信長の仕置が

2014年11月23日 18:58

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 03:23:28.21 ID:DnDEKrTy
真田源太左衛門(信綱)、同兵部介(昌輝)は長篠で討ち死にした後、彼らの弟である
武藤喜兵衛に兄の後を継ぐよう武田勝頼が命じ、真田安房守(昌幸)と称した。

この安房守がある時、高坂弾正に問うた

織田信長は長篠において当屋形勝頼公に勝ち、その余勢を以って越前の朝倉、伊勢の国司を
完全に滅ぼしました。そうして四国、西国、関東奥州までも末には治めるであろうこと、
長篠の勝利を得て以降一層その姿勢を強めています。

ですが、信長の仕置が、源頼朝や執権の北条家、あるいは足利尊氏にように、代替りまで無事にあって、
末代までも人が沙汰するような仕置に、信長のそれもそうなると、弾正殿は見ておられますか?
願わくばこの事について、ご意見を伺わせて頂きたい。」

高坂弾正は答えた
「信長の仕置についてだが、今は先ず危うい。何故かといえば、家臣に大国を与え彼らを国主に
任じている。その中には才能ある人物が居ないということはない。

そうして、明日にでも信長が病死すれば、子息城之介(信忠)は大身の二代目であるから、
どうしても全てのことを仔細に見ることはない。

一方で出頭してきた侍は何事も明細であるから、元からの大身と出頭の大身とを比べれば、
同じ時代においては出頭の者が勝つものなのだ。

そうした家臣を必要以上に大身にすることを止めれば、そして信長の仕置さえ良ければ、嫡子城介信忠も、
その舎弟で伊勢国司に定められた三介(信雄)も、殊の外能く生まれついた大将だと聞いているので、
信長死後も治まるであろう。」

(甲陽軍鑑)

高坂弾正による信長の仕置についての批評である。




863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 11:38:04.18 ID:5tWOOnpY
丸で本能寺秀吉関ヶ原と見てきた人間が書いたようだw

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 12:12:38.50 ID:Yg3gQ5Ct
茶筅丸は有能なのか

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 14:57:01.40 ID:YMT1P9bd
信雄が能く生まれついた・・・?

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 15:42:57.59 ID:JtT4Q6pC
>>865
大名としてはポンコツだけど一領主としての統治能力はあるんでね?

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 17:18:38.37 ID:PyDVnSzn
その根拠は?

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 18:04:32.52 ID:fjKL9pZL
>>863
同感。典型的な事後予言にみえる…
「甲陽軍鑑」の価値が暴落した感じ

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 18:52:45.28 ID:DnDEKrTy
>>863
>>868
安国寺恵瓊の、信長が「左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候」もそう思うのか…w


870 名前:868[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:07:29.68 ID:fjKL9pZL
恵瓊は年月日の確実な書状(偽造説の有無は知らない)でしょ。それと「甲陽軍鑑」は同列に扱うのは…

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:29:49.25 ID:8qA7NOh7
信長は家臣を大身にし過ぎって言っているだけじゃん

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:33:44.16 ID:R5XCZ6nu
まあ基本が下剋上の時代だから正論
てか朝倉の滅亡が長篠以降だと昌幸が語る件はスルー?

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:35:23.93 ID:Z4d1Bu2W
恵瓊のアレは解釈してる人の問題だな
長~い書状の後ろの方にちょこっとだけ書いてある内容だし。

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:37:56.86 ID:3aSlCTW8
>>869
あれ、そもそも「はずした予言」だぜ

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:44:00.59 ID:txFhh7/3
やっぱ信長厨発狂したかw

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 19:56:03.45 ID:L9FleZXD
>>869
「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。」
天正元年(1573年)12月12日付書状
本能寺の変は天正10年(1582年)6月2日

以上

877 名前:868[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 21:58:47.17 ID:fjKL9pZL
やはり、大身を与えた光秀に討たれた後の事後予言に見える。
朝倉は見落としてたけど、高坂の記憶違いよりも編纂時の不手際に見える。
恵瓊の引用ありがとう。全文は知らないが、宛所からいって偽造ではなさそう。

878 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/23(日) 22:00:13.18 ID:aApNv2K7
浅野幸長は逸話がそれほど残っていない割には後世の評価が高いというのは
同時代の他の武将から高く評価されてたってことなんだろうか

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 00:10:28.01 ID:qgfRSAdn
9年、10年くらい後に、て言ってれば予言として完璧だが
そのうちしくじるだろうよ、では
秀吉にしたって、なかなかのものである、てだけで天下取るとまでは書いてないし

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 01:35:47.97 ID:NSOJ21ae
話の是非はともかく五年、三年って表現は数年のニュアンスだろ

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 05:47:37.52 ID:aquGLh07
言ってることが当たってるんだから 数年のスパンでガタガタぬかすなw

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 12:54:21.79 ID:MYMJJZGJ
>>863
完全に違う展開語ってるだろ
本能寺の変が無かった場合の予測だよ

