武田の御備色かはる

2015年06月13日 14:23

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/12(金) 21:59:48.96 ID:3gD86tGa
武田の御備色かはる


天正元年4月12日に信玄公は御他界されたが、3年それを隠して3年目に遺骸を言い置いたようにして、
葬儀するようにとの信玄公の御遺言であった。ではあったが、周囲では大方他界したのだろうと
推量し、小田原の北条氏政は越後の上杉謙信に、武田信玄は他界した模様であると使いを送り、
また内々に遠州浜松の徳川家康へもこの情報が氏政より伝えられた。

駿河の武田配下の内にも朝比奈駿河、岡部丹後の両人は信玄によく親しんでいたため、この死去の情報が
伝えられると内々に涙を流し、その夜は岡部次郎右衛門を始め、尽く顔の色が変わったという。

ことさら、三河の徳川との前線にあった奥平美作守(定能)の子息久八郎(信昌)は寝返った。
仔細は、この武士は占いを信じたため、武田勝頼の酉年の年筮を、前年申年極月月末に卦を立てた所、
その詞に『馬前に人去りてかりぐんと称す』と出たのを、奥平父子は聞いて、

「信玄公は巳の歳であったので、御他界の噂は大方疑いない。」
そう考えて心変わりしたのである。

これについて武田勝頼は、東美濃に同年6月、出兵あるべきと主張した。これについて馬場美濃、内藤修理、
山県三郎兵衛、高坂弾正の四人を始め各家老衆は申し上げた
「それは信玄公の御遺言のように3年目を待ち、その上敵方より当方に攻撃を仕掛けてくるのを
待つのが尤もと存じます。」

これに対し、長坂長閑、跡部大炊介は申し上げた
「御屋形様の御意と、家老衆の分別との間を取って申します。まず当年は武田家分国五ヶ国の総軍勢を
出すことは止められ、甲州一国の軍勢を2つに分けて、山形三郎兵衛を先鋒に、穴山殿、一条殿に、
逍遙軒(武田信廉)を大将分になされ、遠州に出兵することが尤もと考えます。
また三河には馬場美濃を先鋒に、小山田兵衛尉に典厩(武田信豊)を大将にお定めあって、長篠の城を
家康が攻撃しておりますから、その後詰として用いるのが尤もです。」

勝頼は長坂・跡部の意見を受け入れ、三河へは典厩、馬場美濃、小山田を出兵させた。

然しながら、信玄が他界したため、武田軍は上から下まで気力をなくしていた。
長篠城の向かい、いぬの小山に典厩が着陣した時には、長篠城を守っていた信州先方衆は、降伏して
家康に城を明け渡していた。
さらに遠州のもりという場所では、逍遙軒は慎重さの足りない人であったので、家康の家老である
本多作左衛門、本多平八郎、榊原小平太の3人に敗北し、穴山殿と一条殿の二手によってなんとか押し返した。

山県三郎兵衛は家康の構築した小屋(前線基地)を落とすために人数を遣わしていたが、逍遙軒の敗北を聞いて
急遽一騎がけにもりへ駆けつけた。しかし家康の軍勢は勝って兜の緒を締め、早々に引き取っていたため
空振りに終わり、5日には山県を始め武田勢は各々甲州に引き上げた。

信玄公御他界の故に、武田の御備の色が変わったと言われたが、その元はここであった。

(甲陽軍鑑)




900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/13(土) 05:17:55.45 ID:pVaSQUy0
”三年秘す”は休戦して改めて情勢を見ろ、というのが真意だったにしろ
やりたくても実行が難しかったんだろうなあ

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/13(土) 10:12:18.23 ID:HgrFYgz6
斜陽の武田にどうしろと
晩年の信玄時代にすでにその兆候がwww

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/13(土) 10:29:23.65 ID:jsEGIf6d
>信玄が他界したため、武田軍は上から下まで気力をなくしていた。

信玄の死って領民は知ってたんかな?
一応、隠してるはずだから、噂として広まったとかかな?

