永禄8年5月19日(1565年6月17日)、三好三人衆や松永久秀による将軍・足利義輝の暗殺、
いわゆる「永禄の変」が起こる。三好勢は将軍義輝を殺すと、その刃は関係者に向かった
『三好殿はあらゆる物を焼きつくし、宮殿の一部たりとも残さないようにと命じた。
都における動乱と残虐行為は非情なもので、それを見たり聞いたりした人々に少なからず憐憫の情を催させた。
すなわち、公方様の家臣なり友人は、どこで見つかろうと直ちに殺され、その家財が没収されたからである。
さらに三好殿は、公方様に仕えていた人々が住んでいる郊外一里の所にあった二ヶ村を侵略し破壊するよう命じた。
(中略)
公方様の婦人は、実は正妻ではなかった(側室の進士晴舎娘・小侍従殿)。
だが彼女は懐胎していたし、すでに公方様は彼女から二人の娘をもうけていた。また彼女は上品であった
だけでなく、公方様から大いに愛されていたので、近日中には彼女にラィーニャ(奥方)の称号を与える
事は疑いないと思われていた。何故なら彼女は、既に呼び名以外のことでは公方様の正妻と同じように
人々から奉仕され敬われていたからである。
彼女はこの変による火災と混乱の中、変装して宮殿から逃れ得た。
謀反人たちは早速数多くの布告を掲げ、彼女を発見したものには多額の報酬を取らせ、彼女が身籠っており、
男児を出産すればいつしかその子は成長して自分たちの大敵となりえるので、是が非でも彼女を殺さねばならぬと
言っていた。
その報酬の約束が煽った貧欲の力、もしくは科された刑罰への極度の恐怖心は、いとも高貴で今は寄る辺ない
夫人に対して、当然抱かれるべき人間らしい感情や憐憫に勝ったらしく、彼女の居場所はたちまち暴君たちに
告げられた。彼らは彼女を、都の郊外の何処かで殺すように命じ、彼女を乗せる為のリテイラ(駕籠)を
彼女のところに遣わした。
この不当な命令を執行することになった人々は、彼女にこう言った
「御台様はもはや都にお留まりになる事、叶わなくなりました。よって別の所にお移り頂くため、この駕籠が
届けられた次第でございます。」
彼女は郊外の一寺院に籠っていた。そしてその知らせがもたらせるとただちに、三好殿と霜台(松永久秀)が
自分を殺すように命じたのだとはっきりと悟った。そこで彼女は紙と墨を求め、当時まだごく幼かった
自分の二人の娘に宛てて、非常に長文の書状をしたためた。それは後に、これを読んだ人々すべてを感動させ、
読み聞かされた者は誰しも皆涙を流した。ついで彼女はその書状を封じ、晴れ晴れとした顔つきで僧院を出、
仏僧たちに対して、自分がその僧院でいとも親切に迎えられたことや、三日間というもの、そこで客遇され
敬意を表せられたことに感謝した。
そこから、三好の使者たちは彼女を駕籠に乗せて、都から約半理隔たった東山、すなわち東の山にある
知恩院という阿弥陀の僧院の方向へ連れて行った。そして彼らが四条河原と呼ぶある川辺に来た時、
彼女は同行者たちに
「あなた方が私を殺すことに定めている場所はここなのですか?」
と尋ねた。彼らはそれを否定し、「安心されよ」と言った。そして彼女は知恩院に導かれると喜んだ、
というのは、彼女にとってそこで死出の準備をするのは非常に好都合だったからである。
内裏の親族で、甚だ高貴な僧侶であった同僧院の長老が彼女を出迎えると、彼女はその人に次のように語った、
それはそこに居合わせた人たちから、後で報じられた。
263 名前:2/2[sage] 投稿日:2015/01/16(金) 21:57:31.97 ID:uH5L2ZRf
「尊師はおそらく、今私を、このような有り様でご覧遊ばすとは、よもやお考えにならなかったでしょう。
ところで、この度の事は私の名誉にとってひどい仕打ちでありますが、公方様も宮殿もあのような惨めな結末と
なりましたからには、私一人この世に留まることは相応しくありません。さらにまた、私が公方様に
こうして早々とお伴出来ますことは良き巡り合わせと存じます。そして何にも増して、私に喜びをもたらし
お頼り出来るのは、まもなく阿弥陀の栄光のもとに公方様と再会できるという思いでございます。
そして私は身重でありますから、生きながらえる間に私がある重い罪を犯したことは疑いを容れません。
そのために私がこのような死を遂げることは、多分相応しいことだったのでございましょう。」
次いで彼女は自分のために葬儀を行ってくれるようにと僧侶に懇願して、袖から86クルザードの価値がある
