四天王名臣録、伊達政宗編・いい話

2009年01月11日 00:04

39 名前:四天王名臣録 4/4[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21:32:04 ID:afOtHKON
慶長18年(1613)、伊達政宗の五男・宗綱が成人し、烏帽子親として茂庭石見守綱元が
選ばれ、綱元の屋敷で元服式が行われた。

祝いの宴席では能が舞われ、膳には豆ご飯・イワシの塩焼き・芋汁が並んだ。

翌日、仙台城で成実と祝宴の話になった政宗は、
(  ●Д゚) 「能は良かったけど、メシがイケてなくてなァ・・・」と正直にこぼした。

共感を覚えた成実は後日、綱元に会うと、「主君に粗末な膳を出すとは非礼ではないか」
と、素直な感想を告げた。

これを聞いた綱元、即座に政宗のもとへ飛んで行き、主君に詰め寄った。

「あの人取橋の戦の折り、殿は

『早く世を平和にして豆飯だの、焼きイワシだの、イモノコ汁だのを腹一杯食いたいのぉ…』

と言われました。それゆえに今、この時にそれらを召し上がっていただいたのです。
その志をお忘れになるとは・・・!!」

(●ω・`) 「 ・・・・・・ 」
さすがの政宗も、日ごろは温厚な男の熱い涙と叫びに、言葉も無かった。



以上、四天王を支えた人にスポットライトを当ててみました。連投スミマセン。




54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 01:26:50 ID:vxd0Nmn0
>>39
>『早く世を平和にして豆飯だの、焼きイワシだの、イモノコ汁だのを腹一杯食いたいのぉ…』

なにこのかわいい野望

55 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/11(日) 01:51:49 ID:gKgM8zi6
子供の頃 おいしいものが食べれなかったんで
大人になって美食家になったんかねェ

食べ物にも能にもすごいお金を使ってたんだろうね

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 02:26:23 ID:64iID+Az
>>54-55
「このかわいい野望」を実現するために...

・小手森城の撫で切り(37564)しちゃいました、テヘッ☆

・二本松義継ごとパパンを撃ちますた、テヘッ☆

・葛西大崎一揆や南部領で和賀一揆を煽動しちゃいました、テヘッ☆


 あ、あれ?いい話の続きを河口と思ったのに((


68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 02:47:13 ID:ubY1pgY8
可愛い野望だな確かに。


69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 03:42:01 ID:URsQgQdr
正宗なら(ry
スポンサーサイト


コメント

  1. 七氏 | URL | gnl9WTs6

    伊達政宗には厳しい忠言をしつつ、昔の好物をよく覚えていてくれる忠臣がいたと言うことと、戦乱が沈静化して食料事情が改善して、昔「あれをたらふく食べたい」と思っていたものが宴会に出すものとしては粗末と思えるようになった。
    二つの意味で良い話だ。

  2. 人間七七四年 | URL | FKySkP76

    政宗は美食家すぎてメタボだったんだっけ

  3. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ネズミ汁で死にかけとるやないけ

コメントの投稿

(コメント編集・削除に必要)
(管理者にだけ表示を許可する)

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://iiwarui.blog90.fc2.com/tb.php/939-8b187928
この記事へのトラックバック