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何故井伊直政が撃たれたのか

2014年12月22日 18:38

54 名前:1/2[sage] 投稿日:2014/12/21(日) 17:59:12.97 ID:tp1m86X8
磯田道史氏の『歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ』から

関ヶ原合戦で井伊直政は狙撃されて重傷を負った。
なぜ彼ほどの高級指揮官が撃たれたのか。家来は人垣で守らなかったのか。
戦後、井伊家ではこの状況を調査し、薩摩側の証言も得て検証し、『井伊家慶長記』に残している。


最初、直政は薩摩軍と思わずに追撃を始めた。
旗のない不審な一隊が前を横切ったので、直政は「敵か味方か」ときいた。
家来が即答。「敵なり」
葦毛馬に乗った立派な部将が見える。
「あの葦毛馬に乗った武者は予が討ち取る」
直政はそう叫んで馬で駆け出した。

ところがここで問題がおこる。
護衛が消えていたのである。
直政は近習二十五人を定めて常に自分のそばを離れず護衛するように掟で厳命していた。
ところが乱戦のさなかで近習の騎馬武者たちは「手柄を立てよう」と抜け駆けを始めた。
そのため直政のそばには武者二、三騎と足軽二十人しかいなくなった。
しかも直政の乗っている「馬がよいゆえ一番に駆け」、薩摩軍をただ一騎で追う格好になった。
直政が沼の前まで来たとき、大久保将監という者が気づき、直政の馬の口にすがりつき、
「大勢の中へ、ただ一騎で追い駆けられるのは勿体なし」と必死で止めた。
直政は「放せ」と怒り狂った。

銃声がしたのはその時だった。

55 名前:2/2[sage] 投稿日:2014/12/21(日) 18:01:35.60 ID:tp1m86X8
撃ったのは薩摩の三人組。田あぜに隠れて待ち伏せていたのである。
一人が狙撃をし、両脇の二人が抜刀して護衛していた。
はやる狙撃手に両脇が「もっと寄せろ」といい、十分に引きつけて放った一撃だった。

弾は直政の鎧の胴に命中。
しかし防弾試験済みの「試しの具足」だったため、弾丸は跳ね返って右腕にめり込んだ。
直政は槍を落とし、暫く馬上で耐えた末、落馬。
薩摩の者は「首を取らん」と近づいたが、一人が「敗軍に首は要らぬ」と叱って撤退したので、
直政の首は間一髪でつながった。
家来たちが駆けつけ、下馬して介抱してるのを見て、狙撃手は
「さては大将だったか。首を取ればよかった」と
悔しがったという。



関ヶ原合戦では直政の他にも松平忠吉が銃弾で負傷、本多忠勝も馬に被弾して落馬している。
この島津軍の強さの原因として

「関ヶ原の合戦で西軍が敗れて、島津義久(義弘ヵ)が撤退したとき、井伊直政の備えを打ち破って通った。
この時、義久(義弘ヵ)の諸勢はみな腰さし鉄砲を用意していた由。それで数千挺、士も足軽も撃ったので
井伊殿は自分も臂を鉄砲で撃たれた」(『古実聞書』)

足軽だけでなく士分の者まで「みな腰さし鉄砲」を装備していたため火力が絶大となり、
これとぶつかった徳川軍の指揮官がそろって銃創を負ったという。





56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/21(日) 20:22:43.17 ID:3IoNo/v+
自称伊達名物騎馬鉄砲隊(笑)とえらい違いw

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/21(日) 20:47:00.34 ID:DvmRiYgG
近習が手柄を獲りに行かなければ井伊の家は違った歴史を歩んだか?

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/22(月) 08:32:40.26 ID:bnPPwkQi
敗軍で撤退してる敵を弱い者いじめで追撃して痛い目を見るってかっこ悪いよね

59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/22(月) 08:56:35.20 ID:ebUxfvsG
本多も井伊も自分より弱い者しか相手にしてこなかったから勝ててきたんだよね

60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/22(月) 09:05:24.23 ID:oQXAdr0G
裏を返せば、本多や井伊に敵う相手が居なかったということか

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/22(月) 09:08:19.85 ID:+L+hZItg
皆弱けりゃ大将しか強い人がいないということだな

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/22(月) 12:40:20.22 ID:1IYQ7NeO
島津軍は強い!(1500名が数十人にまで壊滅)

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/22(月) 13:07:07.18 ID:Ixih73nD
スパルタ軍は強い!(300人が全滅)

