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山内の兼常

2015年03月30日 18:39

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/29(日) 19:21:49.12 ID:IvT2HKSX
山内の兼常

山内家の先祖、山内一豊が未だ若年で羽柴秀吉に奉公した時分は、わずかに三百石ほどの平士であった。

天正元年のいつごろか、秀吉の旗下であった梶原某という美濃の武士が密かに敵方に内通したとの報が
秀吉の耳に入り彼を成敗することと成った。
この時、彼を放し討ちする事となったが、梶原は勇士であったので一人では仕損ずるかも知れぬと、
三人の部下に命じた。この中に山内一豊も入っていた。

彼ら三人は籤をして、一番を某が、二番を某が引き、一豊は三番の斬手と決まった。

その頃梶原某は、美濃の名抦川の堤普請の指揮をするためその地に出張していたため、三人は
遊山観水のためと称し、梅ヶ寺という山寺へ居たり、梶原に
『折よく弁当も持参しましたので、どうぞお立ち寄りください。』
と使いを出すと、梶原早速やってきた。
三人が門外に出迎えて見ると、家来を十余人も引き連れていて、彼らは主人梶原の傍に付き添い
少しも離れない。三人は梶原とともに連れ立って寺の中に入った。

その時、一豊は少し後に下がって、「梶原殿のお供の衆が混み合っております」と声をかけた。
梶原これを聞くと十間ばかり立ち帰り、家来たちを叱って遠のけた。この時

一豊、「上意である!」と声をかけ、関の兼常の一刀を抜き打ちに斬りつけた。梶原は初太刀を受け損じ、
少し狼狽した所を、他の二名が駆けつけ遂に仕留めた。

この時に兼常の刀は梶原の大骨を断つことが出来なかったので、一豊は少々不満であった。

天正六年、中国にて秀吉が敵城を攻め落とし、自ら乗り込んだ時、明馬屋の内に鎧を着ていない
大男が居たので、秀吉が目ざとく見つけ「それ山内!」と声をかけると、一豊は例の兼常を以って
抜打ちに大袈裟に斬り放った。甚だ見事に斬れたので、秀吉は「素早き太刀風である」と賞賛した。

そののち、天正十五年、一豊の草履取りに不届きなことがあって、一豊は大いに立腹し兼常の刀を持って
追いかけた。すると草履取りは庭口より逃げ出し門前の橋の上から湖水に飛び入ろうとした。
その寸前、追い付くと抜打ちに斬って落とした。
この時も無類の切れ味であったという。

(刀剣談)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    これ刀が良いというより一豊さんの剣術スキルが上がっていく話のような

  2. 人間七七四年 | URL | -

    抜刀術Lv1からの成長記録だね

  3. 人間七七四年 | URL | -

    血を吸うたびに切れ味が増すのか?

  4. 人間七七四年 | URL | Cnub/O7I

    正純「で、一番手と二番手の某の方の名前は何と?」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    大きな骨は切れなかった
    →室内に居る相手を見事に切った
    →追いかけている相手が飛び降りた瞬間に見事に切った

    うん、段々抜刀術のレベルが上がっていってる

  6. 人間七七四年 | URL | -

    武将としての逸話は朝倉攻め等がありますが、一豊個人が
    刀抜いて戦ったと云う逸話は珍しいですね。
    でも三百石って普通の武士ならそこそこ待遇良い方なんだけどなぁ。

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