鬼切丸巷話

2015年03月11日 18:51

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/11(水) 05:08:41.13 ID:RRi7Q4HR
鬼切丸巷話

その一

1561年、最上義光は父義守の湯治(鷹狩とも)の供として高湯(蔵王)の上湯付近の湯元屋※に滞在していた

その夜山賊の襲撃があり、少年義光は二人の山賊を倒し、顔に複数の傷を負いながらも賊の主魁を討ち取った
この息子の手柄に感心した義守は17才の時に楢下(上山)のいくさで最上の当主として頂いた伝家の宝刀「笹切」を義光にくだされた
この「笹切」の別名は「鬼切(鬼切丸)」とも伝わる

「羽陽軍記」「奥羽永慶軍記」

※現在ある湯元屋と経営者に繋がりがあるかは不明

その二

「鬼切丸」は新田義貞の佩刀の一振だったが、斯波家を経て最上家に伝わり、義光の佩刀にもなった

しかし八ツ沼城攻めで端武者の様な行いをその主にさせたのは、深い業(因縁)※というものだろうか

「山形の昔話」

※新田義貞の戦死の顛末は『太平記』に詳しく叙述されているが、義貞は藤島城攻めに向かっていたところを、斯波軍と遭遇し
敵に囲まれ結果として討ち取られた
『太平記』では義貞の行動は軽率で「身を慎んで行動すべきであったのに自ら取るに足らない戦場に赴いて、あたら無駄に命を落とした」とその死を「犬死」と評している

新田義貞の首級を挙げたのは
八ツ沼攻めで最上義光の猪武者振りを号泣しながら諌めた氏家守棟の先祖(氏家重国)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    関連 氏家守棟タグ「鬼切丸の話」

  2. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    義守「湯治に行く途中、ついでに鷹狩をしたのじゃ」
    義光「鷹狩の疲れを癒すために湯治場に行きました」

  3. 人間七七四年 | URL | -

    深い業にワロタ
    御先祖様と反対の苦労をする羽目にwww

  4. 人間七七四年 | URL | -

    氏家重国「大将自らがあたら一騎駆けするから」

    氏家重国、新田義貞の首と鬼切丸ゲット

    氏家守棟「殿自重しろ!」

    下手をすれば鬼切丸所有者の最上義光も敵兵に討ち取られる所だった

  5. 人間七七四年 | URL | -

    「鬼切丸(髭切)」イコール「貞宗(伝・亀甲貞宗)」といった話もある。

    亀甲貞宗は現在東京国立博物館蔵。元和頃の松平氏以降の伝来しか知られてないけれど、上記の話通りなら
    最上氏→最上義守→最上義光→徳川家康?→徳川秀忠→松平氏といった履歴(縁起)が追加される。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    「鬼切丸(髭切)」…源氏重代の刀で最上家に伝わる

    「笹切(伝・貞宗、亀甲貞宗とも)」…最上家重代の刀

    非常に紛らわしいから、混同されても致し方ない。

  7. ※5 | URL | -

    ※5
    鬼切丸(安綱/国綱)と亀甲貞宗(貞宗)はまったく別な刀です。

    「笹切=貞宗」と書くところをミスしました。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    鬼切って髭切だったのか

  9. 人間七七四年 | URL | -

    鬼丸、鬼切丸、鬼切
    同じ呼び名で違う刀だったり、違う呼び名で同じ刀だったり(汗)

    とりま
    髭切=鬼切丸(京都北野天満宮蔵)

  10. 人間七七四年 | URL | -

    >鬼切って髭切だったのか

    「髭切」のWikiと最上義光歴史館のホームページの「鬼切丸の謎」で再確認だ!

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