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三好長治の最期

2015年03月09日 18:42

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 09:41:18.66 ID:x1Ydy5is
阿波の三好長治は大酒遊覧を好み、甚だ無道な人物であった。
天正3年(1575)5月5日の夜、長治の屋形の上に、五丈(約15メートル)ばかりの巨大な山伏が現れ
終夜立っていた。
同7日酉の刻、西方より光る物体が複数現れ、相戦って消えた。
同18日、宵より彗星が出現した。その光は月日のようであった。
同夜、月明かりの無い中、大麻山より大船が二艘虚空を渡り、焼山寺の峰にかかったところで消えた。
人々は皆、いったい何事が起こるのかと恐れた。

長治の異父兄である細川掃部頭(真之)殿は、長治が驕り、様々な無礼をすることに遺恨浅からず、
これによって天正4年12月5日の夜、勝端城を忍び出てた。お供は仁木伊賀守、林喜内、そして中間2,3人ばかり
召し連れ、伊井谷まで落ちて福浦出羽守を頼った。
福浦は、里に近い場所では危険だと思い、仁宇山の奥に要害を構え真之をここに隠し置いた。
細川真之に旧功の侍である大栗右近、服部因幡、森監物、粟田宇右衛門、中津野六郎左衛門、
その他義士が数多集まりこれを守った。

三好長治はこのことを知ると軍勢を集め、天正5年3月上旬に荒田野口に在陣した。
ところが仁宇川は難所であったため、寄る事もかなわず徒に日を送った。

そういう所に細川真之勢は、一宮長門守成助、伊澤越前守頼俊を大将として後詰を仕掛けた。
三好長治の勢はこれは叶わないと判断し、火縄銃も残したまま、長治は重臣の篠原玄蕃頭の今切城に
引き退いた。そして篠原と相談し、再び軍勢を集め仁宇川まで押し出そうとしていた所に、
細川真之を大将として、一宮、伊澤、吉井左衛門大夫行康、多田筑前守吉次らが二千騎あまりで
今切城に押し寄せた。

篠原玄蕃は叶わぬと思い、城を捨て郡勘助の宿所へと逃げ落ちた。勘助は篠原を浅い古井戸に隠したが、
その上でこれを敵に知らせ討たせた。

一方、三好長治は土佐の国人である森志摩守を頼り落ていった。
長治と森志摩守は合図を決め、助任川に迎えの船を遣わしたが、その時期、弥生の雨の名残で
霧に霞み、船の水主が山を見違えて佐古の山下に乗り入れてしまった。
長治は助任川で迎えの船を尋ねたものの、これを見つけることが出来ず、そのため別宮へと移動し、
その里の庄を頼った。しかし里の庄は敵方に注進した。
一宮、伊澤ら二千騎あまりの細川勢が馳来て長治の宿舎を十重二十重に取り巻くと、
長治は最期の時世に

 三好野の 梢の雪と散る花を 長治とや人の云らん

そう詠んで天正5年3月28日辰の刻、自害して果てた。姫田佐渡守の介錯であった。
浜隠岐守、梶井又五郎(18歳)、原弥助正道も同じく自害した。

三好式部少輔康俊という人があった。彼は長治所縁の者で近習を勤め、長治に折々諌めたため、
金言耳に逆らうの習いだろうか、外様のような扱いをされていた。
しかし昔の情を感じ、一首を詠んで共に自害した。

 三好野の 花の数にはあらねども 散るには洩ぬ山桜哉

(三好家成立之事)

三好長治の最期についての記録である。




543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/09(月) 10:34:31.57 ID:y02EE4gA
真之は長宗我部の支援を受けてるのに土佐に逃げようとしたのか

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    この人って本当にいい話ないよね。
    どんなに悪名高くともいい話の一つや二つはあるもんだが。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >五丈(約15メートル)ばかりの巨大な山伏

    ウルトラマンにしては小さいな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    義統「せやな」

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    この人らに共通するのは
    御母堂が濃いというか、訳アリ物件なところかw

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4殿
    3殿が書いている人に関しては父親の影響のほうが…
    (母親もたしかに濃いですが)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    身内に名のある人が居ると、余計にバ○息子として目立っちゃうんでしょうね。
    当然、そう言われても仕方の無い事の方が多いのですけどね・・・。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6殿
    義統さんとかは、確かにそうですよねぇ。

  8. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    ※2
    モビルスーツやラウンドバーニアンよりも小さく、バトロイドバルキリーよりは大きい。
    モーターヘッドぐらいかな。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    MHはGTMへの設定変更ででっかくなってしまった・・。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    巨大な山伏は、三好家の全盛期を築いた長慶、もしくは支柱だった実休。
    山伏が去った後に現れた光る物体は、西方=土佐の諸勢力。
    月日のように明るい彗星が出現したことは、織田家の勃興を示唆している。
    大船が二艘空を渡ったのは、秀吉の四国征伐軍が淡路方面と讃岐方面から渡海したことと符合する。

    これらはすべて私のはったりである。ゆめ信じることなかれ。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    その時、彼の脳裏に去来したものは何であったろうか。長治「それでは皆さん、サヨナラ、サヨナラ・・・サヨナラ」

  12. 人間七七四年 | URL | -

    恥ずかしながら、地元の殿様、一宮成助が長門守だったことを初めて知った

  13. うさ※ | URL | tl.z6klY

    >土佐の国人である森志摩守を頼り落ていった。
    土佐の国人ではなく阿波の土佐泊の領主、森志摩守ですね。

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