328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/09(火) 22:31:54.60 ID:uKneZsTT
武田信玄の病状悪化・死去により武田の西上作戦が取り止めになり勝頼が相続するゴタゴタの間、徳川家康は天正4年七月十九日、長篠城を攻め落とした。
この徳川方の逆侵攻に勝頼は穴山梅雪を後詰として遠江に進行させた。
これを徳川軍は迎え撃ち、これまで一方的にやられっぱなしだった武田軍にとうとう勝利、
喜び沸き立つ徳川方の陣営のなかで起こった一幕を三河物語から
榊原小平太(康政)の同心に上方の牢人がいた。大久保治右衛門尉(忠佐)が手柄を立てて首を引っさげて帰ってくるところ、
その牢人が来て、仲間七八人に後ろから押さえさせ、治右衛門尉の首を奪っていった。治右衛門は汗を握り腹が立ったが、首を取り返すことはかなわず帰っていった。
そのとき、榊原小平太がその牢人を召し連れて御前へ出たのを戸田之三郎右衛門尉(忠次)が見て急いで治右衛門尉のところに行った。
「治右衛門尉は知らないのか。あいつは只今、榊原小平太が召し連れて御前へ出て行ったぞ。」
「かたじけない。よくぞ聞かせてくれた。」
治右衛門尉は彼の者が帰らないうちにと、御前へと急ぎ、三郎右衛門も「我も味方するぞ。」と着いていった。
二人して御前に着いて治右衛門尉は
「あの人が差し上げたという首級は、皆見たであろうように、我が打ちとって引っさげて帰ってくるところを、七八人がやって来てひったくったものです。
我らにかぎらず、久しい譜代衆は各々、知行を頂けなくても、譜代の主なので、自分も他人も女子を顧みず、一命を捨てて戦働きをしてきましたが、
あのようなものは過分の知行を与えられ配下を多く持っているので、いつもあのように働きましょうが、
小身の我らのような者は、いくら働いてもご奉公にはならぬことがあるでしょう。
しかしながら、彼等は待遇が良ければ御家にとどまりますが、悪ければ出ていきます。譜代衆は、良くても悪くても御家の犬なので出て行かないのというのに、
彼のしてもいない手柄を認められる事は、一段と迷惑であります。」
と発言した.これに榊原小平太が
「治右は謂れのない事を仰せられている。我らの同心の手柄は歴然としているのに。納得がいかぬ。」
と言えば、治右衛門尉は反論した。
「どちらが正しいかどうか、あなたがどうして分かるのだろうか。その場に来ていないのに、いらざることをおっしゃりなさる。
見ぬ京物語はせざる物です、どれだけ同心を連れていようとも、無かったことをあったことにはなるまい。」
そのとき、家康が命令した。
「治右衛門尉、余計な事は言うな。我家ではお前の武辺を避難するものはいないだろうに。我の存分まかせてておけ。」
治右衛門尉はかしこまって御前を退出した。件の牢人は、その場にいられなくなりどこへでもなく行方をくらました。
329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/10(水) 07:06:07.32 ID:0UZMtryH
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武田信玄の病状悪化・死去により武田の西上作戦が取り止めになり勝頼が相続するゴタゴタの間、徳川家康は天正4年七月十九日、長篠城を攻め落とした。
この徳川方の逆侵攻に勝頼は穴山梅雪を後詰として遠江に進行させた。
これを徳川軍は迎え撃ち、これまで一方的にやられっぱなしだった武田軍にとうとう勝利、
喜び沸き立つ徳川方の陣営のなかで起こった一幕を三河物語から
榊原小平太(康政)の同心に上方の牢人がいた。大久保治右衛門尉(忠佐)が手柄を立てて首を引っさげて帰ってくるところ、
その牢人が来て、仲間七八人に後ろから押さえさせ、治右衛門尉の首を奪っていった。治右衛門は汗を握り腹が立ったが、首を取り返すことはかなわず帰っていった。
そのとき、榊原小平太がその牢人を召し連れて御前へ出たのを戸田之三郎右衛門尉(忠次)が見て急いで治右衛門尉のところに行った。
「治右衛門尉は知らないのか。あいつは只今、榊原小平太が召し連れて御前へ出て行ったぞ。」
「かたじけない。よくぞ聞かせてくれた。」
治右衛門尉は彼の者が帰らないうちにと、御前へと急ぎ、三郎右衛門も「我も味方するぞ。」と着いていった。
二人して御前に着いて治右衛門尉は
「あの人が差し上げたという首級は、皆見たであろうように、我が打ちとって引っさげて帰ってくるところを、七八人がやって来てひったくったものです。
我らにかぎらず、久しい譜代衆は各々、知行を頂けなくても、譜代の主なので、自分も他人も女子を顧みず、一命を捨てて戦働きをしてきましたが、
あのようなものは過分の知行を与えられ配下を多く持っているので、いつもあのように働きましょうが、
小身の我らのような者は、いくら働いてもご奉公にはならぬことがあるでしょう。
しかしながら、彼等は待遇が良ければ御家にとどまりますが、悪ければ出ていきます。譜代衆は、良くても悪くても御家の犬なので出て行かないのというのに、
彼のしてもいない手柄を認められる事は、一段と迷惑であります。」
と発言した.これに榊原小平太が
「治右は謂れのない事を仰せられている。我らの同心の手柄は歴然としているのに。納得がいかぬ。」
と言えば、治右衛門尉は反論した。
「どちらが正しいかどうか、あなたがどうして分かるのだろうか。その場に来ていないのに、いらざることをおっしゃりなさる。