金の延棒2本を取り出し、纏っていたマント(上衣)を添えて、布施として差し出した。
その仏僧は次のように答えた
「拙僧は修行者でありながら、御台のご様子、並びにご事情に接しますと落涙を禁じえません。
さりながら公方様は、先に述べられたように身罷り給い、そのお世継ぎも運命を共に遊ばしました。
御台の公方様に対する愛情はいとも深いものがあったからには、御台が公方様のお伴をお望み遊ばされるのは
いかにもご尤もと存じ上げます。御台のご葬儀とご供養の儀は、拙僧しかと相果たします。
御下賜のご布施は、拙僧の末寺の間に分け施し、その諸寺においても大いに心をこめて供養を相務めるでしょう。
これについて、ご安心遊ばされたい。」
ついで彼女は阿弥陀の名を十度唱え、その仏僧から、十念と称されている罪の完全な赦免を受けた。
それから彼女はもう一度阿弥陀の祭壇の前で合唱して祈った。そして彼女がある知人の墓を詣でようとして
寺院を出た時に、彼女の首を刎ねることになっていたナカジ・カンジョウという兵士が抜刀して彼女に
近づいた。彼女は時至ったことを認め、跪いて阿弥陀の名を呼んだ。そしてその兵士が来ると、公方の宮廷の
習わし通り、束ねないでたらしていた頭髪を、兵士は片手で高く持ち上げた。
ところが、彼が彼女の首を刎ねるつもりで与えた強い一撃は、彼女の顔を斜めに切りつけた、
小侍従殿と称されたこのプリンセゼ(奥方)は言った
「御身はこの勤めを果たすためにまいられたのに、いかにも無様でござろうぞ!」
そして第二の一撃で、兵士は彼女の首を切り落とした。
かくてその後の日本人たちは、彼女は身重であったから、その再二人を殺したことになると言っていた、
彼女が懐妊していた子供は生まれる前に殺されたのである。そしてその場に居合わせた人々の内、
この悲惨な情景に多くの涙を流さぬものは一人としていなかった。
(ルイス・フロイス「日本史」)
将軍足利義輝の側室、小侍従殿の最期の模様である。
265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/17(土) 01:43:31.56 ID:cQ0PWvRE
しかしフロイスの記述は臨場感溢れるものが多いな
266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/17(土) 02:26:54.33 ID:PzY251zO
小説家になれる才があるよ
267 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/17(土) 14:18:26.67 ID:mjMt0GNe
フロイスはヨーロッパの「上流階級婦人の処刑シーン」の定型をそのまま当てはめたのでは。
将軍を皇帝に、僧侶を牧師に、阿弥陀をキリストに、名前も欧風にしたら、そのままヨーロッパでも通じるんじゃないか。
コメント
人間七七四年 | URL | -
どう見てもヨーロッパとは違う
( 2015年01月17日 17:26 )
人間七七四年 | URL | -
だとしても文才あるのは間違いない
( 2015年01月17日 18:47 )
人間七七四年 | URL | -
斬首に失敗は付きものとかいう話もあったけど、いくら何でも女性の顔を斜めに斬ることはなかろう、と。そりゃクビ刎ねられる奥方が「ヘタクソ!」と言いたくもある。
( 2015年01月17日 20:23 )
人間七七四年 | URL | -
こんな文章をいっぱい本国に送っても、そりゃシカトされるわな
だけどフロイスの筆まめっぷりは、たとえそれに虚構が混じってたとしても後世の我々にとっては本当に幸いだわ
( 2015年01月17日 22:47 )
人間七七四年 | URL | -
小侍従が実質正室ってーことは、近衛家からきた嫁はないがしろにされてたんかなあ
そらTERUなんてそっちのけで御所から逃げ出しますわ
( 2015年01月17日 23:37 )
人間七七四年 | URL | -
袖から金の延棒×2 はねーよ
( 2015年01月18日 01:33 )
人間七七四年 | URL | -
違っても問題ないな
( 2015年01月18日 10:52 )
人間七七四年 | URL | -
※6
この当時金銀は延べ棒じゃなく分銅形式で成形するはずなので、棒形状なら竹流しじゃないかな?
