豊臣秀頼、出馬の事

2015年04月08日 18:44

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/07(火) 21:50:14.35 ID:dL07ArE8
慶長二十年五月七日、この日は大阪夏の陣における最期の戦闘となった天王寺・岡山合戦があったが、
豊臣秀頼は天王寺に出陣し、一戦を為して討ち死にすべしと言い、桜の門より出た。

ここに大野修理(治長)が御前に参り
「御出馬の事、先ずは前線にいる真田(信繁)と確認を取るべきでしょう。私が先に行って、
彼と会ってまいります。」
これに秀頼も「ならば遺書いで状況を聞いてこい。」と仰せになり、床机に座って桜の門に待ち居た。

大野が左衛門佐(真田信繁)の元に行くと、左衛門佐はこう言った
「現在、敵と5,6町(およそ5,600メートル)を隔てています。今、船場に備えている
明石掃部(全登)の人数を、幟をしぼって、この西の崖の影を密かに廻って、茶臼山より一町ばかり
先に張り出します。その合図を定めて、この陣より合戦を始める、明石の軍勢が横合いから掛かれば、
十に一つは利を得ることが出来るでしょう。
秀頼公の御出馬、一刻もお急ぎあるべし。」

これを聞き、大野は逸物の馬に乗って数十人を引き連れて駆け帰ったが、前日の合戦で生き残った
大阪方の軍兵たちは、これを見て敗軍したのだと思ってしまい、備も大いに乱れた。

大野は御前に戻ると、左衛門佐の指図の趣を申し上げた。その時、左衛門佐と一緒に居たはずの、
真田の子息である大助が御前に参った。そしてしばらくして「御味方、敗軍いたしました!」との報告が来た。

秀頼はこれを聞いても「出馬するぞ!」と言ったが、速見甲斐守(守久)御前に出て、
「御方敗軍と見えます。今、御出馬されたとしても大軍が崩れ掛かり、大敵を受けて何も出来ません。
御馬を戻し、御本丸だけを固く守り、時至らばお腹を召されるべきです。」
そう申し上げたところ、「その儀尤もである」と同意し、千畳敷へと入っていった。

しかし大阪城内は、このような状況であったので、軍兵多しといえども、皆気色を変え、心々に
落ちていった。秀頼はそのような光景を見ながら、奥の御所に入った。
しかし、かつて名高かった千畳敷も荒れ果てていた。その姿は、ここが完全に消滅した跡も想像させ、
なおいっそう哀れであった。

(豊内記)

豊臣秀頼が、出馬を断念した場面についての記事である。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    遺書いで…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ホント大野うぜぇ
    夏の陣だろ?もう好きにやらせてやれや

  3. 人間七七四年 | URL | -


    なんでも部下のせいにするのはなんだかなぁ。
    部下の制止を振り切ってでも出撃しない奴が悪い。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    Ngms「※3殿、良いこと言った」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※3、4
    氏家守棟「利いたふうな口をきくな~~~!!」ゴォワッ

  6. 人間七七四年 | URL | B7aCswa6

    威勢の良いこと言ったかと思えば肝心の場面で部下に流されて
    結局何がしたかったんだろ秀頼は

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ようするにお坊ちゃんだったんだろう
    人を押しのけてまで通すほどの自我がなかった
    平和な世の中なら悪いことじゃないんだけどねえ

  8. 人間七七四年 | URL | -

    それだけ大野のやり口が功名だったとも考えられる

  9. 人間七七四年 | URL | -

    いしょいでくれ

  10. 人間七七四年 | URL | -

    現代では「出馬」も「出馬断念」も選挙の話だけど、
    こういう話を見ていて、確かにイメージは近いと感じる。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    >ならば遺書いで状況を聞いてこい。
    これ洒落になってないって。

    つまり秀頼は大将としても武将としても武士としても気概が
    足りなかったのでしょう。
    教えを受けるべき父親は他界し、有力家臣達は徳川寄りに。
    生まれた時代が悪かったね。

    そう言えば、PS2の決戦だと秀頼の一騎駆けが見れるよ!

