威を争うだけの合戦はしてはならない

2014年11月20日 17:52

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 19:31:01.28 ID:S5lvlA9v
武田家、織田家が滅びた後、徳川家康の近辺で大大名といえば、小田原北条家ばかりとなった。
そこで家康は北条氏政と懇志を結ぼうとしたが、諸臣はこれを諌めて言った

「北条が大家であるといっても、どうしてその力を頼むべきでしょうか?
当家には当家の力があります。交わりを結ぶよりも北条家を攻め落とし、小田原城を
取ってしまいましょう!」

家康はこれに答えた
「総じて、人と威を争いその勝敗を論ずるなどというのは。大いなる心得違いである。
かつて甲斐の武田と越後の上杉が、さしたる遺恨もないのに、僅かな義理合によって
合戦に及んだ。しかし両将も終にはそれが無益であることを悟り、和睦しようとしたが、
その時信玄は、自身の威を示すあまり無礼の体に及び、謙信はその無礼を怒り、
たちまち和睦は破れ再び合戦に及び、おおよそ15年の間無益の合戦は止むことなかった。

そして彼らがそんな争いをしている間に、織田信長は上方を切り従え大身となり、
私も追々領地を増やすことが出来た。

仮に武田上杉が早々に和睦を成立させていればどうなっただろうか?
信長も私も、その両家のために、逆に領国を狭められたことだろう。

であるからこそ、威を争うだけの意趣もない合戦は、絶対にしてはならないのだ。」

そうして終に、北条と同盟を結び、旗下同然となっても無事を守り、暫く世の時勢を
見極めた、とのことである。

(明良洪範)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    某「威を争う戦をするとまた味噌を漏らすハメに成りかねませんからな」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    家康「武田と上杉が早々に和睦したらどうなったであろうか」
    忠次「早々に合力して北条を攻めたのではないでしょうか」
    康政「上杉、北条と和睦して養子もらったら内紛起こしましたよね」
    忠勝「やはり北条を攻めましょう!」
    直政「うわあ・・・」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    これ、戦をするかしないかじゃなくて、

    ・北条と手を組んで、旧織田領を奪いたい
    ・旧織田勢力とは争わないことで、北条領を狙いたい

    という路線選択の問題だったんじゃないか。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    別に織田は滅んでないんだけどな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    織田家というより秀吉相手のときだろ。小牧長久手戦の後。
    北条と同盟を結ぶにあたって黄瀬川渡って北条領まで来いって言われて徳川家臣が皆反対するなか
    家康は「世間は赤子あやしに行ったと言うだけで恥にはならん」って北条に頭下げに行ったんだよな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    そういう見方は徳川史観と呼ばれても仕方ないな

  7. 人間七七四年 | URL | -

    家康の大局観やリーダーとしての資質は頭抜けてるよね
    五大老同輩の利家や輝元の人望人徳ではてんで勝負にならない

  8. 人間七七四年 | URL | -

    言ってる事は利があるのだけど、所々で詰めが甘い。
    権現様が信長公を呼び捨てにしてる時点でもうねw

  9. 人間七七四年 | URL | -

    旗下同様で威勢を張るのは得意なんだろう。
    まだ作左とか居たんじゃないかな。
    詰めは奉行がやってくれるからw

  10. 人間七七四年 | URL | -

    原文でも呼び捨てにしてるの?

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    その通り
    ttp://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/990298/107
    187頁の先頭の方の○から読むといい

  12. 人間七七四年 | URL | -

    それは言ったままではなく書き手の問題だろうが

  13. 人間七七四年 | URL | -

    「そこまで無意味でもないと思うがな。織田の勢力拡大云々も結果論的だし。
    威は大事だろ」

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