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豊臣秀長の事

2015年07月22日 12:51

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/21(火) 21:04:35.30 ID:PSm1DkDK
天正19年

この年、太閤秀吉は伏見の城を築き隠居所として、大阪の城と掛け持ちにした。諸大名以下は伏見に
屋敷を構え、代わる代わる出仕した。

4月、太閤の側室が男子(鶴松)を産んだ。太閤は50を越えるまで子がなかった所、若君の誕生に
喜び限りなかった。国持大名、旗本の面々、ことごとくこれを賀した。

このような目出度い折に、太閤の舎弟である大和大納言秀長卿は、久しく病に臥せっていたが、
遂に空しくなられた。太閤の連枝、男子はこの秀長卿一人であった。

当時は戦国の頃であり、人倫の法も乱れ、兄弟で争うような者達も多かったが、
秀長は秀吉によく従い、いつも先陣を務め、或いは一方の大将として戦功度々多く、武勇優れ、
秀吉をよく助けたため、秀吉よりの友愛も深く、官位も大納言に昇り、禄は大和、泉、紀伊三ヵ国を
領して、国家の柱石となられ、天下の人々は彼を仰ぎ尊んだが、たちまち黄泉の人となってしまった。

太閤の嘆き悲しみは浅くなく、これこそ大いなる憂いであると考えられたが、その秋の頃、
この年4月に生まれた若君もにわかにかくれられた。太閤は悲しみのあまりであろうか、清水寺に
3日逗留されたが、近臣を集めて仰せに成った

「日本国は既に、ことごとく手の中に入った。この上は秀次に日本を渡し、大明国に入って四百余州の
王となろう!去年朝鮮より使者が来た時。書簡を朝鮮に贈り、大明を討つときは朝鮮は必ずその
先手をせよと告げたにも関わらず、未だその返書はこない。ならば、先ずは朝鮮を征伐すべし。

朝鮮が我に従うのなら、先手として大明に入るべし。もし従わないのなら、先の朝鮮を滅ぼしてその後
大明に入るべし!来春は必ず、大軍を朝鮮に出撃させる!」

そう、諸将に触れられたのである.

(黒田家譜)

黒田家譜より、豊臣秀長への評価と、朝鮮出兵の宣言についての記述である。
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    当たり障りのない内容だと思う 家譜にしては

  2. 人間七七四年 | URL | -

    唐入り反対してたらしい秀長が
    死んだから、秀吉も朝鮮出兵宣言に踏み切ったって事か?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    それも理由として無いことはないだろうけど、
    結局のところ悲しみを紛らわせるために何かをしてないと居ても立ってもいられなかっただけなんじゃないか、と思ったり

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >>太閤の連枝、男子はこの秀長卿一人であった

    甥が何人かいるだろw

  5. 人間七七四年 | URL | -

    連枝は兄弟姉妹を指すんやで。
    甥は含まれんのや。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    桂連枝

  7. 人間七七四年 | URL | -

    現在伝わっている限りの秀長像は、本当に当時では珍しい立場ですね。
    元々実家が半農足軽の家系だから、親や家臣の暗躍で秀吉に取って代わる
    立場でもないし、成長して活躍しても兄を立てて行動してる。
    これだけ仲が良い親族も珍しい。

    単に仲が良い武将達なら他にも居たかも知れませんが、やはり多少は相続関連
    での事柄はありますからね。

  8. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    甥っ子にはきびしかったけどね

  9. 人間七七四年 | URL | -

    厳しいというか、病死した秀勝以外、子孫含めて家族根絶やしにしてるからなぁ…

  10. 人間七七四年 | URL | -

    秀長が健康で長生きしてたら豊臣政権はどうなってたんだろうなあ?
    秀次の代わりに誅殺されてるだけかもしれないけどw

  11. 人間七七四年 | URL | -

    別の逸話で「たとえ子供が蘇って来たとしても朝鮮出兵は諦めない!」と
    秀吉が語ったという話もあったようなおぼろげな記憶が

    きっかけはそれだとしても日本どころか他国を巻き込む超大事業を始めた以上
    即座に諦めるわけにもいかず意固地になって居たと思われていたのだろうか

  12. 人間七七四年 | URL | -

    八幡になるためには三韓征伐の真似事が必須 だが江戸時代にはそれが大っぴらには書けない
    加えて、大衆は偉人のやったことでも矮小化して考えたがる
    合わせるとこんな話が生まれるのではないか

  13. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    ※5
    原義はそうだけど、この時期の用法としては連枝には一門の意味があると思う。
    例えば太田牛一は信長公記の馬揃えの項で信忠や津田信澄を連枝と表現してる。
    だから秀次ほかは甥だからより、全部女系だから外したって考えるべきかも。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    跡取りの国松や自分の死後に後継者を補佐するであろう秀長が死んじゃったから、
    ここで秀吉がションボリしたら、豊臣政権の弱体化に直結しちゃうんじゃない。

    まだ、ほぼ戦国気分の連中からを見れば、
    「ここで弱った秀吉を始末して、うまくいけばオレの天下にしてやるぜ!」
    ってな考えを抱きかねない。

    自分はまだまだやれる的なところを見せることを狙ってたんじゃないかな。

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※14
    それ鶴松

  16. 14 | URL | -

    ※15

    いやああああ!
    戦場でウンコ漏らすより恥ずかしい!

  17. 13 | URL | -

    ※15

    いやああああ!
    戦場でウンコ漏らすより恥ずかしい!

  18. 人間七七四年 | URL | -

    ↑大事な事だから2回言ったんですね?分かります

  19. 人間七七四年 | URL | -

    毛利や島津も兄弟で争わず協調してるけど、
    お家のためにって雰囲気が強い。
    秀吉、秀長は個人としての結びつきが強い気がする。
    まあイメージでしかないけど。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    毛利も島津も家の結束のあると思うけど
    個人の結び付きもあると思う。
    あくまで自分の感想だけど。

  21. 人間七七四年 | URL | -

    島津はわかんないけど毛利は個人の結びつきの側面もあると思う
    北条も毛利のそれに近いと思うな

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