耳塚

2015年08月05日 17:09

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/05(水) 16:45:02.16 ID:wohhXPCg
朝鮮の役のこと

朝鮮の王城に集まる日本勢10万あまりは、戦うこと無く徒に日を送っていたが、太閤秀吉より
使者がしきりに来て、『唐人(明)が軍勢を出してきた事こそ幸いである。急ぎ合戦を遂げるべし』と
仰せ遣わされた。

都にあった三奉行並びに諸大将は、合戦すべき謀を日々に相談したが、明の朝鮮派遣軍の大将である
李如松は20万の軍勢で開城を固く守っていたため、たやすく攻め寄せることも出来なかった。

この間諸将は戦をせずに都に久しく逗留していたが、秀吉より
『朝鮮に渡った日本人の数と同じほど敵を殺し、その耳を切って送り届けよ。」との
命令があった。これに諸大将はそれぞれ家臣を出し、都より1、2里、あるいは3,4里も敵を求めて
馳せ行き分捕りをさせ、彼らが打ちとってきた切り耳を日本に献上した。
豊臣秀吉はこの耳を集めて京都に上らせ、大仏の前に埋めて耳塚を築かせた。

古のもろこしにも切り耳を献上することがあった。これは敵を誅した印として左の耳を切ったものである。
日本の上代にもこの法を用いたのか、神功皇后が新羅を征伐されて帰陣の時、この新羅の香椎の里で
とどまり、耳塚を築かせた。
またもろこしでは、敵の死骸を多く積んで、その上に土を高く盛ったものを京観と名付けた。
京観とは大いに示すという意味である。敵に打ち勝ってその印を残し、自分の子孫が先祖の武功を
忘れないように、大いに示すのだという。

秀吉が耳を献上させ耳塚を築かせたのは、これに似ているようだが、その兵を用いられる道は
異なっている。

悪逆をなし国を妨げ民を害する者を滅ぼして、それについて永く子孫に武を占めるのが、古の道である。
また『武』という文字は『戈を止める』と書くのであるから、武を用いて敵を討つのは、乱を鎮め
民を安んじ、戈を止めるためなのである。人の国をむさぼって、人を多く殺すことを武とは言わない。

天道は生ずるを好み、殺すことを憎み、善に福し、悪に禍する。
善悪の報應は必然の理である。疑うべきではない。
ここを以って、古より和漢とも、人を多く殺す将は、必ずその家は滅び子孫は長く続かない。
天道恐るべしである。

戦に臨んで人を殺すのは、止むを得ずすることなのだ。人を殺すのを好むのではない。
人を多く殺さずに、敵を屈服させるのを良将と呼ぶ。

朝鮮の松雲が四溟堂集に、こう書いた。
『秀吉は人を殺すことを好み、見聞きする者これを恐れた。
家康は人を殺すことを好まず、人皆これに服した。
そして秀頼の存亡は未だ知れない。』

私(貝原益軒)は彼の感想を当然だと考える。

(黒田家譜)



158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/05(水) 16:54:05.98 ID:KvVlLsJK
言いたいことはもっとハッキリ

159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/05(水) 20:23:52.71 ID:k4cVQ0pU
黒田は正義

160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/05(水) 22:41:27.81 ID:CaGfqn6T
>>158
家康ラブ

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    武という字は、「戈を止める」と書くというというのは、春秋左氏伝が出典なんだけど、2000年ぶりくらいに、これが誤りであることを証明したのが、白川静。

    止は、足跡の形を字にした象形文字がもとで、立ち止っている状態の意なんだそうな。
    このため、武は、戈を持って立っている人の図を字にしたというもの。

    なお、歩は、止を2つたてに書いた字で、足跡が2つあるから、1歩動いていることを示すため、歩くということなんだそうである。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    文字の意味はどうあれ秀吉が武に則ってないのは分かる。知武双方で滅ぼすことにかけては天才的でも残すこと増やすことは「性格的」に得意ではなかったのかも?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    晩年の秀吉じゃなぁ……

  4. 人間七七四年 | URL | -

    本当にこの頃の秀吉はどうしてこんな姿になっちゃったんだろう?
    こう言う話しを聞いちゃうと、人間って何かの切欠で変な方向に向かって
    しまうんだなってのが、まざまざと見せ付けられてる気がする。

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >香椎の里でとどまり、耳塚を築かせた。
    おっ、地元に近いじゃんと思って調べたら高校時代の通学路脇でワロタw
    全く知らなかったわ

  6. 人間七七四年 | URL | -

    出兵が「明出兵」ではなくて、半島統治を主目的とした、
    「朝鮮出兵」だったら、行動と評価は変わったのだろうか?

    結果は‥変わらなかったかもだけどさ。

  7. 人間七七四年 | URL | -

    ※6
    半島統治の発想時点で秀吉政権オワタでしょうね。当時の半島じゃ、
    ろくな経済成り立たないでしょうし。
    統治とは一部の特産品や技術でどうこうできる物でないですからね。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    当時の朝鮮は文禄、慶長の役で壊滅させられるまでは豊かな国だったよ。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※7※8
    日明両軍40万を足掛け6年養えたということそのものが生産力の裏付けだよね。
    もっと痩せた食糧のない土地であれば対陣自体が不可能だったに違いない。

    とはいえ、民間資本が息してない朝鮮半島で経済を回すのは確かに至難と思われる。
    市場による分配機能が働かないので国が徴税で吸い上げて再分配するしかないが、
    豊臣家の統治機構でそんな真似をしたらおそらく事務量でパンクする。

  10. 人間七七四年 | URL | -

    源頼朝もそうだけど、権力者になり、天下が安定すると、兄弟や親族に疑心暗鬼になるのかな。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    天下をとって…その先(目的)が無いから、手段自体が目的になってしまったんではないか?秀吉は。
    元々信長の遺志がこびりついていて、その果て…とも言えるのかも。
    いずれにしても…国を経営し民をどうするかという事についてのビジョンはホントに感じられない。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    家康は、親族を抹殺した秀吉を見てるから、異母弟や息子達の事には慎重になったかもしれないですね。それか秀吉には「信長に劣等感」があり、信長を越える為に「明を征伐する」って思ったのかな。

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