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大阪夏の陣と禁裏

2015年03月06日 18:57

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/05(木) 19:42:17.75 ID:GCUzH/+m
慶長20年(1615)、関東と大阪の、大阪冬の陣での和睦が再び破れると、京都においては、大阪より多勢が上って来て
洛中洛外は一片も残さず焼き払う合戦に及ぶ、との沙汰で持ちきりであった。
このため京の人々は騒ぎ立ち、愛宕山、比叡山、鞍馬山の奥を訪ね、貴賤上下が財貨を隠し、
京の騒動は狼藉に及ばんとする有り様であった。

また禁裏・仙洞御所では、御庭から殿上まで、人々が財貨雑具を運び入れ、草花の園に至るまで、
人々は皆、小屋をかけてそこに籠もった。
帝は歴代、衆生を慈しみの目でご覧になり、無限の御慈悲を持たれていたので、昔よりこういう事が
起こるたびに、身分の後下を問わず、禁中に避難することを許されていたのである。
何とありがたいことであろうか。

板倉伊賀守がこの京中の騒動の有り様を関東へ注進すると、松平下総守(忠明)、本多美濃守(忠政)が
王城を守護するようにと派遣された。

(豊内記)

大阪夏の陣の勃興で混乱した京の様子である。




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コメント

  1.   | URL | -

    なんと懐の深い…
    こういった慈しみの心が日本で易姓革命が起こらない理由なんだろうな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    許されてたっていうか…ねぇ

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ゴジラが上陸したら皇居に逃げ込めばイイんだろ?
    あとゾンビも掘り渡れない

  4. 人間七七四年 | URL | -

    戦国期の信長入洛以前の御所の荒れっぷりといったら、今の皇居からは想像つかないレベル。
    塀はボロボロ、死体の腕咥えた野良犬がうろついたり、魔法半将軍に即位式を言ったら「無い袖振れぬ」とお断りされる惨状。
    そんな禁裏様の台所事情にいたく同情した街衆が色々と差し入れしてたらしいので、非常時に民を招き入れたのは、帝の慈悲云々ていうか、ご近所付き合いの延長って気がする。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    今も京都で災害にあったら、避難場所の一つとして御所が指定されてるというしな
    他には東西本願寺等、要は広い敷地を持った施設

  6. 人間七七四年 | URL | -

    当時の禁裏ってちゃんと安全なんだろうか…

  7. 人間七七四年 | URL | -

    >>6足利以降は政権を握った奴=朝廷の保護者って構図は確定していたから、幕府の面子にかけて守ったんじゃね?長慶も信長も秀吉も京の治安回復をしてくれたからこそ歓迎されたわけだし。
    ただ、家康や秀忠は朝廷を戦乱から守りつつも財政面でえげつなく締め上げたな。江戸時代も京の町衆達は禁裏はもとよりお公家はん達にもせっせと財政支援を続けていたとか。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    家康、秀忠が財政を締め付けたってのは嘘だなぁ。
    公家の所領は関ヶ原後に与えられたものが多いし、その後も折を見て
    加増している。

    信長によって息をついた公家が所領を再度横領されたのは本能寺の後に
    秀吉が勃興した頃だけど、これも秀吉に悪意があると言うよりは混乱の
    渦中で横領されてしまったと言うのが真相っぽい

  9. 人間七七四年 | URL | -

    いくら荒れても「禁裏」に手をかけたら、
    その時点で諸侯の支持はなくなるやろ・・。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    戦国期と大阪の陣の時では禁裏の広さが随分違っているのでしょうねぇ
    仙洞御所は戦国期には大名の屋敷が建っていたそうですし。

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