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雑談・島左近の評価について

2015年01月07日 18:52

島左近   
187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 04:34:44.96 ID:giNPOH3x
>>181、>>183
島左近は後世の評価が過大評価っぽいよね

・1550年に家督を継いだ幼い筒井順昭を盛り立てたと言われるが、当時の
 家臣団に名前が無く、初登場は1571年
・「筒井家の両翼(右近左近)」と並び称されたと言われるが、順昭が活躍した
 時代の両翼は松倉秀政と松田盛勝で、松倉重信(右近)と島左近はもっと後期
・実質的には定次時代の両翼だが、すぐに筒井家を出奔
 四国征伐には定次とともに従軍したようだが活躍の記録なし
・豊臣秀長・秀保に仕え、九州征伐には参加したが、秀長の病気により小田原
 征伐には参加せず、朝鮮の役でも秀保の渡海は無く、秀保配下の紀伊衆
 とともに水軍として活躍した形跡もなし
・その後に三成に仕官
 よってその戦歴は、ほとんど大和国内または信長-順昭、秀吉-定次配下での
 畿内の戦(紀州攻め・伊賀攻め)がメインで、大規模な戦は定次-四国攻め、
 秀長-九州攻めの2つのみであり、それ以降の10数年は、関ヶ原まで戦場での
 指揮の経験なし
・島氏は大和の在地土豪で、「山県昌景の下で家康が敗走するのを追った」も
 嘘っぽい

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 06:51:02.96 ID:2C4bEDQC
>>187
戦歴から言うと過大評価なんだろうけど、関ヶ原という世紀の大合戦での散り際が余りにも印象的で
後代の人々の心を惹きつけたんだろう
常山紀談が出典だからどこまでホントか分からんが、黒田軍の兵士が左近の姿を覚えてないくらい
壮絶な戦い振りだったようだし
それに日本人は判官贔屓だしな

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 07:54:28.71 ID:oDNy5msZ
現代に至るまで
後付けと脚色だらけの嘘八百に騙されて満足してるのが大半というか
むしろいい悪いスレなんてその筆頭みたいなもんだし、まぁそんなもんだよねとは思う
一旦イメージつくと修正に時間かかるから、苦労してる人もいるみたいだが

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 08:28:09.21 ID:uOwd3dbK
最上義光「ほんとそう思うわ」

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 09:00:41.22 ID:giNPOH3x
>>188
常山紀談には、左近の「かかれーっ!」の声を夢に聞いて飛び起きた
黒田家の兵の話がでているけど、それはまさに開戦の時の号令
乱戦前のものだ

左近が銃撃を受けて戦場から消えるのは、三成が開戦から2時間後の
様子見の西軍諸将をうながす狼煙を上げる以前のことだから、左近は本戦
約6時間のうち、最初の1時間程度しか実質戦っていない
西軍総崩れ後の、死を覚悟した左近の「最後の突撃」は後の軍記物にしか
登場せず、負傷後に担ぎ込まれた石田陣営内で死亡した可能性が高いことを
考えれば、関ヶ原での活躍も非常に小規模

大阪夏の陣で、毛利勝永の活躍が真田幸村の伝説に吸収されてしまったように、
乱戦になる前の最初の激突において敵味方から見て目立っていた左近が、
その後の蒲生頼郷・蒲生郷舎・舞兵庫・高野越中・大山伯耆らの頑張りを
自分の伝説に吸収してしまったと言える
局地戦の戦術家としてはともかく、戦略・政治において左近の実像は、
後世に伝えられる西軍の軍師・関ヶ原における石田軍の指揮官には
程遠い感じがする

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 09:06:42.58 ID:jwnWGItD
勇戦した石田家臣団の筆頭だったんで
確かな記録は残ってなくても
優れた人物だと知られてたんじゃないの?
明らかに優秀で魅力的な人でも
結果を残せずに消える人っていくらでもいるし。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 09:46:15.31 ID:BCmaG7ZT
前述の戸田武蔵もその一人なんだよなw

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 10:57:14.58 ID:mWO4czCW
同じ丹羽系でも長束とはだいぶ待遇に差があるよね
それとも秀吉の直臣で兄に隠れていたからかなあ

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/07(水) 16:58:18.42 ID:JVEAblps
>>181
夜襲に反対した石田三成がよく批判されるけど、
保元の乱の顛末を知らない訳無いだろうし反対する
理由があったんだろ

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >左近が、…自分の伝説に吸収してしまった

    こんな言い方されるのも切ないな…
    自分がしたわけじゃないのに

  2. 人間七七四年 | URL | /KoANL1I

    軍記物や合戦譚みたいなもんは脚色や過大評価してでも英雄を作らないと面白くないからな、仕方ない。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    歴史上の人物のコアな部分に興味を持つようになるのだって、最初は物語の英雄的な活躍に魅かれてってのは多いだろうしねぇ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    群像劇より英雄譚の方が読む方も書く方も楽だしな

