410 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/14(土) 18:45:16.75 ID:l6hEP72v
布施左京進という大和国の国人は、越智、十市といった大和の有力国人の兄弟分で、
合戦の時も互いに筋々の働きを協力しあっていた。
ところがこの布施左京進が病死すると、その息子は武功も父に劣り、周辺の勢力からその所領の方々を
切り取られるような状況になった。
この頃、箸尾氏(為綱か)は近辺を切り従え、勢力が強盛となっていたため、布施へ使いを以ってこのように申し越した
『布施氏は我々の旗下になるように。これを拒否するのなら一戦仕ろう。』
これを見た布施氏は、箸尾氏に従いたくはなかったが、当面の計策として、和談し従った。
され、そのような所に、筒井順慶が織田信長に出仕し、大和国の旗頭と成った。
このため大和の大身衆は皆、筒井の元に参り振舞いをした。その座席に箸尾氏は先立って
参着したが、その後に布施氏が参った所、箸尾氏はこう主張した
「布施は我が旗下であるから、この一座に有ることは出来ない!」
これに対し布施は怒り
「それは一旦の謀として和した事に過ぎない!我々が箸尾の旗下であるという証拠はない!」
と反論した。
その座の雰囲気が大変危うくなったのを見た筒井順慶は、双方にこのように言った
「一端の計策としてそのようにするのは、言われなき物ではない。その上、武士として偽りなく
有り様を申し述べられたのは、神妙なことである。」
そういって仲直りをさせたが、しかし「上座はありえない」と、それ以後、布施は箸尾の下座に付けられる
事となった。それ故、布施氏は箸尾氏の旗下であると記録されているが、実際には、布施氏も
大和の新庶にて自分の知行を、現在でいうところの二万石ほど持っており、その上旗下の者達も多く有り、
箸尾に劣らぬ大身であったので、完全な旗下とは言えないものであった。
先に箸尾から旗下になるよう要求が来た時から、筒井順慶への振舞いまで、わずか50日ばかりの事であった。
少しの難儀を我慢しきれずそのように成ってしまったのは、無念のことであると、布施殿も申し、
またその家来の者達も口惜しんだ。
(大和記)
少しのタイミングのズレで、他の国人の家来扱いと成ってしまった布施氏についてのお話。
布施左京進という大和国の国人は、越智、十市といった大和の有力国人の兄弟分で、
合戦の時も互いに筋々の働きを協力しあっていた。
ところがこの布施左京進が病死すると、その息子は武功も父に劣り、周辺の勢力からその所領の方々を
切り取られるような状況になった。
この頃、箸尾氏(為綱か)は近辺を切り従え、勢力が強盛となっていたため、布施へ使いを以ってこのように申し越した
『布施氏は我々の旗下になるように。これを拒否するのなら一戦仕ろう。』
これを見た布施氏は、箸尾氏に従いたくはなかったが、当面の計策として、和談し従った。
され、そのような所に、筒井順慶が織田信長に出仕し、大和国の旗頭と成った。
このため大和の大身衆は皆、筒井の元に参り振舞いをした。その座席に箸尾氏は先立って
参着したが、その後に布施氏が参った所、箸尾氏はこう主張した
「布施は我が旗下であるから、この一座に有ることは出来ない!」
これに対し布施は怒り
「それは一旦の謀として和した事に過ぎない!我々が箸尾の旗下であるという証拠はない!」
と反論した。
その座の雰囲気が大変危うくなったのを見た筒井順慶は、双方にこのように言った
「一端の計策としてそのようにするのは、言われなき物ではない。その上、武士として偽りなく
有り様を申し述べられたのは、神妙なことである。」
そういって仲直りをさせたが、しかし「上座はありえない」と、それ以後、布施は箸尾の下座に付けられる
事となった。それ故、布施氏は箸尾氏の旗下であると記録されているが、実際には、布施氏も
大和の新庶にて自分の知行を、現在でいうところの二万石ほど持っており、その上旗下の者達も多く有り、
箸尾に劣らぬ大身であったので、完全な旗下とは言えないものであった。
先に箸尾から旗下になるよう要求が来た時から、筒井順慶への振舞いまで、わずか50日ばかりの事であった。
少しの難儀を我慢しきれずそのように成ってしまったのは、無念のことであると、布施殿も申し、
またその家来の者達も口惜しんだ。
(大和記)
少しのタイミングのズレで、他の国人の家来扱いと成ってしまった布施氏についてのお話。
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コメント
人間七七四年 | URL | ZPZR469g
上座はあり得ない、の上座ってどういう意味なんですかね?
単に席次の問題なら同席してる以上、旗下ってわけではないような気が。
席次争いだと景勝時代の上杉家中で色部氏と本庄氏の争いが有名ですが、
別に本庄氏が下座でも色部氏の旗下に入ったってわけじゃないですし。
( 2015年02月14日 19:31 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※1(私も人から前に説明受けただけなので違ったらスマソです)
ここの上座は「より筒井氏の近くに座れる席」でしょう。
>席次
まずその前の「この一座に有ることは出来ない」があります。つまり「何故この場に居るの?」
と言っています。ここで言う「同席」は単に「その場に居る事」であって、「同列(同位)」
ではありません。状況見てもこの時点で旗下に入っていると周囲も認識してる筈です。
(国人衆が周りを知らない筈が無いですから)
例え一時の計であっても、一旦他人の旗下に入ったのなら「そうなるような状況の家」だと
云う事です。もし抵抗し続けていたのなら、2万石近くの家。きっと扱いは「同列」だった
と思います。
( 2015年02月15日 14:07 )
人間七七四年 | URL | -
そういえば越前に、投降が一日遅れたせいで同列扱いされなかったとかいう狂犬がいたな
( 2015年02月16日 07:32 )
人間七七四年 | URL | -
要するに、「オレよりいい場所に座んなよ」では?
( 2015年02月16日 18:23 )
人間七七四年 | URL | -
席次は面目にかかわる大問題ですし
( 2015年02月17日 07:57 )
人間七七四年 | URL | -
北朝鮮の歴代将軍様が例えどうめ国主催でも国際的な行事に一切出ないのは、
この席順を気にしてのコトだって説もあるからね。
世界で一番えらハズの将軍様が端の方にいたら、メンツ丸潰れで国が破綻し兼ねないもんね
( 2015年02月17日 20:17 )
人間七七四年 | URL | -
こんな不毛でくだらないことが全国的に無数に繰り返されてきたんだろうな・・・
( 2015年02月18日 17:00 )
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