刀・脇差しと扇・鼻紙

2014年12月31日 17:45

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 22:11:32.08 ID:/ob9LCCD
ある時、曽根内匠高坂弾正に問うた
「良き大将なのに無行儀である事があります。逆に悪しき大将なのに行儀が良いこともあります。
これはどういう事でしょうか?願わくば高坂殿のご意見をお聞かせいただきたい。」

高坂これに
「それは、例えば侍が急の用で家を出る時、刀・脇差しを挿したものの、扇・鼻紙を忘れる
事がある。しかしこの時、刀・脇差しは忘れていない。それと同じように、良き大将は無行儀であっても
主人として名を得ること、あるいは徳ある儀に関して少しも問題はないのである。

例えば、織田信長は行儀の荒い人物ではあるが、人の目利き上手であり、池田・柴田・滝川・木下・丹羽・
河尻・佐久間などと言う者共、武辺がなければ分別が優れ、いずれも小身である者達から目利きをし、
取り立てて一廉の侍と、近国、他国まで名を響かせた。
すなわち信長は、扇・鼻紙を忘れても刀・脇差しを忘れぬ心を持っているのである。

さてまた、中国の大内殿は文ありて行儀は良いが、人の目利きが下手であり取り立てられるほどの侍でも、
10人中9人まで役に立たない。しかしそんな者達に沢山の知行を与え、人に対する詮索も不行儀であり、
仕置も悪しくあったために、重臣の陶という家老に国をかすめ取られた。この事で、大内殿は行儀がいいが
悪しき大将と人に言われる。すなわち扇・鼻紙を正しく忘れないが、刀・脇差しを忘れる心の
持ち主であるということなのだ。」

(甲陽軍鑑)

それにしても甲陽軍鑑は、大内をdisる時、何故かくも情熱的なのか。





127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/30(火) 22:18:08.31 ID:bR3TdRI4
そりゃ大内ほどのわかりやすい反面教師はそうそういないからな

128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/31(水) 10:03:50.41 ID:xypsizFZ
義隆って元々そういう性質なのかな
それとも息子を失ったことで変わってしまっただけなのかな
元親も信親を失ってからだいぶ変わってしまったみたいだよね

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/31(水) 11:09:42.11 ID:xypsizFZ
文弱の素質はあったけど、晴持死なせるまでは上手く文武のバランスとって他国圧倒してたよね>義隆
人生どこに落とし穴があるかわからん

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/31(水) 21:48:16.67 ID:kYm45lMl
大内は急進的な拡張主義者
だからつかえる人材も使えない人材をバカスカ入れて勢力を拡張する
10人取り立てて半分無能でも半分ものになったらそれでいいや、というタイプ
こういうタイプは攻勢にはいいが、守勢に陥ると弱い
なんでかってリストラが下手だからだ
一方信長や秀吉は、味方だろうが何だろうが苛烈に首を切ることを恐れなかった
まあそれで恨みも買ったわけだが

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    多分世継ぎが急に居なくなったことで権力移譲システム政権運営システムが破綻したんだろうなあ(´・ω・`)<新しい世継ぎは誰にするのか?とか晴持世継ぎ前提で権利与えられた人達とか

  2. 人間七七四年 | URL | -

    信長と比べるのはさすがに酷だがな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    多分※1さんの理由も有るだろうけど、文武で抜きん出ていた大内家でも駄目だったのだから、
    時代とは云え中国地方の統治のあり方が、元から国人衆の集まり的な部分が問題があったしね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    国人集合体じゃアカンと思って変えようとしても勝頼さんみたいなパターンあるからねえ(´・ω・`)

  5. 人間七七四年 | URL | -

    義興の時代からの陶興房が上手く家中を統率してたけど、息子の隆房(晴賢)は義隆と拗れちゃったからなぁ
    晴賢の気性が荒かったせいもあるかも知らんが、義隆が晴賢をもうちょっと大事にしてたら違ったかも?

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5さん
    >晴賢を大事に
    残念ですが流石に無理かと思えます。まず当主がほぼ戦放棄・文治傾倒。
    晴賢さんそれを批判し捲くり・武任さんとガチ喧嘩で家中ギクシャク。
    しかもあちこちにシンパ形成。どう考えても内紛一歩手前です。
    その後の大阪城の内情と殆ど同じ。

  7. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    ※3
    というよりは領土という実力と役職がリンクしちゃってるってのが原因かな、と。
    国人連合を脱していた織田家ですら、信長没後は広い領土を持っている連中が
    織田家の当主を無視していたわけで、結局経済力・動員力と組織内の権限が
    分離される江戸時代以前はこういうのは起きうることだったんじゃないでしょうか。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >織田家の当主を無視
    どう言う意味なのでしょうか?第一信長さんは嫡男に相続しているし、没後は建前上三法師が
    跡目でも秀吉が実質牛耳ってる。親父殿達は所詮は織田家有っての集団だったわけですし。
    最初から信長さん(一応信忠さんも)有っての織田家でしかない。
    それは残された一族のその後を見ても分かりますね。

    >起きうる事
    それは当然です。だからこそ国人乱立時代とその統治方法では無理だと言っているのです。
    秀吉統一後にようやく近代大名化のスタート切った訳です。
    その後に徳川政権下で安定して改革出来たと。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    >織田家の当主を無視
    織田家の当主は三法師ではあったけど、それは秀吉の傀儡として以上の存在では無かった訳だし、信長の他の息子達だって重臣達の意向に振り回されるばかりで、柴田勝家に付いた信孝は切腹させられるし、信雄だって豊臣政権下で改易されたり流刑になったりしているし、三法師も元服後は「秀信」と秀吉から一字を貰った上に羽柴姓を贈られたり、完全に秀吉配下の扱いだ。
    要するに、清洲会議に始まり賤ヶ岳から豊臣政権確立に至るまで、織田家の方針は重臣達のパワーゲームによって決められ、そこに信長の息子達の意向が入り込む余地は無かった。
    で、この重臣達のパワーというのは領土や動員力=戦力そのものな訳で、つまりは強い武力を持った者が権力を乗っ取るという構図だった。
    結局、秀吉にとって織田家の血筋は次の政権を確立するための大義名分でしかなく、政権を確立してしまえば不要になる物でしかなかった。
    体面や外聞を考えれば排除まではしないけど、それも政権に害を及ぼさなければという前提で、害になるなら切り捨ててしまえる程度の存在であり、同じ事は秀吉没後の秀頼にも言える。
    「信長没後の織田家」も「秀吉没後の豊臣家」も御輿以上の価値を持ち得なかった訳で、権力継承のシステムが機能するようになったのは徳川幕府成立後の事だ。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    織田 武田 大内
    明暗は抜擢人事の可否だな、こりゃ

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