蒲生氏郷、伊達政宗を出し抜く?

2015年04月26日 16:08

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/25(土) 20:27:37.87 ID:ehskVbmA
天正18年(1590)葛西大崎一揆が起こると、会津の蒲生氏郷は豊臣秀吉の命を受け、11月5日に出陣し、
7日に伊達政宗領との国境に至り、二本松に着陣した。

この時、伊達政宗は1万騎余りを率いて信夫郡の鎌田、本折、杉ノ目のあたりに陣を取っていた。
ここで伊達政宗には内々に下心があり、何時こちらに向かって攻めてくるかわからないというような
状況であったので、蒲生軍の先手より、蒲生四郎兵衛、玉井数馬の両人が、二本松の本陣に駆けつけ
氏郷に申し上げた

「前線ではそのように不穏な状況ですので、下々には喧嘩口論をしないよう随分と申し付けておきました。
また、政宗の謀反はもはや歴然であると、皆申しております。そのため、ここに2,3日も御逗留あって、
政宗の様子をよく見てからこちらの動きを考えるべきです。」

ところがこれを聞いた蒲生氏郷は、以ての外に激怒した
伊達政宗が逆心をするかもしれないということは、会津を出る前から覚悟をしていた!
どこであろうと謀反の色を立てたなら、政宗と一戦を遂げ勝負を決すると、思い定めて出てきた以上、
今更それに相違することはしない!

しかし今は、政宗についてはともかく、明日未明に出立し、政宗勢より先に押して通るべし!
この氏郷も明日早朝には出立する。そして誰であろうと我らが道を塞ぎ抵抗する者達がいれば、
そこで一戦を遂げる覚悟をせよ!」

このように、出立を見合わせるべきだなどという臆したような意見はひどく叱り飛ばされたため、
蒲生四郎兵衛、玉井数馬の両名は何も言うことも出来ず閉口した。

さて、その夜半からひどい豪雨に成ったが、それにも構わず、氏郷は払暁に二本松をうち立ち、
政宗領の大森城下に着陣した。
伊達政宗は油断していたため、氏郷に先行されてしまったが、それに気がつくと直ぐに出立し、
軍勢を押し立て押し立て、夜を日に継いで急いだが、それでも一揆勢の勇猛な者達は氏郷に押し付け、
大崎の境、政宗の領分である黒川というところに、11月17日に着陣し、翌日早朝より、敵地にて
戦闘を行った。

蒲生氏郷記)

葛西大崎一揆にて、蒲生氏郷伊達政宗を出し抜く?というお話。




693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/25(土) 22:30:44.46 ID:mNaZy1G0
>それでも一揆勢の勇猛な者達は氏郷に押し付け
おいw

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/25(土) 22:41:13.21 ID:YJHZw508
>>691
裸に鎧は一味違うぜ

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/26(日) 00:37:25.64 ID:ydlk+68D
工場長なら一揆もろともDQNを殺してもラスボスに許されると思うけど
なんでやらなかったんだろう。

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/26(日) 01:21:41.16 ID:s7u4W3fO
工場長を暗殺して許されたDQNならいるな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >>695
    それをやらないのが蒲生氏郷なんですねぇ……

  2. 人間七七四年 | URL | JPG8Eu66

    良くも悪くも優等生らしい品の良さを感じさせる男だよな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    そこまで氏郷に品行方正という印象は持ってないけどなあ
    俺は氏郷と政宗それぞれに魅力を感じているけどこの2人はまあ折り合えないのは
    残念ながら当然だった

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