逆鱗

2015年03月05日 18:37

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/05(木) 04:12:34.98 ID:nfbRX8pP
逆鱗

慶長5(1600)6月、上杉景勝は大坂から国許の会津に下り、内府家康を討つために近隣の諸大名に一味同心を求め使者を遣わしていた

仙台正宗(伊達政宗)からは「由(よし)なに」と返事があり、中山北の山形義光(最上義光)からも「今しばしお待ちください」と宝物を伴った使いが会津を訪れた

上杉方では之を伊達と最上はややも同心したものとの返事ととって心を許していたところに、近国の諸大名が米沢口より会津攻めに最上を大将として山形に馳せ集まったと伝え聞き、さては謀れたかと大に怒り、さっそく家臣たちを召し集めた

「義光は時間稼ぎをして我等上杉を騙した。これは非常に許し難い事である
要所を堅め篭城すべきか、またはこちらから攻め立てるべきか」

そこに上方からの知らせが入り「関西の諸大名が大坂で挙兵し、伏見・大津の城を攻め落とし、猛威を振るっているばかりか、
山形に集まっていた北国の兵も自国での一揆の騒ぎに退散してしまっている」といった話も伝えられて来た

「これぞ天佑。義と天は味方にあり。義光を早々に退治し、酒田と永井(長井。置賜地方)を分断する後顧の憂い(山形の最上領)を取り除くべし」と評は決し、
直江兼続・春日元忠・上泉主水・水原親憲を先駆けとして最上陣(攻め)が決定された

「奥羽永慶軍記」




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    上杉側の軍記の「越境記」だと1600年7月の伊達政宗による白石城陥落を最上義光からの入れ知恵(最上が悪い。だから攻める)としている。

    越後で一揆を起こし、伊達と最上で考えたら最上の方が攻め易いから
    こういう理由を最上攻めのネタにしたのか?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    そういう比較なら、越後が最も攻めやすい気もするんだけど違うの?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    分断されている領土の接続,という目的が大きいのでは>最上攻め。ほっておくと庄内が各個撃破される恐れがあるし。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    分断されたうんぬんなら越後の方が好都合じゃないか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >>4
    越後には旧臣を配して一揆を起こさせていたからそう早急に復領する必要もなかった
    地図で見ると解りやすいのが「朝日軍道」と「最上川」ね。最上領を落とせば上杉側にとって後方兵站の地が確保される

  6. 人間七七四年 | URL | -

    「上杉軍の最上領侵攻」で画像検索すれば、最上領がどれだけ上杉側にとって厄介な存在だったかがわかりやすいかな?

  7. 人間七七四年 | URL | -

    上杉側からこの時の判断を分析すると最上攻め一択なのよね

    1.対伊達・・・石高的に短期で勝負を決められる程の差は無い
    2.対越後・・・上杉旧臣の一揆でしばらく身動き取れなくなってる
    3.対最上・・・4者の中で最も石高が低い、庄内との連絡が取れるようになる
    4.対徳川・・・結城秀康がそれなりの兵力で地形的にも攻めづらい所に陣取ってる
            中央での戦局に集中していて攻められる事はまず無い

  8. 2 | URL | -

    米5さま、米7さま

    だから
    2.対越後・・・上杉旧臣の一揆があるから比較的容易に落とせる。
            しかも攻めないと旧臣を見捨てた形になるから信用を失う。
            庄内との連絡は、遠回りだけどある程度改善される。
    4.対最上・・・4者の中で最も石高が低いので、こちらから攻めなければ
            自分から先頭に立って攻めてくる可能性はかなり低い。

    という発想だってありうるわけで。
    もちろん最上攻めは普通の発想でしょうけど、
    越後攻めも普通の発想だったのではないかと考えているのです。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    越後を後回しにしたのは土着で独立心の強い揚北衆を統制する目的もあったから、虎を野に帰す前に虎で最上領を取った方が良策と思われたんだろうね

  10. 人間七七四年 | URL | -

    いや会津から越後に抜けるルートって難所なんだよ
    それよりかは最上川沿いに下るルートの方がなんぼか楽

    越後の石高って一定しないけど堀家30(45)万石、村上家9万石、溝口家6万石と
    一揆で足止めしてるとはいえ、短期で決着をつけるのは微妙なライン・・・・・・

    *9
    そういや庄内を最上から奪い返した本庄さん、改易くらってたね

  11. 人間七七四年 | URL | -

    でもこういったこと考え出すと、秀吉の上杉・最上の扱いはつくづくまずかったな。
    上杉は領土分断させて家康の抑えに力発揮できにくくなってるし、
    その領土分断の最上は駒姫事件で筋金入りの反豊臣・親徳川になってるし。
    さらに越後を抑えさせた堀もgdgdで存在感無かったし。

    秀吉の頃の仕置きが、豊臣政権の命運を縮めた例がここにもって感じ。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    越後に上杉はそのままにしておいて、会津に細川か加藤(清)か黒田(如)辺りを異動させていたらどうなっていたのか

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    そこら辺の小大名に会津を与えると家中が急拡大しすぎで
    蒲生家の二の舞になりそうな…

  14. 人間七七四年 | URL | -

    >>12、13
    Ifでいいなら宇喜多なんてどうでしょ。
    うるさ型の重臣が土地から切り離されるんで、
    家中の統制力上もマイナスにはならなそう。

    ってか、会津の九十万国を継承するなら、
    江戸時代なら複数の家に分割ですよね。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    徳川上杉伊達佐竹最上の監視役だと小大名を束で置くより有能な大名一人を置いた方が確実

  16. 人間七七四年 | URL | -

    >>10
    越後入りの方が楽だと思いますよ。上杉は越後の麒麟山を支配しているので大河である阿賀野川を舟で下るだけで楽に新発田方面へ進めることも出来、輸送も会津からスムーズに行えます。新発田の乱では芦名家が新発田支援に活用し麒麟山を拠点に新発田城へ物質をガンガン送りました。

    堀家はお膝元の他に魚沼方面や刈羽方面など他にも複数広域で発生し各地要害に籠られ兵を割けない(刈羽方面では斉藤朝信の居城と越後最大規模の二田城を一揆が抑え柏崎、長岡、出雲崎、与板、見附、日本海の極めて広範囲を監視下におかれる状況になっていた。)上、溝口、村上領合わせて15万石も楊北衆の旧領で一揆の不安定要素を 孕み、数に劣る中、さらに下手な迎撃する余力はないでしょう。地元民と合力すれば兵力差もさらに広がり攻め手は勢いつき守る方の士気には悪影響がでる事でしょう。

    以上を考えると楽なのは明らかに越後進入です。ですが上杉が最上を攻めたのは、やはり米沢~庄内のラインを最上に阻害されるより直接統治し安定的なものにしたいという思いが先にあったのだからと考えます。
    つまり越後入りは楽だからこそ、先に行わず越後勢を足止めする間に憂いを除き。その後、会津、庄内、関川の三口より進入しようという腹積もり… だったのかも知れません。

  17. 人間七七四年 | URL | -

    あるいはその通りかもしれないけど、下倉城では掘家一門の者を討ち取るほどだったが所詮は一揆勢力て長持ちしないで個別に撃破されやすいから米沢が最上攻めてる間に阿賀野川口から数千でも越後に正規軍を送るべきだったとおもうよ。
    まあどちらにしても関ヶ原で負けたら意味ないんだが

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