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当家滅亡の物怪に

2015年07月26日 13:16

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/25(土) 22:06:45.82 ID:WliaOztJ
卯の年(天正7年 (1579))春より、駿河国、富士の大宮の大杉より煙が立ち上った。これを武田勝頼は聞いて、
吉田守警斎を召し、常の間にて諸人出仕の人々が聞いている中、少しも隠すことなく、先の大杉より
煙の出たことを尋ねた。吉田は承ると、神道にある

 千早振る 我心より成る業を いずれの神がよそとみるべき

 身は社 心の神を持ちながら よそを問こそおろかなりけり

この二首を引き、「お気にさえ懸けられなければ問題はありません。」と申し上げた。

これを聞いて勝頼は言った
「少しも気にしていない。何故なら何事があろうとも、滅亡して退くと思えば心に懸かるべき物はない。
さてまた、この勝頼を押し詰めて滅亡させるべき人物は、日本国中でも大身であるから、
越後の謙信、安土の信長、安芸の毛利、小田原北条氏政、この四人の内以外にはありえない。

第一の候補は大身と言い武功と言い、長尾輝虎であるが、これは去年他界してしまった。
北条氏政は私の8最年長だが、彼の父氏康と違い、武功において恐ろしいことはない。
安芸の毛利も、今は代替わりの最中というし、その上国が隔たっている。

信長・家康は両人力を合わせ我が家を倒そうと企んでいるが、家康こそ5年前の長篠の戦いの後、
駿河に出兵しているものの、信長の方は長篠の後も、信州の内に手を出すこと少しもない。
家康の働きも、我らの旗先を見ては即時に引き上げている。これ偏に信玄公の御威光が残り
斯くの如しだ。

さりながら、信長家康に、北条氏政が内通したようであるから、ついにはこの勝頼、滅亡するであろう。
滅亡しても、信長の旗下に成るなどということは、御旗楯無もご照覧有れ!そんなことはありえない!

それに付き、当家滅亡の物怪に、富士大宮の杉より煙が立ったのであろう。」

この時勝頼は少しも愁いた表情はなく、嘲笑いながら座敷を立ち奥に入っていったと、後に勝頼の近習衆が
語った。

勝頼公はあまりに強き御屋形であると感じ、春日惣二郎、ここに書きつける。

(甲陽軍鑑)



110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/26(日) 01:27:08.09 ID:75rkLFJE
大身といいながら家康が出てくるあたりがなんとも

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/26(日) 04:50:37.16 ID:wCQo3NPd
まさに韓信の化身やな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    一瞬、小田原北条氏政が小田氏治に見えたんだが暑さのせいかな…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    あまりに強き御屋形ってどういうニュアンスなのかねえ?
    やっぱり困惑の意味合いが強いのかな

  3. 人間七七四年 | URL | -

    将の五危の意味で「あまりに強き御屋形」だったりして…(´・ω・`)

  4. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    「上司のノリが超体育会系でついていけません」
    ていうことじゃないかな。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    強情、の意味も含めてるのかな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    なにげに氏政が高く評価されてる

  7. 人間七七四年 | URL | -

    他の三家は割とご近所さんだからわかるけど、例えにしても、安芸の毛利はいくらなんでも距離離れすぎてやしませんかね…

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    強気ってことじゃないの?
    弱気にならないから慎重になりづらいし、配下の将や兵の気持ちが分からない

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※2
    甲陽軍鑑の「あまりに強き」は破滅する大将4パターンのひとつで
    勝頼への批判として延々と書き続けてるもの。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    当家滅亡!

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    先代が遠く離れた立花道雪の武功に目を爛々とさせていたと言うから対峙する毛利の情報も普通に伝わってたのでは?

  12. 人間七七四年 | URL | -

    こういう話では、確実に絡まれてこない島津家。悲しいっス。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    いや、絡まれるからいいとは限らないし。

  14. 人間七七四年 | URL | -

    記事の方か※の方かは分からないけども、記事の1579年は島津が耳川で大友をぶちのめした翌年だし、挙げられた大名と比べたらまだ地味な時期だな

  15. 人間七七四年 | URL | -

    家康は大身として出してるわけじゃないでしょ

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