永禄の変

2015年02月05日 18:46

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/05(木) 16:11:12.70 ID:vXXKuKaA
古今の将軍家並びに管領、その他天下に権威を振るった人々の事、時代の移り変わりの有り様を、
ある草庵に蟄居する老人に対し、若輩である私が尋ねて、その答えの内容をあらましを筆に表した。

その言われる事によると、光源院殿(足利義輝)のご自害、同じくご舎弟鹿苑寺殿(足利周暠)、その他
諸侯が討ち死にした事件(永禄の変)のそもそもの事の起こりは、細川右京太夫晴元の被官であった
三好筑前守長慶が、この管領の権威を受けて五畿内に勢力をめぐらし、それを誇って累代主従の義を忘れ、
ついに右京兆に敵対し、当時晴元殿には、他にも股肱の臣、肩を並べる朋輩など居たが、これらを尽く
摂州江口において天文年中に尽く討ち果たした。これによって細川家は没落、言葉も無い有り様であった。

そして三好は甚だしく驕慢を極め、かつて萬松院殿(足利義晴)が朝倉氏を御相伴衆に加えた例を出して
御相伴衆の地位を望み、その後三好長慶は御相伴衆に進み、松永弾正少弼久秀も御供衆に進み、
重ねてほしいままの義であった。

彼らは忝なくも将軍の直参となり、猶以って将軍のために馳せ働くべきであるのに、返ってさらに公儀に対して
違背するばかりであった。そのような状況だったので、双方に遺恨も生まれると察せられ、もしもの時に、
謀反が起こる可能性も考えられた。そうなっては一大事であるからと、将軍家は御館の四方に深溝、高塁、
長関といった堅固な防御施設を造営しはじめた。

しかしながら三好一党は、御門扉以下、未だ工事が完成する前に、急ぎ御所を包囲することに議決し、
永禄八年五月十九日、清水参拝と号して早朝より人数を集め、公方様に訴訟があると申し触れ、その訴状を
捧げ、その内容を受け入れるよう申し請うた。その間に御溝に人数を入れていた。

公方様の母君である慶寿院殿は、訴訟が叶えば公方様の身は恙無いと考え、「如何様なりとも受け入れるように」と
泣きながらご意見を様々申し上げられた。そのご心中は察するにあまりあるもので、見る人聞く者、皆袖を
濡らしたのである。

訴訟受け入れの是非を伝える御使が館を出ると同時に、土居の四方より軍勢が侵入し即座に鉄砲を放ち、
殿中へと乱入しようとした。これを防ぐ諸侯は数百人あった。中でも進士美作守はこの訴訟の御使として、
様々に折衝したことを不覚であったと憤り、その場で自害した。
同朋衆である福阿弥は鎌鑓で相戦い、この鑓にかかるものは数十人あった。

御所様は一同に最後の盃を下し、細川宮内少輔は御前に控える女中衆の装束を着て立ち上がり舞を舞った。
その姿は優にして遅れたる色もなかった。

さて、それから御所様は御前に利剣を数多立て置き、これを度々取り替えながら敵を切り崩し、
その勢いに三好勢は恐怖して、半ばは向かってこようともしなかった。そこで義輝は刀を放り投げ、
敵の処卒に取らせるようにして、近づいてきた所を斬った。こうして重ねて御手にかかる者達も数名あった。

近習の内志あるほどの者達は御先に進んで尽く討ち死にした。残ったのは女房衆と、まだ幼い者達ばかりであった。
彼らが御一緒となって幾千万の軍兵と戦ったのは、かつて項羽がその十万の騎兵をわずか二十八騎にまで討ち
減らされても、漢軍百万余騎を駆け破り、大将三人の首を取って鉾に貫いたという話に類するものであっただろう。
こうして、足利義輝はその最後を遂げた。

ご舎弟鹿苑寺殿の元へは、三好方より平田和泉という者が差し向けられ、同刻、御生害された。
彼の御供衆は尽く逃げ去ったが、その中に日ごろ目を掛けられていた美濃家小四郎と言う者が、
彼は若年であったが、即座にこの平田を討った。その身卑賤であったが、名を後代に残す者であった。