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/13(土) 11:29:43.83 ID:wQSKW9Ij
>>902
そりゃ勘の鋭い農民兵だっていたろうさ

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/13(土) 12:14:38.65 ID:A4+FWdoX
単独では信長に対抗出来ないから浅井、朝倉と連合して決戦に持ち込もうとしてたんだろ。
それなのに三年間引きこもれってどんな呪いの遺言だよ馬鹿w
織田徳川の国人への調略は捗るし、浅井、朝倉、足利は各個撃破されて滅亡するし、武田もジリジリ追い詰められて結局滅亡…

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/13(土) 14:59:26.84 ID:9siNeuPf
信長が死んだらみんな元気になった織田家がうらやましいよね

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/14(日) 07:49:50.81 ID:KNGRzJLS
氏政が通報とか時系列メタメタだな

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/14(日) 19:06:13.81 ID:fiBHNssi
でも信玄死んだ後、
勝頼は遠州で家康にいい勝負してたろ

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/14(日) 20:38:49.49 ID:KNGRzJLS
長篠の戦いまでは武田方が優勢じゃないかな
前年には高天神を落としてるし、長篠の直前には吉田まで押しかけてる。

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/14(日) 20:38:54.32 ID:FMpj9mkM
信長もボコボコにしてたよ

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/15(月) 00:36:04.72 ID:R6NaIWeM
信長は各地の一向宗に散々痛い目に遭わされて
高天神城救援どころじゃなかった

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/15(月) 06:32:01.20 ID:ujlbBw6s
信長さん、間に合わなかっただけで
フツーに高天神の救援に来てますがな

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/15(月) 07:57:45.97 ID:l1MJCQAk
>>911
こんな手紙を受け取った叔父さんはどんな顔したんだろうか。

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/15(月) 09:06:08.22 ID:R6NaIWeM
>>912
高速移動が得意な信長さんが
間に合わなかったって言うだけで
本気で救援する気がなかったってのは解る

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/15(月) 11:31:56.76 ID:GRc0GSf0
長篠みたいなの毎回やろうとしてて兵隊集めてる間に逃げられたのかもね

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/15(月) 14:08:12.32 ID:spbNtHCS
長篠の戦いは鳥居強右衛門が信長さんにヘルプ出したおかげやね

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/15(月) 16:53:20.29 ID:ZwfcSEVp
酒井が鳶の巣を落としたからじゃないの?

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    >3年それを隠して3年目に遺骸を言い置いたようにして

    ここが気になった。
    3年まるまる隠し続けたら、葬儀は4年目だろ?
    従来言われていた「3年隠せ」って、
    「3年目に入るまで隠せ」が本当の意味で、
    隠さなければいけない期間は、従来言われているより
    もう少しだけ短かったのかも、と思った。

    些末なことだけど。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    それにしても信玄の死後にも信玄の名前で出された書状があった件は本当にびっくりした

  3. 人間七七四年 | URL | -

    御屋形様として勝頼が武田家を完全に掌握できる期間を考えると3年間ってのも変ではないと思うがな。
    実際、死を知って奥平は離反したし、勝頼が完全に権力を掌握できたのは、長篠で有力譜代やらがあらかた死んだ後だし。

    元々武田家という体制が特殊な上に、信玄の存命中に後継者の準備が疎かだったんだから。

  4. 人間七七四年 | URL | OARS9n6I

    場当たり的な遺命だよねえ。後継者の準備にしろ。ま、自分がもう死ぬとは思ってなかったって事だろうだけど

    ベスト遺命は、死を隠させず裏切り侵攻は前当主(自分)の一存だったって事にして、新武田は織田に土下座して再度何とか織田に附いて、当面は勝頼(→信勝)体制の確立がんばれ武田家がんばれって感じってか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    なんだか随分と武田家が低く見られるようになったなと云う感触です。
    そもそも相手の織田家だって信玄死後の武田家を甘く見てない筈ですよ。
    他の戦線が忙しかったと云うのもありますが、それでも数年間決戦といって良い
    本格的な直接戦闘は行われてない筈ですし。(精々局地戦といってよい)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    それは家臣が許さねえ。
    そんなことすれば、離反者が相次ぐか、サクッと勝頼が殺害されてどこぞの畠山家みたいな重臣達の合議による傀儡体制になるかのどっちか。

    とはいえ、土下座とまではいかないまでも、織田家の方からまた同盟しようと修好を呼び掛けてたから、それに乗るのは悪く無かったかなと思う。
    それ突っぱねて拡大戦略とった揚句、長篠で大敗してから織田に「そんなに同盟したいならしてあげてもいいぞ」って言って、「は?」って返されてるくらいだし。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※3
    奥平信昌らの離反は山家三方衆内の相論がこじれたのもあるし、
    一家をあげての離脱でもないから例としてはビミョーじゃないかな

  8. 人間七七四年 | URL | -

    親子そろって、家康の強かさに負けたからな。
    馬場美濃だって後悔してたよ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    上杉家「後継者決めて遺言残してくれただけいいじゃないですか」

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    2代揃って女嫌いって家も珍しいよね

  11. 人間七七四年 | URL | -

    秀吉「2代揃って」
    秀次「衆道嫌い」
    秀頼(2代?)

  12. ※11 | URL | -

    秀次は女好きなだけで衆道嫌いじゃなかったね。ごめんね。

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