予言が外れたって言ってるやつ、日本語読めないの?
ちょっと昔の文語だからわからない?
「五年、三年は持たるべく候」←本能寺の変まで5年、3年以上持ってる
「左候て後」←5年、3年以上経った後で、という意味

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 13:31:13.13 ID:kE9YHBFX
それだと、元和偃武時点で
幕府は、三、五年は持つだろうが
その後滅亡するだろう
でもいいことにならないか

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 16:35:22.25 ID:yUSL7yT4
>>882
時期を特定しない予言は予言じゃないんですよ

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/24(月) 18:45:29.41 ID:KsWFwMll
まあ誰が見ても織田のやり方では天下は取れないって思ってたことは想像に難くないからな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    恵瓊「私はタイムスクープハンター!」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    天正元年(1573年)12月12日付書状
    「信長之代、五年、三年は持たるべく候。明年辺は公家などに成さるべく候かと見及び申候。左候て後、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。」
    本能寺の変は天正10年(1582年)6月2日


    ま、完全にハズレだよねw

  3. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    この時期ってまだ伊賀出兵前だからね。
    乗っ取った伊勢北畠氏の家中をそれなりに纏めて反対派の粛清に成功していたし、
    信雄が有能とみられていてもおかしくないと思う。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    5年、3年は保ったけど8年半で高転び。ハズレているか?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    他人の芝は青くみえる
    と故人も申しております。武田家中には左様に織田家の躍進を苦々しく感じていたのでしょう。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    信雄は軍事面はともかく内政面は評価できんじゃないかな
    流石に秋田城介さんほど有能では無いにしろ無能とはほど遠い気がする

  7. 人間七七四年 | URL | -

    高転んだ時期が問題じゃなく、飛ぶ鳥落とす勢いの信長が転んだことを言い当てた方が重要。
    どう見ても当たりだろうに

  8. 人間七七四年 | URL | -

    誤:転んだ
    正:転ぶ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    >三介(信雄)も、殊の外能く生まれついた大将
    少なくても伊賀攻め前までは家臣達の助けがあったとは云え、順調な
    滑り出しだと思う。一番の能力は文化面だろうけど。
    武将としては有能ではないかもしれないけど、しぶとさだけは一流だね。

    誰だって大小様々な失敗くらいある。信忠さんだって、早死にしたから
    大失敗がなかっただけかもよ?
    これで駄目なら天庵様の人生なんてどうするのさw

  10. 人間七七四年 | URL | -

    あえて一番有名な名前じゃない呼び方をする心理ってなんなんだろう。
    ちょっと詳しく知ったことをアピールして優位に立ちたい小学生っぽいよね。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    昨日の『豊臣の世はわしと如水殿で作った!』な恵瓊に吹いた

  12. 人間七七四年 | URL | -

    まあ豊家台頭のきっかけは中国大返しにあるわけだし、
    そこに官兵衛と安国寺が絡んでるわけだから、
    ムチャな言い草でもないわけで

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    信雄の事なら当時は三介と書かれることが多かった筈だが

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ときどきいる不勉強者の僻みでは?

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※4※7
    この文言が書いてある書状全体を見れば、当たり外れ以前に恵瓊のホラだと分かる

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※15

    良く解らないので後学のため教えてください

    どの記述で具体的に安国寺恵瓊がホラを吹いていると判断されたのですか?

  17. 人間七七四年 | URL | -

    ※13
    たぶん※10の人は逸話じゃなくて
    ※6の人が信忠のことを秋田城介と表記した事について指摘したのではないでしょうか

  18. 人間七七四年 | URL | 7BujCBpw

    そのエケーさんがお味方した西軍は

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    ※10が言った通りだな

  20. 人間七七四年 | URL | -

    「秋田城介」程度で僻まなくても

  21. 人間七七四年 | URL | -

    信雄は天下人になるほどの器量は無かったけど
    終には身を滅ぼすほどまでの暗愚でもなかった気がする
    小牧・長久手で家康を裏切ったのに結局は所領与えられて家名を存続させてるし
    てか信雄が始めた養蚕事業が富岡製糸場に繋がり近代日本の富国を支える土台になってるのか…

  22. 人間七七四年 | URL | -

    恵瓊の書状の時点じゃまだ浅井朝倉が滅んだだけだからな……
    まあ「信長の代」ってのが「信長が当主の治世」なら当たったけどな
    形だけ隠居してw

  23. 人間七七四年 | URL | -

    八年もずれて「当たり」判定ならば、
    みんな何らかの預言者になれるよ!

  24. 人間七七四年 | URL | -

    僻み根性が染み付いてるな

  25. 人間七七四年 | URL | -

    小学生みたいなのは※10だったな※10の言うことは的外れ
    厨でもないし発狂もしてないだろ。言ってる奴が発狂してる。
    別に「甲陽軍鑑」自体の評価は下がらない。
    そもそも予言と言えるほどのものでもないだろ。何でこんな白熱してるんだか。

  26. 人間七七四年 | URL | -

    甲陽軍鑑自体に元々史料価値は無いんだから
    今さら価値が下がるもクソもないけどね

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