田中吉政、石田三成を捕える

2015年08月03日 18:34

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/02(日) 20:37:55.40 ID:10eOLgVS
徳川家康は関ヶ原で勝利すると、16日には佐和山を攻め落とし、明日は大津に出る、という時に、
田中久兵衛吉政が申し出た

「私は先日関東にて、必ず石田三成の首を取ると申しましたが、その甲斐もなく落ち延びさせたこと
無念に思っています。そこでお暇を賜り、近江は我が生国ですから、草を分けても三成を探し出し、
それでも行方が知れなければ越前北之庄あたりまでも逃れたのでしょうが、どこの国までも
探し出して参ります。」

その場より出立し、地理に詳しい伊吹山のあたりで200人、300人の落人を搦め捕り、切り捨て、
残る所なく探していたが、”かうつくま”という所に山寺があり、三成は幼少の時ここで手習いを学び、
その縁を頼んで寺の縁の下に2,3日隠れていたが、9月23日の月が出た明け方、寺の前に出て
月を詠み、どこかに落ちていこうとした所を、運の尽きか、百姓たちに見つかり、三成は色々言い逃れたものの、
逃れ難く縄をかけられ、田中吉政の前に引き出された。

その時三成は浅ましい姿であったが、吉政はその姿を見るや三成に近づき、その縄を解き捨てた
「侍の行く末というものは、誰であってもこのようになる事、珍しいものではありません。
ですのでどうか、何事もお任せください。徳川殿の御前で、私の今度の戦功に変えてあなたのお命を
申し受け、たとえ山の奥、島の中であっても、安全に送ります。」

このように謀り透かした

「舌があっても食事をしなけれな詮無きものです。」
そういって馳走し、その後落ち着くと、吉政は密かに三成に尋ねた

「あなたが送った、諸国の諸大名への計略の書状はどうなさったのですか?」

「それらはすでに、去る所において山田の中に入って捨てた。」

「では、あなたのお道具の類はどこにお預けになったのでしょうか?
もしお道具が誰かに取り出されれば、資産を無くしもはやあなたが再起する事は出来ないでしょう。
ですのでこの田中に教えていただければ、いかようにも取り計らい、あなたに進上致します。」

石田三成は本来流石の人物であったのだが、この時の境遇であったので完全に欺かれ、
「なるほど尤もである。」と、大阪、京都に残し置いた物、或いは彼が潜んでいた寺の下に埋めた物も
残らず掘り出させた。吉政はこれを厳重に梱包し、徳川家康に提出した。

そして「治部少輔が生け捕りになった姿をご覧に入れましょう。」と、今までは主人であるかのように
遇していた三成に縄をかけ、長持ちの中に入れた。三成はそれでも「とにかく、田中次第にしよう。」と
言うように成っていた。

三成を入れた長持ちが大津の陣所に入ると、一方は村越茂助に持たせ、後のほうを吉政が担ぎ
家康の御前に参ると、三成の身柄を確保したことに家康は殊の外喜んだ。
「先日の小山での言葉に相違なく、一層神妙である。」と、北近江を、瀬田の橋を境として
吉政に与えるとした。吉政は「私の生国でもあり、別して辱い次第です。」と感激して
申し上げた。

ところがここで、彦坂小形部が反論した。
田中吉政は、以前は石田三成の腹心ともいえる人物でした。
そんな彼に大国である近江を与えるというのは、次に乱が起こった時、彼がどんな行動を取るか
大変心許なく思います。」

それでも「今度の田中の働き比類なし」ということで、内談の上、彼に筑後一国が与えられた。
石田三成は、小西行長、安国寺恵瓊と同様に、京の市中を引き廻され三条河原において斬られた。
38歳であったという。

(明良洪範)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    三成「ポエムを詠んでたら捕まったでござる」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    田中家がこの後断絶しているだけに三成さんにこの時に呪いでもかけたんじゃないかと思えてくる
    (もちろん断絶の理由は別にあるんだけど)

  3. 人間七七四年 | URL | -

    田中吉政が石田三成を捕らえた話って美談とするものもあるけど
    それまでの経緯とかを知ってると、こういう風に勘ぐりたくもなるよね

    美談の方が殺伐とした戦国時代からの連続を感じられるけど

  4. 人間七七四年 | URL | -

    田中「またつまらぬ者を捕えてしまった」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    三成さん微妙に若くね?
    まあ2歳なら誤差かもだけど

  6. 人間七七四年 | URL | -

    田兵さんは佐和山上攻めの時も卑怯な手を使った逸話があったけど、
    結局の所はこの手の行いだって武士の計略なんですよね

  7. 人間七七四年 | URL | 6m5BDBwc

    田中・山内・藤堂は好きになれないな。特に太閤5で山内一豊が義理高いとかないわ。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    前に書かれた小西行長が捕らえられた逸話と、今回の逸話を比べたら覚悟があるか、ないかの違いだろうね。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    馬の骨っぽい出自からくる独特のしたたかさが、
    微妙に好感度に影響していそうなメンツではあるw

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※7
    その面子に寺沢広高入ってないことにワロタw

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    戸田勝隆さんあたりも
    同じような匂いを感じるw

    朝鮮で戦病死なのに、領地の民から
    「悪政の報いで狂死wwwww」ってディスられるとかどんだけだよ

  12. 人間七七四年 | URL | -

    今の柳川城下町の基礎を作って2代目で改易ってあたりは
    隣県の加藤清正と似たりよったりの関ヶ原以降の経歴だが
    地元人気や知名度がえらく清正公さんと違うな

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※10
    寺沢は息子のほうがインパクトでかいからなw

  14. 人間七七四年 | URL | -

    戦国時代の武将に江戸時代風の忠誠心を
    押し付けるのはどうかと思うんだ

  15. 人間七七四年 | URL | -

    よりによってその後に(戻って)来たのが本人岳父実父更には祖父曾祖父揃って戦国時代で忠義を通した吉弘家の立花さんだし、比較したら卑怯者に見えるのはもう仕方ないとしか。
    (立花の忠義にも異論はある人もいるだろうが比較対象が田中吉政さんだとw)

    ※11
    開発のやり方が違う、領民への説明が違う、戦歴が違うとかも影響してるだろうけど何より前任者の現地人気が違いすぎますし。

    徳川さんも立花さんを旧領に戻したのは粋なはからいだけど、田中さんち的にはちょっと酷い事してるよね。

  16. 人間七七四年 | URL | -

    柳川生まれだけどこの人知ってる柳川人滅多にいない
    柳川城跡地の近くの川のほとりにひっそりと田中さんの功績を顕彰する銅像が建ってるが…

  17. 人間七七四年 | URL | -

    西のパーフェクト氏は好きだけど、個人的には「忠義」って価値観は取り扱いが難しいと感じる
    それぞれの人の立ち位置や条件、主君の性格やら実情も含めると現代からじゃ色々と分からない事も多いので。

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