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    まあ強いは強いが、あくまで常識的な強さでしかないよ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    跳弾での負傷だったのね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    捨て奸で撃っているので、柏木源籐さんに護衛がいると思わなかった
    あと、
    >狙撃手は「さては大将だったか。首を取ればよかった」と悔しがったという。
    とありますが、井伊直政狙撃、もう一つの説
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/6519-3fa44112
    >関ヶ原から2年後、自らが狙撃した直政の死去を知ると悲嘆した
    と書かれてますし、井伊さんは関ヶ原後に和睦交渉に奔走しているので
    これでよかったんですよ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    まさか大将が単騎で先頭切って追撃してくるとは思わなかっただろうな

  5. 人間七七四年 | URL | -

    佐野宗綱「単騎で突撃と聞いて」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    Ngms 「大将が先頭切って突撃と聞いて」

  7. 人間七七四年 | URL | -

    護衛が大将に付いて来れないとか凄いな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    氏郷「大将が部下を置いて先駆けしちゃ危ないだろう」
    義光「そうだな」

  9. 人間七七四年 | URL | -

    あれだろ?
    依頼主が何十人ものSPより強かったつう話だろ?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    良い馬に乗るとこういうこともあり得るんだな

  11. 人間七七四年 | URL | -

    大将はみんな良い馬に乗ってるけどこういう事はなかなかあり得んぞ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    流石に双方通しの検証だけあって、凄く生々しい証言ですね。
    これ直政の護衛役は何らかの処罰を喰らったのかな?普通なら命令違反に依る独断専行
    の結果、自軍の大将が負傷(場合に依っては討ち死にの可能性)って大問題では?

  13. 人間七七四年 | URL | -

    それよりもあと少しでというか
    止めだてが無ければ義弘が直政本人に討ち取られていたかもという生々しい話も詰まってますね

  14. 人間七七四年 | URL | -

    島津捨てがまりって島津の宣伝効果の賜物だと思う
    徳川の猛追が凄まじくて結果的に捨てがまざるを得ないだけだったような…

  15. 人間七七四年 | URL | TQl5Jic2

    防弾具足なんてあったんだな

  16. 人間七七四年 | URL | b5.M5V.g

    ※14
    普通、撤退する際は殿という、軍勢の最後尾で踏みとどまり追撃を阻む役を担う部隊がある。
    捨てがまりってのはその超小規模バージョン。

    しかし島津方に伝わる川上シロンペロン家臣、柏木源トツ!の話と噛み合って無いな。
    本当に島津方の証言も参考にしたんだろうか。
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-933.html

    地図と照らして考えれば島津豊久らを捨て駒にして関ヶ原から伊勢街道を南東へと逃げたが、それでも尚食い下がる井伊直政に牧田川渡河に手間どう内に追いつかれてしまった。
    本来は初陣の家康四男の松平忠吉を補佐する役目であるが、その忠吉が負傷した事を無視したか知らずか、乱戦の最中に撤退する島津隊を我先にと夢中で遠くまで追撃していた直政の周囲は僅かな手勢しかおらず、島津隊の槍衾に遮られている内に川上四郎兵衛の郎党・柏木源藤に狙撃されて落馬、主君の介抱におわれる井伊隊を尻目に牧田川を渡河して逃げおおせたんだろう。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    youtube/0mctcKg8Vik

    これの19分過ぎあたり
    ちょっとちがう

  18. 人間七七四年 | URL | -

    この慶長記ってのが退き口の本筋をついているらしいね

  19. 人間七七四年 | URL | -

    >13殿
    >止めだてが無ければ義弘が直政本人に討ち取られていたかも
    義弘VS直政の個人戦は見て見たいような気はしますが…
    薩摩の兵が必死に阻止するでしょうなぁ
    この段階だと、最優先すべきは義弘と大阪にいる人質を薩摩に無事に帰すことですから
    そのために島津豊久や長寿院 盛淳や多くの薩摩の兵が亡くなったのですから

  20. 人間七七四年 | URL | -

    義弘、自害しようとしたほど追い詰められたんだよな

  21. 人間七七四年 | URL | -

    武辺話で終わらせずちゃんと検証して記録に残したんだね。
    この時代の兵士でほぼ全員が銃を装備してるのは特異なことなのかな?
    鉄砲隊も島津の家中から少しづつかき集めたものか、義弘の部下が元々こんなだったのか気になる

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    >噛み合っていない
    ならどうしてそちらの話しは鵜呑みにされるのですか?
    少なくてもこちらの話は井伊家と島津家の合同検証ですよね?