見ぬ京物語はせざる物です、どれだけ同心を連れていようとも、無かったことをあったことにはなるまい。」
そのとき、家康が命令した。
「治右衛門尉、余計な事は言うな。我家ではお前の武辺を避難するものはいないだろうに。我の存分まかせてておけ。」
治右衛門尉はかしこまって御前を退出した。件の牢人は、その場にいられなくなりどこへでもなく行方をくらました。
329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/10(水) 07:06:07.32 ID:0UZMtryH
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コメント
人間七七四年 | URL | -
何か榊原康政ってのは盗人牢人の手柄とか赤備えよこせとかそんな話しかないのか
( 2014年12月10日 20:13 )
人間七七四年 | URL | -
一番有名なのは
例の小牧長久手の檄文で賞金首になった話じゃないか?<榊原の逸話
( 2014年12月10日 20:34 )
人間七七四年 | URL | -
後の子孫もパッとしない(どころか、問題児が誕生してる)辺り、もしかしたら井伊、酒井、本多、榊原の中では一番地味なのではなかろうか榊原...(酒井は幕末一番頑張ってたと思うので)
俺が榊原のことよく知らないだけかも知れないけど
( 2014年12月10日 20:50 )
人間七七四年 | URL | -
榊原康政
・館林市のマスコットキャラクター
・達筆
・挑発得意
・榊原衆の軍勢は超瞬足、回り込んでの側面攻撃が得意
・伊達政宗のために岩出山城の縄張りを担当。超戦闘向けの城を作っちゃう
・本多正信大嫌い
・政権を争うのは「亡国の兆し」と言って幕政参加を辞退
( 2014年12月11日 00:18 )
人間七七四年 | URL | -
三河物語恒例の譜代age
( 2014年12月11日 01:52 )
人間七七四年 | URL | -
譜代より自家ageでは?
( 2014年12月11日 06:27 )
人間七七四年 | URL | -
側面への機動が得意なんて超役に立つやんけ
( 2014年12月11日 10:28 )
人間七七四年 | URL | -
軍勢として足が早いってことは
よほど調練積んで規律もしっかりしてたんだろうな
( 2014年12月11日 10:39 )
人間七七四年 | URL | -
主たる榊原康政が下者の行いを知らない事を非難される話か。変な話だね。
普通各家毎や本陣には必ず軍監が居る筈だから、誰が戦場で首持ってきたかの
確認や簡易報告位は上がってる筈なのに。
( 2014年12月11日 13:12 )
人間七七四年 | URL | b5.M5V.g
※9
大久保忠佐が討ち取って首を獲ったところを背後から襲撃して
奪って逃げたんでしょ。
で、本陣に戻って来たら先に首実検されてたと。
この時期の大久保兄弟がそれぞれどの程度の手勢を率いていたかは知らんけど、
多くても20人を超える事は無いだろうし。
( 2014年12月11日 17:20 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
戸田忠次という証人がいた分、榊原康政には分が悪かったろうが、
大事になる前に家康が忠佐を宥めたという話か。
まあ、忠佐だって単純に大久保党の属将というわけではない、ひとかどの武将だったわけだし、
それは家康も気を遣うわなあ。
( 2014年12月11日 18:29 )
人間七七四年 | URL | -
権現サマ「だってフォローしないと、ウンコたれって言い触らされるしぃ・・・(´;ω;`)ウッ
( 2014年12月11日 18:53 )
人間七七四年 | URL | -
浪人の名が無いあたりどう考えても彦佐の作り話
( 2014年12月12日 05:27 )
人間七七四年 | URL | -
フォローしたのにウンコタレを押し付ける忠佐とかいう畜生
( 2014年12月12日 07:00 )
人間七七四年 | URL | -
首取り専門家のライバルってか相方やらされると、何かと大変ってコトだろ?
( 2014年12月12日 17:30 )
人間七七四年 | URL | Cnub/O7I
※13
行方くらまして何十年も経ってから三河物語書いてるんだから彦佐も牢人の名前なぞ失念するだろう。よって作り話と断じるのは些か乱暴かな
( 2014年12月13日 16:03 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
対一向一揆戦で「仏罰は全部俺に落ちろ」って叫んで部下を鼓舞したり
堀川城攻めで傷を受けて瀕死になりながらも部下の手柄を家康にアピールしたりと
理想の上司っぽい性格なのかもね、今回はそれが裏目に出たけれど
あと榊原家は新参で元陪臣だから譜代の大久保家からしたら面白くないだろうなあ
( 2014年12月17日 17:02 )
人間七七四年 | URL | -
康政の性格に関しては家康曰く「家中において人品尤も高し」っていうのがあった
あとは人柄に関しての評で寛厚とか謙恭とか
しかし、檄文とか赤備えとか今回の話とかで挑発的とか小物っぽいイメージになってる気がする
( 2014年12月17日 22:49 )
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