竹流し金なら2本ぐらい楽勝で持ち運びできそうだと思うな
( 2015年01月18日 13:00 )
名無しの日本人 | URL | -
>僧侶を牧師に
牧師はプロテスタントだ。カトリックなら、司祭。
( 2015年01月18日 13:11 )
人間七七四年 | URL | -
牧師に対する用語は神父なんじゃないの?
( 2015年01月18日 17:00 )
人間七七四年 | URL | -
神父は正確には司祭の敬称。
なので、牧師と対になるのは司祭。
牧師の敬称は先生。
ちょっと意味が違う。
( 2015年01月18日 20:21 )
人間七七四年 | URL | -
※5
フロイス日本史のこれより前の記述で、不思議に思ったのが、
三好三人衆と松永息子は、さいしょ、御所に押しかけた時、
「公方様お命頂戴する」とかじゃなく「進士の娘(と家臣たち)を殺せ」
って恫喝しているんだよな。
松永たちが家女房に過ぎない小侍従なんぞ除く理由なんてなさそうだし、
ひょっとしたら、他に彼女の存在をよく思わない誰かの差し金があったのかも
( 2016年05月17日 21:50 )
人間七七四年 | URL | eqP7eH0Y
※5
それはない
義輝の母ちゃんの慶寿院も近衛家から来た嫁だし、この母ちゃんが存命していて力も持っていた以上、近衛家からきた嫁を蔑ろになんかできないよ
そもそも当時の結婚は家同士の同盟だから、正室を蔑ろにしたら同盟が破綻するし
( 2016年08月15日 11:21 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
オカンとの関係はともかく、義輝の晩年には
協力者だった近衛前久とも仲が険悪になってたって説をどっかで見たな
小侍従の寵愛も、その原因(もしくは結果)かも知れん。
あと、京のキリシタンを優遇したせいで、朝廷や公家の覚えもよろしくなかったとも。
( 2016年08月15日 16:26 )
人間七七四年 | URL | -
超極端なのだと日野富子みたいのもいるからなぁ・・・なんともいえん
( 2017年05月27日 16:37 )
人間七七四年 | URL | eqP7eH0Y
近衛前久と義輝はいとこ同士なのもあって仲がよかったんじゃなかったっけ。
前久との関係が決定的に悪化したのは、義昭の時代になってからだろう。
その頃には義輝・義昭の母の慶寿院が既に死んでたから、将軍家と近衛家の仲を取り持ってくれる人間もいなかったし。
( 2017年11月01日 04:19 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
やばい、小侍従殿めっちゃ健気やん。最近某戦国ゲームで足利義輝好きになって、色々調べてたらこんな事あったなんて...。ああダメだ、目から汗が出てくる...。
( 2018年12月26日 13:13 )
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