  5. 人間七七四年 | URL | 6m5BDBwc

    原御大の漫画だと島姓の左近は大陸系で貧弱な日本人ではありえないらしいなw

  6. 人間七七四年 | URL | -

    編み笠無双や膳城素肌攻めみたいな話しだってあるしねw

  7. 人間七七四年 | URL | -

    漫画で語るなよ
    大陸系でもないし貧弱でもない
    お前はそうなのかもしれんがw

  8. 人間七七四年 | URL | 6m5BDBwc

    トンデモ漫画にたいする皮肉で書いたんですけどね。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    批判が生きがいの人もいるから気になさるな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    昔話レベルだと
    島左近は対馬の出身で河童を助けて力持ちになったという
    (手ぬぐいを絞ったらぶっちぎってしまったという産女と同様のテンプレ的民話)
    もっとトンデモ民話があるからな

    …大陸系設定はそこから来てるのか?

  11. 人間七七四年 | URL | -

    歴史的史実の発掘と評価って、時代時代によっていろいろ行き過ぎもあるけど揺り戻しもあるから、
    いつも暫定的と言えると思うんで、いろんなものを楽しく読んでます。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    誰も間違っていることに気づいてない点wwwww

    1550年に家督を継いだのは順慶さんなのに。
    順昭さんは1550年没。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    実像が掘り起こされるのは面白いですね
    こういうのが歴史の面白味ですね

  14. 人間七七四年 | URL | -

    三成に仕えるまで記録に残ってないだけで、相当な士だったんだろ
    記録に残されてる治績や戦績だけみて「過大評価されてる」ってのはおかしいわ


  15. 人間七七四年 | URL | -

    まあ、悪意的に一部分をフォーカスすれば、左近が一時間しか戦ってないと映るんだろうね。
    将を失っても大崩れせずに、数に勝ってしかも弱兵ではない黒田・細川他を押し返し続けた軍を作った事に、左近がノータッチだったとでも言うのかな?

  16. 人間七七四年 | URL | -

    「三成に過ぎたるものが二つあり・・・」の歌も後世の創作なのかな?

  17. 人間七七四年 | URL | wZ.hFnaU

    ※16
    「三成に過ぎたるものが二つあり、嶋の左近に佐和山の城」は後世(おそらく幕末くらい)に
    作られたもの。
    ただし三成の当時言われていた元ネタはあって、これは
    「三成に過ぎたるものが二つあり、嶋の左近と百間の橋」
    というもの。何故か橋が佐和山城に変えられた。

  18. 人間七七四年 | URL | -

    「今の世に過ぎたるもの二つあり、紀州に麒麟、肥後の鳳凰」(=徳川治貞&細川重賢)
    という狂歌もあるんで(1700年代半ばごろ)
    わりと定型句だったんじゃないかな<過ぎたるもの×2

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    例えば加藤清正の朝鮮出兵以前の若い時分の武功については
    一次資料にほとんど記述が無いから「過大評価」だって
    戦前の菊池寛はおろか現代では散々言われてるんだけど
    嶋左近なら一次資料とかの記録に残って無くても「過大評価」じゃないって言える根拠は何なの?
    同時代人から評判高かった節なら加藤清正にもあるよ?

    ※15
    一次資料大好きな白峰旬先生の「関ヶ原合戦の真実(宮帯出版社)」に掲載の
    慶長5年8月21日付福島正則覚書(岡文書)だと細川隊2000、黒田隊1300と
    石田隊とぶつかった東軍勢の兵力は従来の石高推定より大分下だよ

    他にも加藤隊1600や藤堂隊1500など苦戦してたと伝わる部隊は軒並み石高推定より数少ない
    ちなみに戦場に遠い大名ほど動員数少なくなってる
    (所領が関ヶ原に近い池田・福島・田中などは逆に石高推定より多い)

  20. 人間七七四年 | URL | -

    ※19
    その兵力数が事実とすれば
    島津1200は最初からもっとバリバリ戦ってもよかったのでは…

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ※20
    兵力=戦が出来る状況は全然違いますよ。
    それを言ったら、数が相手より上なのに負け戦になった
    戦い全部が可笑しな事になってしまいます。

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※20
    同じ史料から
    福島6500、池田6500、山内2600、田中4000
    (従来の石高換算だと福島6000、池田4560、山内2040、田中3000)と
    石田隊とぶつかってない隊の人数は多めなのもあるかも<島津がバリバリ戦わなかった理由

  23. 人間七七四年 | URL | -

    >現代に至るまで
    >後付けと脚色だらけの嘘八百に騙されて満足してるのが大半というか

    なんかウケた
    こういうこと言って満足してるんだろうなって

  24. 人間七七四年 | URL | LQas2cQg

    島津さんは石田隊の後詰めだから命がくだされるまで動くべきではなく、三成が出撃要請した時点で西軍は総崩れ…という話だけどな。

    あと、関ヶ原の左近さんはもう60のおじいちゃんなので少し多めに見てやってくだされ;

  25. 人間七七四年 | URL | -

    モノを考えられる気でひとりで気持ちよくなってる(実際には2人わいてるが)典型的な例。

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