御次男である一乗院殿は御生害には及ばず、三好、松永を粗略にしない書面を提出した。
(永禄記)

永禄記より、将軍義輝が暗殺された永禄の変の模様である。





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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    細川宮内少輔ww

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ああそうか。
    義輝が死んだことだけしか認識していなかったけど、
    一緒に討たれたメンバーの中にも、
    統治を支えられるような有能な人材が多くいたかもしれないんだよな。

  3. ななし | URL | -

    剣豪将軍が長生きしてたら中興の祖になり得たか?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    信長以上の活躍は難しそう

  5. 人間七七四年 | URL | -

    剣豪将軍さんは自分に甘い長慶さん殺そうとしたりいまいち先のこと考えてない行動多いし、この時殺されなくても別の支配者に殺されたと思う

  6. 人間七七四年 | URL | -

    義輝の政策見る限りまともなブレーンが藤孝の他にいたようには見えない

  7. 人間七七四年 | URL | -

    人を守る戦いで
    守る対象より先に自決するってどうなの

  8. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    剣豪将軍さまは権威回復という使命感に燃えていて他は何も見えていないようにも思える

  9. 人間七七四年 | URL | -

    若い頃は親父といっしょに高飛びする日々を送ってたはずなのに、何故山城に拘って無駄死にしたのか
    それとももう逃げ続けてもしょうがないと思って、自分の代で幕府潰す覚悟でもしてたのかな

  10. 人間七七四年 | URL | -

    剣豪将軍さんの最後はなんだかんだで格好いいな。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    三好氏に対して表では良い顔して裏ではこそこそして(かなりバレてるけど)
    れば、そりゃ三好側にしたって誰が相手でも討つよね。
    むしろ三好家が細川家の件も含めて、良く今まで我慢できたなと感心する。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    義輝と義昭、人物のイメージは違うけど
    最大の保護者を奸臣扱いして自爆って点ではそっくりだな
    さすがに義輝の最期はかっこいいけど

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    これは「自分が足利将軍家を再建しなければ!」と云う意識が強すぎたのだと思ってます。
    だから自分が何かしたくても、祭り上げた家にしてみれば「余計な事しないで」となるし、
    それが続いて「もうこんな人達要らないから排除するぜ」と義輝・義昭は行動したのでしょうね。
    当然後世から見ればって事ですがね。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    相手に刀を投げて受け取ったところを斬り倒す、か。冷静に考えるとなかなか効率的な方法ではある。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    地面に投げて拾ったところを斬ったんじゃないのか?
    でないと「近づいてきた所を」ってところの意味が通じない気が

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    マスターキートンで、わざとナイフを相手の方に落として、相手の行動をコントロールする戦い方が描かれていたな。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    構えた得物を相手に向かって投げて「隙ありっ」とばかりに飛び込んできた所を
    別の刀でバッサリ…なのかな?

  18. 人間七七四年 | URL | -

    小太刀を投げた後に斬りかかったのかと思ってたが
    相手が近づいてきたんなら違うか

  19. 人間七七四年 | URL | -

    先に死ぬのも武士らしくならいいだろ。敵はある程度減らしたし。
    先のこととか他のこととかも結局権威回復ありきだと思ってたんじゃない?
    甘いとは言っても相手は油断ならんからな。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    細川隆是は大内義隆の自刃を見届けているからなぁ、二度目は主君の自刃を見たく無かったのか

  21. 人間七七四年 | URL | eqP7eH0Y

    ※12
    三好が義輝の最大の保護者ってアホだろw
    三好氏は元々阿波の豪族で、阿波公方家(義稙流)に近い一族だ
    こいつらが義輝を将軍と認めたのは政治的妥協で、本心から忠誠を誓ったか怪しい
    義輝からすりゃ、いつ自分を廃して政敵の阿波公方を将軍に担ぐかわからん連中なんだから、
    三好の勢力を弱めようとあれこれすんのは当然よ

  22. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    どちらにしろ義輝は身の程をわきまえていれば、もっと長生きをできたものを

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