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信長の行儀

2015年02月08日 17:21

619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/08(日) 00:04:29.12 ID:7pe8BeCN
 天沢と申される、天台宗の長老がいた。一切経を二回読んだ人である。或る時、関東に下る途中で、甲斐国で
武田信玄に一礼されてから通り行かれよ。」
と、奉行人が申されたので、信玄に会われたところ信玄が、
「出身はどこだ。」
と先ず国をお尋ねになった。
尾張国の者と申し上げると、郡をお尋ねられた。
「上総介殿の居城清洲から五十町東の、春日原の味鏡という村の天永寺と申す寺の中に住んでいます。」
と申された。
「信長の行儀をありのまま残さず話され。」
と仰せられたので、
「毎朝馬に乗られています。また、鉄砲の稽古の師匠は橋本一巴でございます。
市川大介を召し寄せて弓の稽古されて、普段は、平田三位と申す者を近くに置かれ、是も兵法の師匠でございます。しばしば鷹狩をされておられる。」
と申された。その他嗜んでいる数寄は何かあるかとお尋ねられると、
「舞と小唄を数寄としておられます。」
と申し上げられたら、幸若大夫を呼んでいるのかと仰せられると、
「清州の町人の友閑と申す者を、細々と召し寄せて舞わせています。殿は敦盛を一番よりは他は舞われません。
『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。』
と歌を付けて舞われます。また、小唄を嗜んで、歌われています。」
と申しなさったら、
「変わったものを好んでいるものだ。」
と仰られた。それはどのような歌であるか。と仰られたら、
「『死のふは一定、しのび草には何をしよぞ。一定かたりをこすよの』でございます。」
と申されると、ちょっとそのまねをしてくださいと信玄仰せられる。
「出家の身ですので、申した事もしておりませんので、できません。」
と申し上げても、是非是非と仰られるので、天沢はまねをされた。

「鷹狩の時は、二十人の鳥見の衆と申す者に申し付けられて、二里、三里先に出て、
『あそこの村、ここの在所に雁あり、鶴あり』と、一人を鳥に付け置いて、もう一人は注進する。
また六人衆というのを定められて、
弓三人   浅野叉右衛門、太田叉介、堀田孫七
槍三人   伊藤清蔵、城戸小左衛門、堀田左内
この衆は御手回りである。
 馬乗一人、山口太郎兵衛と申す者、鐙に藁につけて、鳥の周りをそろりそろり乗り回し、次第に近寄ると、信長は鷹を腕におらせて、
鳥が見つけないように馬の影に引っ付いて近寄られ、走り出でて、御鷹を出される。
向待という者を定め、鍬を持たせて、農民のように真似させて、田を耕すふりをさせます。
御鷹が鳥に取り付いて、組み合っているところに、向待の者が、鳥を抑えます。
信長は達者であるので、度々鳥を手に入れる聞き及んでおります。」
天沢が申されると、
「信長の武者ぶりがしられているのは、道理であることよ。」
と、納得したようすであった。
天沢が御いとまごいをと申し上げると、上るときは必ず来てくれと信玄は仰せられて退出した。
と、天沢は雑談された。
(信長公記)

ここでの話の信長は、今の信長のイメージと変わりありませんね
信玄が旅僧に歌を歌わせるイメージはあまりなかったですが
ちなみに、この後に桶狭間の合戦です



620 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/08(日) 02:28:37.70 ID:V1+N1IPg
冒頭でさらっと流されてるけど
大蔵経を二回読んだって凄いな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    信長さんは獲物が取れすぎると近所を回って御裾分けしてたって聞いた事が有るけど、
    若い頃の行状と云い、かなりフランクな人柄だったようですね。

    その他にも狩の後で平手さんを思い出すと、獲物を空に放り投げ偲んだとかもあるので、
    心から尽くしてくれる人には寛大寛容だったのでしょうね。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    信長のモノマネ、見たかったです。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    六人衆のうちの槍三人のなかに伊東清蔵の名前があるな。あれかね、信長公記じゃ編笠さんはこの記事が初出になるのかな。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    浅野叉右衛門は養子が浅野長政か
    小身時代の秀吉についていたから身分低い家系かと思ったが織田家の中でも十分中堅どころなんだな
    長政もどういう判断で信長の直臣でない道を選んだのかよくわからないなぁ

  5. 人間七七四年 | URL | -

    しかしまあ信長公記はこういう「こんなことありました」的な筆致で
    著者の価値観とか評価とかのバイアスもほとんど無いから
    歴史書というよりは事実の羅列になっちゃってるんだよなぁ……

    太田牛一さんはどういう執筆意図があって書いたのやら

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    浅野家自身は結構ごねていて、長い間与力扱いじゃなかったかな。
    正式の直臣扱いになったのは長浜時代からだけど、ここら辺は
    秀吉系列に親類衆と呼べる存在がなく、浅野家及び杉原家から
    補充しないといけないという状況が大きいんじゃないかなあ。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    そいや信長が「天下布武」のスローガンかかげた頃って、やっと美濃落とした程度で、周りの武田、上杉、浅倉、北条、毛利といった当時の主力大名達からは「中2の若僧が勘違いしてはしゃいでやがる、できるわけねー」扱いだったんだよね
    でも結果は歴史が証明してるわけで…
    最近イスラムな国造りをスローガンにしてるテロリストに対しての有志な大大名たちも同様な評価してたんだろうな~
    早めに潰しとかないと歴史は繰り返すからな~

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