援軍

2015年03月04日 18:43

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/04(水) 01:25:36.12 ID:iPFCdSRy
援軍

慶長5(1600)年9月13日、直江兼続の大軍の前に畑谷城がまたたく間に落ちると、最上領内は大騒ぎとなった

最上義光は嫡男の最上義康を北目城の伊達政宗の下に遣わし「急ぎ援軍を賜る様」懇請した

義康が北目城に向かうのと前後し、西山形には二万余の直江軍が着陣。長谷堂城守備の志村伊豆(志村光安)と対峙した

北目城に馬をとばした義康に政宗は直ちに面会し、最上陣の粡(あらま)しを聞いた

政宗は少し席を外し重臣の片小(片倉景綱)に意見を求めた

景綱「最上は捨てて山形は直江にくれてやりなされ」

政宗「義光とは過去に諍いはあったが、修理太夫(最上義康)に怨恨はない。本当にそれでいいのか?」

景綱「それでは兵を出してはどうでしょう。ただし無駄な戦いはせずに最上と直江を争わせましょう
勝った方も疲弊するでしょうから残ったものを叩き、それから山形城を手中にしてはいかがでしょう?」

政宗「家康殿に上杉を相手に戦っている姿勢を見せねばなるまい。それに山形城にいるであろう母を見捨てることはできぬ」

政宗は「すぐに援兵を向かわせます。留守壱岐(留守政景)と屋代勘解由(屋代景頼)を先手としてまずは兵3000ほど出し
後から茂庭等も遣わしましょう
共に上杉を討とうではありませんか」と義康を励ました

義康は感涙し、ただただ頭を下げ政宗に感謝の辞を述べた

政宗(●Д゚)「…つー訳で政景は山形に援軍に行ってくれ。準備が出来たら屋代や茂庭とかもおいおい後から追加で行かせるから、
積極的には戦わないで、追って指示をするまで臨機応変に山形勢に合わせておけ」

9月21日、留守政景は兵1200を率いて笹谷口から山形へと入った

義光は留守政景を山形城に招くと軍議を開いた

義光(´・ω・`)「こたびの援軍誠に感謝致します!徳川様のために合力をし、是非に戦線を維持しましょう!」

…後に屋代景頼が増援として着陣したが、すぐに松川方面へと引き抜かれ、茂庭や他の将が代わりに来る事もなかった

「最上記」「伊達治家記録」

伊達家の記録では最上陣の援軍を馬上五百騎、鉄砲七百挺、兵三千(~五千)とし、
最上方の記録では伊達家からの援軍の数を騎馬百五十、その他徒士都合合わせ千百二十余としている




512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/04(水) 07:58:32.84 ID:fsAMEkax
>>508
オチが政宗らしいw

スポンサーサイト


コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    畑谷城の落城をきっかけに伊達政宗に援軍要請するってのは無いよ。
    最上義光は畑谷城を捨ててたんだから落城は分かりきってる事。

    しかし伊達と最上との数字の差が…
    まぁ、留守政景の手勢が援軍として来たのだから、最上の記録が正しいんだろうな。
    伊達の数字では留守政景の石高がハンパ無いものになってしまう。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    実際問題,最上本隊と伊達の援軍あわせて山形城篭城となったら,そこそこもったのかね。さすがに落城寸前までいったら伊達も後詰を考えなきゃならないでしょ。

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/9122-0eac78ea
この記事へのトラックバック