式部少輔は、太閤様に分別を申し上げた

2015年01月23日 18:52

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/23(金) 01:11:00.74 ID:TqpKgmMl
小田原の陣において、北条方の支城である山中城が激戦の上攻略されると、太閤様(豊臣秀吉)は
内府公(徳川家康)、信雄公を相手にしながら、中納言殿(豊臣秀次)、次に丹波の少将殿(豊臣秀勝)より
戦いの模様を聞いた。その中でも特に奮戦した中村式部少輔(一氏)に関しては
「式部少輔は中納言(秀次)に付けていたが、今度の手柄をよく吟味して、相応の取り計らいをするように。」
と申し付けた。その上で今度の戦いの褒美として、中納言殿に御腰物、御太刀、御馬、少将殿に御腰物、御馬を
遣わされた。

そうして太閤様は中村式部少輔を召し出し、自身が着ていた唐織の羽織を脱ぐと、式部少輔に手づから着させ、
「今度の手柄を奉行に申し付け、褒美として国を与える。」と直々に伝えた。
これに、その場に居並ぶ諸大名衆、残らず「尤もなことである」と、感じ入った体で、式部少輔の
冥加に叶いたる段、身に余ることであった。

所がそれに続いて、太閤様が仰ることには
「中納言に付いた人持ち(部隊長)には、私から羽織を与える。今回、山中に早く着いた順番に呼び出し、
式部少輔より渡すように。」
と仰せになり、小姓衆が羽織を一つ一つ運び、式部少輔の脇に置いていった。

これは内府公、信雄公を始めとした諸大名の面前で行われていたが、この事について誰も特に言い出す
様子はなかった。そこで式部少輔は、太閤様に分別を申し上げた

「今度の合戦の様子、軍勢についても如才無く運用されたと言いましても、早い遅いは、それぞれの心に任せて
出来るものではありません。何れの者達も、油断していたわけではないのです。そのことは御眼前にて
ご理解されていると思います。
従って、御羽織を拝領して頂く事については、一同に召し出して拝領させて頂きたいのです。」

これを聞いて、内府公は信雄公の方を向いて言った
「式部少輔の申し上げた事、尤もな発言であります。」

諸大名もこれに、どよめきたって同意した。そこで太閤様も「では、そのようにしよう」と仰せられた。

これは中村式部少輔が、私(渡辺勘兵衛了)を相手に語ったことである。

(渡邊水庵覚書)



592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/23(金) 13:51:16.13 ID:+CjCiSmu
これって中村一氏が一番乗りを果たした渡辺了への知行を値切る口実に使われた
「悪い話」じゃないの?

スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    式典が長びくくらいなら、いっそ短縮したほうが有難い。出席する人間としては、だけど

  2. 人間七七四年 | URL | -



     そうだ。式典で長話はサッサと終わらせるのが礼儀というものだ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    初期の秀吉家臣の中でも武功に秀でてるにしては、余り評価されないのが
    マイナー武将の性なんだろうか?

    にしても、このブログにはヤン提督が居るみたいだw

  4. 人間七七四年 | URL | -

    結果二秒は少なすぎるだろ。
    コレは流石に長がくなりすぎるが

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/9052-c1a7c3d7
この記事へのトラックバック