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筒井順昭身代わりを立てる・いい話

2009年01月10日 16:03

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 15:52:04 ID:7cxILCkm
大和の大名、筒井順昭は天文十九年(1550)の夏の頃より病に伏せがちとなり、
南都林小路の外館において養生していた。
七月七日の七夕祭り、順昭は山田道安・慈明寺順國、福須美順弘、飯田頼直らの一族と、
島左近、松倉右近、森好之の三老を密かに呼び寄せ、こう語った。

「我が命もこのままでは、来年の夏まで持たないであろう。わが子藤勝(後の順慶)はまだ幼く、
わしが死ねば、松永らがこれ幸いと攻め滅ぼしに来るのは必定である。そうさせないための方法を
一つ、考えた

奈良角振町の鷹隼の祠近くに、黙阿弥という盲目の者がいる。彼は顔立ちや声色、
年の頃もわしによく似ておる。
もし、わしが死ねば、これを秘密にし、密かにこの地に葬れ。そして黙阿弥に事情を申し含め、
わしの床に入れ置き、お前達も以前と変わらず給仕せよ。
そのようにして三年間、喪を隠し通せ。そして藤勝を守り立てて、筒井の家を永く残して欲しい。
これがわしの遺言じゃ。」

翌二十年六月二十日の辰の刻、順昭は没した。享年二十八歳であった。

一族と家老たちは、順昭の遺言通りにその翌夜、遺骸を外館の奥に人知れず埋葬し、
それから黙阿弥を密かに呼び寄せた。そして彼に事情を話し、順昭の身代わりとして
南都林小路外館に置き、一族の4人と家老3人が、依然と変わらず仕えた。
この事は、この7人と近習の4、5人の他は知る者もなく、筒井家の家中の者たちも、そして
敵方も、順昭は病身ながらいまだ存命であると信じ、筒井領は敵に攻め込まれることなく
平穏な時をすごした。
この間に筒井家の首脳部は体制を整え、1年たった天文二十一年(1552)六月、順昭の死を公表した。
大和の諸氏は、大いに驚いたという。

黙阿弥は多額の金銀や衣服を与えられ、角振町に帰された。黙阿弥は元の盲目法師となった。


これより、物事に成功してまた昔の状態に戻ることを、「元の黙阿弥」と呼ぶ様になった。



898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 16:29:08 ID:JW2u+UF8
途中まで口封じのために殺される話かと思った

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 16:46:35 ID:AcKTwicX
>>898
このスレだから、んな事はない、と信じてた(ドキドキしながら)

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 18:03:39 ID:xaY/22g2
>>898
別パターンとして、『一年間筒井家の殿様やってれば知られたくない軍事秘密も
知っているはず。木阿弥は殺した方が良いだろう。』と重臣達が決めてあわや
風前の灯火、となったところで順昭未亡人が『それではあまりにも不憫だから…』と
恩情を掛けてやり、ある日の夜に木阿弥に琵琶を一本渡して京の町へと逃がしてやった、
結果として木阿弥は筒井家総領からただの琵琶法師になり、『元の木阿弥』になった、
というのもある。
天正軍記にも『嗣子(順慶)長ズルニ及ンデ、木阿弥、又モトノ市人トナリヌ』と表記があるそうな

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 18:04:56 ID:tzpcoh1q
>>890
悪い話なら、「洞が峠を決め込む」の逸話やな。
もっとも、洞が峠にいたのは順慶じゃなくて光秀やけど。

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/07(水) 20:14:12 ID:jwGTLcVL
>>899
括弧内も含めて、同じく
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