  12. 人間七七四年 | URL | -

    誤字ぐらいは許してあげようよ!

    しかし、最後に出陣していたらまた違う評価だったろうに。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    いやその誤字が実に良い味を出してるから無視するワケにいかんのよ

  14. 人間七七四年 | URL | -

    そんなに悪い話かなこれ?
    大将出陣前に前線の状況確認→確認中に敗戦確定→出陣してもどうにもならないので篭城
    一武将ならともかく、秀頼が出陣して何もできず討ち取られるなんてなったら・・・と考えたんだろ。血気にはやらなかったとみるか、武士としての意地が無いとみるか。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    >「何も出来ずに討ち取られる」
    そもそも、秀頼は最初から何も出来て無いのです。だから不味い政治状況作られた上で
    戦に持ち込まれたのですよ。各大名達が家総出で味方した人が居なかったのが良い証拠です。
    また、大戦のこんな状況になってからも、出馬云々と悩んでる時点で遅過ぎるのですよ。
    篭城は勝てるor援軍の見込みがあって、初めて効力を発揮するのですから、今更篭城した所で
    どうにもならないです。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※14、15
    さすがにこの時点にもなれば、豊臣方にほぼ勝ち筋がないことは理解してたでしょ。

    どの道負けて死ぬという大前提の中で、
    「どうせ死ぬにしても武士らしい散り際でありたい」
    「どうせ死ぬにしても首級だけは渡したくない」
    この2つの考えの折衷案として、
    「ギリギリまで抵抗した上で自害して最後は火をかける」
    という提案が出たんじゃないだろうか。

  17. 14 | URL | -

    ※15,16殿
    補足レスありがとうございます。休憩中に急いで書いたから言葉足らずで申し訳ない。
    上のコメで、秀頼の出陣云々についての評が多かったことに違和感があって、お二方の言うようにこれはそれ以前か、既に過ぎた段階の話では? と言いたかったんです。

  18. 人間七七四年 | URL | ufOA8zY6

    まあ日本のためには豊臣滅んで良かったねと思わざるを得ない
    二代目と官僚の能力が違いすぎる

  19. 人間七七四年 | URL | -

    譜代と言うコアもあり、時間をかけて段階的に拡大した徳川家中と違って
    短期間に急成長した豊臣家中は軋轢もいろいろとあった上に、秀次事件と
    関ヶ原でゴッソリ中核を失って死に体だったからな。

    単純に秀頼のせいにはできんわな。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    秀頼の不出馬、遺骸が発見出来なかったことに家康の意思は働いてないのかね。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    秀頼「ならばいしょいで」
    治長「噛んだな」
    秀頼「かみまみた」
    治長「!?ちがう、わざとだ!」

  22. 人間七七四年 | URL | -

    これでさっさと腹を切ればまだ格好もついたんだけど

  23. 人間七七四年 | URL | -

    討ち死には嫌だお
    切腹も嫌だお

    そうだ鹿児島に逃げよう!

  24. 人間七七四年 | URL | -

    米23殿
    無銭飲食されると困るんですけど。(by鹿児島県民)
    しかし、秀頼や信繁や豊臣勢がなんでそろいもそろって鹿児島に
    落ち延びる設定になるのか…
    やはり、関ヶ原の後に宇喜多さんを匿ったから隠れやすいと思われているのでしょうか?

