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片倉重綱と真田信繁の娘・いい話

2008年10月16日 10:43

617 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/02(土) 12:43:09 ID:8+4he+Ff
お梅(真田信繁の娘)と伊達家重臣、片倉重綱(重長)

大坂城落城の時、一人の娘(16歳)が徳川の先陣を勤める伊達家の片倉隊の前に現れた。
白の鉢巻きに薙刀姿の娘を見た重綱は、捕らえるとそのまま国に連れ帰り、後妻とした。
(信繁と重綱とは何度か戦いを交えており、自分が死んだ後、娘を重綱に託そうとして、
 梅に言い聞かせて置いた。)

重綱は、智勇優れた真田家の娘、梅を妻としたことを誇りにした。
そして片倉家の家紋はこれ以降、真田と同じ六文銭に変えられた。

時代は下り、松代藩三代藩主、真田幸道が伊達藩へ寄ったとき、
眞田と同じ家紋を付けた家臣がいるのを見てたいそう驚いたという話が残っている。




625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 13:07:29 ID:yhAuYTru
兼続はどっちかというと内政に天才を感じる。
120万から30万石になった時、家臣をできるだけ解雇しないで
なんとか生活が立ち行くようにした手段は鷹山が手本にしたというから、
ま、なんだ、来年がたのしみだな。

>>617
重綱の戦ぶりを見て、娘を託せるのはこの男しかいないと
矢文で重綱に娘との婚姻を頼んだという説もある。
あの真田に認められたのだ、という感激が六文銭の家紋への変更となったんだろう。
伊達家きっての美男子で当時29歳、於梅も悪い気はしなかったと思うな。

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 16:10:10 ID:hX+Cea4o
>>617>>625
え? 片倉家の家紋って六文銭になったの?
主君政宗から九曜紋を拝領してるのに変えるはずないと思うんだが・・・。
重長が梅と同時に保護した大八の家紋じゃないか?
大八は信繁の次男で梅と同時に片倉家に保護され、片倉守信と名乗ってる。
確か息子の代で真田に復姓してたような・・・。

まぁ何にせよ幕府から信繁の血筋を守りぬいた片倉家は立派だな。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | SFo5/nok

    六文銭を家紋にした片倉家は、阿菖蒲の嫁ぎ先ではないかい?
    子孫が、某大学教授のところ。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    六文銭の家紋への変更は副門を変更したのではないかと思われます。
    戦国武将は代々の家紋のほかにも、主君から拝領したり、名を挙げるきっかけになったもの等を家紋とすることがあるようです。
    丹羽長秀さんは刀に付いた血を拭った際にできた×の形を家紋としていたりしますよ。

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