  23. 人間七七四年 | URL | eYj5zAx6

     最良の馬は源頼朝の生喰やする墨みたいに家臣の勇士に与えて、自分は二番目の馬に乗るのが主君の心得。そう言って家康が附けた与騎達が散々に諫言しても、断固として一番の馬に乗っていたみたいです。井伊家の記録だと。

     影武者も置かず、戦闘中に地味な鎧に着替えたり兜の立物を外すような助言も敢えて拒否していたので、記録の中ですら狙撃してくれと言っているようなものだと言及されていました。

  24. 人間七七四年 | URL | -

    ※23
    何勝手な嘘八百を並べてんだ?
    関ヶ原の時の直政は立物を外したシンプルな兜だった。

    馬だって普段からどんな瑕馬でも器用に乗りこなしているから、
    部下から「大将が上手に任せてそのような瑕馬に乗るのは勿体無し。いい馬に乗ってください」
    と懇願の書状を書かれていたくらいだぞ。

  25. 人間七七四年 | URL | -

    ここにも有った。
    普段から傷馬にも器用に乗っていて配下が良い馬に乗ってくれと諌めた話
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7539.html

  26. 人間七七四年 | URL | -

    54の本文も「馬がよいゆえ」と書いて有るだけで「一番の馬」とは書いて無いのにね
    しかし傷馬でさえ先頭を駆けるのに良い馬だったら…
    だからすぐ追い付いちゃったのか

  27. 人間七七四年 | URL | -

    一体どんな手綱さばきになるのか見てみたいな…

  28. 人間七七四年 | URL | -

    リーディングジョッキーやな

  29. 19 | URL | -

    >20殿
    >義弘、自害しようとしたほど追い詰められたんだよな
    自分が読んだ本(関ヶ原 島津退き口)では戦死しようと
    していたになってますね。
    (豊久たちが必死に説得したので思いとどまりましたが)

  30. 人間七七四年 | URL | -

    神保勢は強い!!ヽ(*´∀`)ノ(325人が全滅)

  31. 人間七七四年 | URL | -

    島津退き口ってさ
    3000〜6000対1500で戦って薩摩に逃げ帰った島津TUEEEやらSUGEEEやらやってるツイとか見かけるけど
    実際に追いついて戦闘していた井伊とかの相手側の方が断然少なかったっつう

  32. 人間七七四年 | URL | -

    直政が撃たれた時点で追撃戦を止めてるから
    その時にはもう島津は僅か数十人になっていた事になるからね

  33. 名無しさん | URL | -

    ※22
    >少なくてもこちらの話は井伊家と島津家の合同検証ですよね?

    そんな話を鵜呑みにされても…
    その島津方の証言者は長庵という者の子をどこからか探しだしたとの事。
    長庵が何者なのか知ってるのなら教えて頂きたいものだが…
    井伊家慶長記がその場にいた井伊直政や大久保将監の下で書かれたのならともかく、
    島津方の侍か足軽か中間かすらも分からない人物の子の証言が合同検証と呼べるのか?
    尚、大久保将監は戦後に恩賞が無いことに不満を持って直訴したが、家老に叱責されている。

  34. 人間七七四年 | URL | -

    この話は気に食わないから、信じたい方を信じた。
    穴があったから指摘した。
    オレが信じている話は完璧。

  35. 人間七七四年 | URL | -

    手持ちの本だと
    火縄銃で十匁の鉛の球形弾を12.5mの距離から撃つ検証実験で
    3㎝厚のヒノキ板・30㎝の竹束・1㎜鉄板を易々と貫通
    18m(十間)から撃っても江戸初期の鉄製当世具足を撃ったら
    全面後面共にあっさり貫通したそうだが

    直政の甲冑どんだけ頑丈やねん

  36. 人間七七四年 | URL | -

    *35 の人へ

    当世具足といっても色々ありまして……南蛮胴具足か否かが特に問題かと。

  37. 人間七七四年 | URL | -

    具足の種類について細かい記載はないけど
    ※36に言われて図版確認してみたら横矧桶側胴?っぽかった

  38. 人間七七四年 | URL | -

    腕に当たる位置なら体側側に掠っただけだから貫通しなかったんじゃないか?

  39. 人間七七四年 | URL | -

    自称でもないし(笑)でもない
    井伊本多も十分強い
    島津も強いし(~に減ったとか煽らなくても良いよ)
    鵜呑みにもしてないし気に入る気に入らないで言ってないでしょ。ちゃんと理由を付けてる。
    完璧とも思ってない。こういう煽り入れる人間とかこそそう思ってそう。

  40. 人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk

    ※40も戦国好きなんだろうに、なぜ撤退戦の難しさを知らないのか
    砥石崩れ、三方ヶ原、長篠、第一次月山富田城いくらでも戦例はあるのに

  41. 人間七七四年 | URL | -

    退き口の話って島津SUGEEEしか言わない人が多いからモヤモヤするわ。
    本スレみたいなdisする人もいるし。無事薩摩へ帰れた方と被弾した方のその後のやりとりとか知らないんだろうね。

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