  25. 人間七七四年 | URL | -

    ※24
    これは単に個人の推測ですが。仰る通り秀家さんの件もあると思います。
    また東だと美濃、日本海に能登・越後があり、太平洋側も遠州と関東で避けられません。
    陸も船も絶対に抜けられません。

    でも西なら船を使えば瀬戸内には島も多いし、(元)豊臣系武将の領地が多いので
    多少は温情をかけて貰える可能性がある。まさに微レ存ですが・・・。
    また、九州地方が日本の端だから舞台にし易いのだと思います。

  26. 24 | URL | -

    ※25殿
    ありがとうございました。
    >東だと美濃、日本海に能登・越後があり、太平洋側も遠州と関東で避けられません。
    東の状況に疎かったのでこの文章で納得しました。
    通りで明石さんの息子の左近さん(小三郎)がなぜ薩摩に潜伏してたのかがわかりましたよ。
    (光久の外祖母のカタリナ夫人のキリシタン発覚事件の余波で見つかってしまいますが)
    明石さんのもう一人の息子の内記さんは奥州の伊達藩領に潜伏していたそうですが、
    どうやって落ち延びたのか…

  27. 人間七七四年 | URL | -

    ※26
    多分真田家の件と同じく伊達家が拾った系か、身分を偽り奥州へ落ち延びた系
    では無いでしょうか?
    人は集団では嫌でも目立ちますが、個人では幾らでも隠れようありますから。
    また有名人の家族でも、他人が存在を知らないor顔を知られていないなら、
    余計に忍び易いでしょうね。

  28. 24・26 | URL | -

    ※27殿
    ありがとうございました。
    > 多分真田家の件と同じく伊達家が拾った系か、身分を偽り奥州へ落ち延びた系
    では無いでしょうか?
    自分もそう思います。明石さんの息子のことでなくてもなにか伊達家が拾った系の逸話
    があれば読みたいなあ。
    伊達さん家と島津さん家が「大坂の陣2代落ち延び所」に思えてきた…
    (せっかく2人とも落ち延びたのに、内記さんは逮捕され護送される途中に宇都宮で死亡
    してしまったし、左近さんは捕まって京都に護送された後は島津家や幕府の公式史料にも、
    キリシタン側の殉難史料にも表れないので、恐らく京都で処刑されたのではないだろうか
    と言われています)

  29. 24・26・28 | URL | -

    間違えました。
    「大坂の陣2代落ち延び所」⇒「大坂の陣2大落ち延び所」

  30. 人間七七四年 | URL | -

    最近ひらめいたが、真田が鹿児島に連れて行こうとしたのは秀頼じゃなくて、天皇だったんじゃないかって。
    考えて欲しいのは、嶋津家は九州征伐で秀吉にやられていたから、秀頼を匿う意味がない。
    歴史を紐解いてみても、国を二分する戦の時は、天皇を旗頭に立てていて、この時の天皇は徳川の味方ではなかったから、豊臣が天皇を旗頭にしなかったのは、最大のミスなんだよね。

  31. 人間七七四年 | URL | -


    流石に個人の誇大妄想が過ぎるぞソレは。そもそも豊臣徳川の戦いになんで天皇関係あるの?
    どう見ても一大名家に成り下がった豊臣家は死に体状態。なのに、どの辺が国家を2分する程の
    状況なのよ?そんな豊臣家に天皇や公家衆が肩入れする訳無いじゃないか。

    もし、万が一にも京周辺にもウジャウジャ居た徳川方武士達を蹴散らして、見事「天皇誘拐」が
    成し遂げられたとしても、それは豊臣以外の全大名家に対して朝的討伐の大義名分を与えるだけ。
    そんな連中を島津が囲うのかい?

  32. 人間七七四年 | URL | -

    ※30
    ごめん、すげぇ気持ち悪い。

  33. 人間七七四年 | URL | -

    お赦しください、あんとく様
    ※30は己が何を申しておるのかわかっておらぬのです

  34. 人間七七四年 | URL | -

    個人的には、単に辺境だからだと思う(※鹿児島市民です)。
    島津も太閤には恨みしかなさそうなのに、息子とは云えよく受け入れたもんだ・・・
    と思ったが、伝説でしかなかったなコレ。

    一応、「秀頼の墓→」の看板は目にしてたんだが、行ったことねーわ。
    道が狭くてな。

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