丹波奥三郡之物成不残在々へ御返し被成候事

2015年01月31日 17:03

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 04:43:36.49 ID:TtK/bThA
関が原の合戦のあと、徳川家康様が細川忠興公に
「所領である丹後が戦乱で亡国となったので、代わりに丹波奥三郡の管理を任せたい。」と仰せになった。
忠興公は飯川豊前殿、左馬充の両人を派遣し、そこから福知山に年貢を納めさせた。
福知山城の本丸には左馬充を置き、二の丸には豊前殿を差し置いた。

徳川秀忠様は会津表からこちらに廻ってこられると、10月末に大阪城に上られた。
そして関ヶ原で働きのあった大名衆に褒美を与えられた。
忠興公へは利休所持の名物、尻に胴の茶入れを拝領された。
その時のご口上は詳しく記録していない。

11月の中旬頃、御国分けがあって、忠興様は豊前に下ることに決まった。
そのため、管理していた丹波奥三郡からの年貢は、残らず在地へと返還した。
(忠興様豊前へ御下相究り申に付、丹波奥三郡之物成不残在々へ御返し被成候事。)

福知山城は有馬玄蕃豊氏殿に与えられた。小野木が目録を作り豊前殿、左馬充両人によって
引き渡された。

忠興様は12月の初め、丹波を出発され、豊前中津に同26日に到着された。

細川忠興軍功記)

>丹波奥三郡之物成不残在々へ御返し被成候事

こことても大切。後の黒田との紛争的に。



338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/31(土) 04:46:54.65 ID:t90qAm2w
蔵がカラッポじゃあなw
黒田はケチで有名だったからガメられたと思ったんだろう

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    仇敵の遺領をシッカリと慰撫する。オレ、マジで仁君~♩
    と ほくそ笑みながら、次の任地に赴く忠興であった。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >尻に胴の茶入れを拝領された。
    一瞬「え?」と思ってしまった!
    どうにも毒されてしまったようだ。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    たんばおうさんぐんのものなりのこらずありありへおかへしこうむりなりそうろうこと
    でいいのかなwちがうかw
    三代目までは案外短いとも。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    たんばおくさんぐんのものなりのこらずざいざいにおかえしなられそうろうこと、じゃないかな。
    意味は、丹波国の奥三郡でとれた物産は、残らず在地の者にお返しになられたという事、になるから。

    古文で被~候って出てくると、~られた、に変化するんじゃなかったっけか?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    なるほど

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