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西国にて第一の弓取りは、黒田勘解由である

2015年07月14日 13:04

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/13(月) 23:31:14.33 ID:SiPwLPjQ
小田原の役、秀吉の軍勢は小田原城を囲み日々これを攻めたが、これを落城させることが出来ず、
無為に日々を多く送ったため、諸軍の士卒も長陣に飽きてきた様子が見えた。

ここで秀吉は尾張清州城に置いていた小早川隆景を呼び、この状況を打開する策はないかと聞いた。
隆景は答えて曰く

「この度の長陣は、秀吉公のたやすき勝利の基本となるものですから、ご心配も然るべきものです。
ですので、先ず城攻めを止め、弓鉄砲も止められ、その代わり仕寄等に念を入れ、敵の夜討などが
入らぬようにし、用心堅固に仰せ付けられ、若き輩には音楽をさせ、下々には小唄を歌わせ踊りを踊らせ、
味方の気をくつろがせ。長陣の覚悟をさせ、敵の気の屈するようにするのが、然るべきでしょう。」

秀吉はその旨に従って軍勢に下知したため、味方の諸軍は戦を止め、あちこちの陣所で謳い、舞、
囃子の音、踊りの声がしきりに聞こえるように成った。これにより味方は長陣の窮屈を忘れ、
敵方はこれを聞いて気を屈し力も弱まった。

その後、黒田孝高(官兵衛)、小早川隆景は敵の気が屈した時節を考え、秀吉に申し上げた
「今や良き時分です。徳川家康は東国の案内者であり、特に北条とは縁者ですから、秀吉公は
家康とご相談なさって、和議を持ちかけるべきでしょう。
現在、小田原城中は追い詰められていますから、必ずこれに同心するでしょう。」

秀吉も尤もだと思った。北条氏直は家康の婿であったのである。
秀吉より、北条を降参させるようにと家康に相談するため、黒田孝高がその使いとして度々家康の元に
派遣された。
ある時、使いの孝高が家康の御前を下がった後に、家康は孝高をこう絶賛した

「西国にて第一の弓取りは、黒田勘解由である。」

この頃、黒田孝高は秀吉の御用が無いときも、しばしば家康の元に行って物語などした。
これによって孝高は、いよいよ家康に君徳があることを知り、かねて志を属したのだという。

(黒田家譜)




403 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/07/14(火) 05:26:29.50 ID:x6VFdDis
あれ?この話前に出ていませんでした?

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/14(火) 06:36:03.79 ID:Cop9a00z
孝高「今日は内府に馳走になってのう…内府自らわしの手を取り案内をしてくれたわ」
長政「それはどちらの手ですか」
孝高「右手じゃ」
長政「その時、父上の左の手はどうしていたのです」

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/14(火) 12:51:01.58 ID:k4FcCftr
あいにく手元に村正がなくてのぉ

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    404読んでたら、だんだん黒田親子が本多(佐渡)親子と重なり始めてきた…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    >>403ガイシュツやな
    ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8111.html

    しかしこの話、何度読んでもタイトル通りに賞賛されるのは
    如水じゃなくて隆景叔父ちゃんのほうやろ、とツッコんでまうわw

  3. 人間七七四年 | URL | -

    ※2殿
    403です。ありがとうございます。
    既出な上に出典も一緒か…
    あと
    >何度読んでもタイトル通りに賞賛されるのは如水じゃなくて隆景叔父ちゃんのほうやろ
    同感ですね。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    隆景「なに、切れすぎて危険視されることを思えばスケープゴートの影に潜むのも悪くないのだよフフフ」
    元就「さよう」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※4
    鬼武蔵「切れすぎてと聞いて」
    富田長繁「やって来ました」

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    其処らはすでに危険じゃ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    官兵衛「世間では切れ者と言われています」
    鬼武蔵「世間では切れ者と言われています」

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