柴出羽守」「山出羽(山形出羽守)」で山形義光だったってのが保角さんの本にあった気がした

  2. 人生七七四年 | URL | -

    上杉は宣伝が巧い。
    自分に利ありと見ると
    ちょっとしたことでも針小棒大に言い立てる。
    息をするように御家age他家sage。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2殿
    うさみん流軍学もありますたな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    原文見ないとわかんないけど、書き下しだけで近世文書っぽいね。言い回しとか。
    「事書」を並べて中世文書っぽくしてるのが、なんともいじらしい。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    自己レス。やたら助詞をかな書きしてるから、書き下しと早とちりしちゃった。原文ぽいね。
    「而」「為」…etc こんな用法はしないだろなぁ。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    上杉家文書というのは上杉家御年譜のことを指している?

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