回禄せし御弓衆折檻の事

2015年01月26日 18:43

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 02:10:08.55 ID:NzRXebs3
回禄せし御弓衆折檻の事

 天正六年正月二十九日、御弓衆の福田与一の宿から出火した。(織田信長は)
「これはひとえに妻子を引っ越させないせいで、出火したのだ。」
と仰られ、すぐに菅谷九右衛門(菅屋長頼)を御奉行として、名簿をつけさせられて調査されたところ、
御弓衆六十人、御馬廻六十人、合わせて百二十人が妻子を引っ越しさせていなかったので、彼らを一度に御折檻なされた。
 御弓衆の中から出火したことについて、先ず、曲事であるとのことで、上意として岐阜の中将信忠公に仰せ遣わし、
岐阜から御奉行を派遣し、尾州に妻子を置いている御弓衆の私宅をことごとく御放火なされ、宅地内の竹木まで伐採なされた。
これによって、大急ぎで、百二十人の女房共は安土へ引っ越しされた。
このたびの怠慢の罰として、安土城下の南の入江に沿って新道を築かせ、その上で全員御赦免された。
            -信長公記-

信長が強制的に安土城へ部下の親族を移させた逸話です
兵農分離に関して話題にされる話でもありますね




302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 10:07:05.79 ID:pn6/jIks
信長の命令無視してこの程度で済むとは........  (( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 14:09:06.85 ID:0y66URdF
それでも移住命令に従わない井戸才介なんてのもおるが
妻子を呼び寄せないどころか知り合いの家を転々としていたらしい
最後は岐阜で捕まって殺されたそうだが

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 14:25:32.90 ID:VOUV3X+2
なぜそこまで安土を嫌ったんだろうか

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 16:27:35.77 ID:YEWY6uVy
昔は「兵農分離」の先進的事例みたいに言われていたけど、現在だと逆に、旗本の城下町集住の不徹底さを
表していて、信長が「遅れた戦国大名」である証拠である、なんて言われたりもするね。
同じ史料でも解釈が変わると評価も全く変わるという典型みたいな話。

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 17:56:33.53 ID:LBlOcgGS
朝倉、今川、北条、武田あたりですら家臣を城下町に集めて住まわせてるのに、信長は遅いよなあ

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 23:54:45.04 ID:7r8A35J6
織田が兵農分離してたとするマトモな研究や論文を見たことがない
勝った側は何か革新的なことやったんだろうという妄想による産物だな

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/27(火) 00:43:44.62 ID:gHY9GrC8
この時代の軍隊なら、少数の中核精鋭部隊と、有事に徴兵で数をそろえる農兵のセットが普通
というか、19世紀に国民軍が採用されて兵隊のケタが一つ二つ増えるまではずっとこれ
兵農分離とかまやかし

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/27(火) 07:58:02.13 ID:QzFhkRZJ
それメリットあるん?
旗本を軽視してたんじゃないのかな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >>306は織田家がいつから大名になったと思ってるんだろう

  2. 人間七七四年 | URL | -

    土着がまだまだ染みついている時代で>>306の大名も将官未満クラスまで城下に住まわせてたわけではなかろうに

  3. 人間七七四年 | URL | -

    清洲→小牧→岐阜→安土と十数年の間に本拠地がこうも転々としていては直属の家臣と家族も大変だったと思う

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    信秀の跡を継いだ時点で大名だよ。
    ちなみに守護大名・戦国大名は現代の区分であり、当時のものではない。
    大名というものが規定されるのが安土桃山時代以降で、一万石以上の城持ちを指した。
    なお、尾張統一が1559年で、上の件が1578年。
    国持大名になってから19年後のことだね。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    んなわけねーw
    まあその説でいったところで、それより遥か以前に大名になってるところとは比べられんのは動かせないが。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    一万石以上が大名ってのは、江戸時代。それも少し経ってからの話なんだが

  7. 人間七七四年 | URL | -

    同じ領内でも尾張から南近江では抵抗も大きかろうし、それに信長ほど一代であれほど本拠地移動しまくった大名はいないのにな。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/26(月) 17:56:33.53 ID:LBlOcgGS
    >朝倉、今川、北条、武田あたりですら家臣を城下町に集めて住まわせてるのに、信長は遅いよなあ

    えーっと… 朝倉も今川も北条も武田(信虎の代で石和から府中に移してる)も何代も前からほとんど本拠は変わってないんですが…

  9. 人間七七四年 | URL | -

    信長が一代でどれだけ版図を広げたと思ってんだよw

    一国二国ならともかく、
    禄が石高なのに土地から完全に切り離すことがどれだけ難しいことか、ちょっと考えようや

  10. 人間七七四年 | URL | -

    このお引越しって織田家から給付金なり貰ってたのかな?
    もし自腹でお引越しなら、やっぱり面倒だから黙ってようか?と
    思ってしまう人も出たのでは?

    306は後の時代の人間だからこそ、そんな事が言えるって自覚が無いのでしょう。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    趣旨には賛同するけど、織田家は地域によって貫高と石高が混在してるよ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    >織田が兵農分離してたとするマトモな研究や論文を見たことがない
    >勝った側は何か革新的なことやったんだろうという妄想による産物だな

    征服戦争をし版図を広げていった織田家や豊臣家といった場合、領土の広がりに伴って加増転封させられる配下の武将が多くなっていく
    本貫地を安堵されたまま加増されるだけではなく、完全に旧領を切り離されて転封される配下大名は従来のような合戦時だけ徴兵される、数においては農民主体の軍のままではに非常に都合が悪い
    そのためどうしても常傭の専業武士の比率を徐々に増やさざるを得なくなっていく
    征服戦争が遂行されるに従い滅亡する大名小名も増えていくわけで、各地に主家を失った牢人が溢れ、また永禄から元亀年間にかけての東日本を中心とする飢饉や天候不順で離農する農民が経済の中心地である畿内などに多く流れてこんできている
    織田家とともに肥大化していく配下武将たちはそういった牢人やあぶれ者を専業武士や専業足軽の供給源としてそれぞれの軍団を拡充整備していく
    また、石山本願寺包囲戦や三木城包囲戦のように、1年以上数年に渡る包囲戦を行っている例を見ると、少なくとも織田家後期においては兵農分離はある程度進んでいたと考えるのが合理的であろうと思う

  13. 人間七七四年 | URL | -

    「ぼくのかんがえたおだぐんだん」は要らない

  14. 人間七七四年 | URL | -

    自分の知識不足、客観的な文書等への無理解、合理的思考の欠如を棚に上げて個人の「妄想」だとするとは…

  15. 人間七七四年 | URL | -

    言われているほど革新でもないし、それほど、遅れてもいなかったんだろ。信長語ると必ずこの極論になるような気がする。

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