文禄の役の和議の模様

2015年08月06日 14:18

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/06(木) 12:27:18.76 ID:6LDCYi5a
大明の石司馬と言う者は、明において朝鮮のことを司っていた。
秀吉の朝鮮出兵を受け、どうやって朝鮮に入り日本の兵を退治すべきか計っていた所に、
沈惟敬と言う者、先年日本に渡った鄭皿という者に遭って、日本のことを尋ね聞き、
今度の朝鮮の乱で大功を立てようと考え
「私は日本のことをよく知っている!」
と触れ回った。

石司馬はこれを聞いて対面し、人を得たと大いに喜んだ。
彼は祖承訓らの敗戦に凝りて、重ねて大軍を催さなければ日本人と戦うのは難しいと思い、
この沈惟敬に、朝鮮に行って和議を整えるようにと命じた。
これによって沈惟敬は朝鮮に渡り、小西摂津守(行長)が平壌に在った時に対面し、
明と日本が和睦すべきということについて議論した。

小西行長は7ヶ条の要望を書き、「この事が整うのなら我らは和議に同意する」と伝えると、
沈惟敬もこの条件を了承したため、裄長も同心し、和睦を結ぶことを許可した。

ところが沈惟敬が明の帝都に帰りこの件を奏上すると、群臣の詮議はまちまちであり
俄に結論は出なかった。このため和議は未だ成らず、その間に李如松が大将として大軍を引きい
朝鮮に渡った。ここに至って沈惟敬もまた朝鮮に渡り李如松と対面し、石司馬の意をのべて
日本と和議を結ぶべきとの内容を語り、また小西のもとに来て相談した。

そこで、去年小西より要求した7ヶ条のうち第4は大明より秀吉を日本国王に封ずべきとの内容であったが、
小西や三奉行を始めとして。朝鮮の在陣には労苦が多かったので、どのようにしてでも和議を整え、
戦争を終わらせて日本に帰りたいと思っていたため、この一項を言い換え、『秀吉を大明の王に封ずべし』と
日本に申し送った。その上、朝鮮の二王子を返せば、朝鮮八道の内四道を割譲する。日本の帝王を
明の天子の婿とするであろうと、沈惟敬が言ったため、これを小西及び三奉行が申し上げると、
秀吉は喜悦し「そういう事なら戦をやめて和睦しよう」と、朝鮮在陣の諸将に対し伝えた

「日本側が要求した7ヶ条に大明が同意した上は、加藤主計頭(清正)が生け捕った朝鮮の二王子、および
臣下たちを送り返すように。朝鮮の王城にいる日本勢は釜山浦まで引き取るように。」

また開城府を守る李如松も、日本勢が王城を出たなら、同じく軍勢を残らず引き連れ開城府を立ち退いて
大明に帰るべしと定められた。
これによって、4月18日、日本の諸将は皆、王城を引き退いた。
小早川隆景の謀にて、各陣所に火をかけて立ち退いた。
大事の退き口であるので、大明の大軍が後を追撃してくることもあるため、黒田長政に
殿を務めるようにと議定し、その旨に任せた。

また都より釜山に帰る途中に大河が在ったが、長政はここに船橋を渡し、王城より帰る兵を
残らず渡すと。その後船橋の綱を切って捨てた。
李如松はその後やがて、日本軍と入れ替わりに王城に入った。

(黒田家譜)

黒田家譜より、文禄の役の和議の模様である。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    石司馬ってーのは、沈惟敬と以心伝心だった
    石星のことかな?

  2. 人間七七四年 | URL | -

    黒田家譜はいい度胸してんなー

  3. 人間七七四年 | URL | -

    洋船造って農民ジャンジャン送り込んでたら違ったものになったかな?

  4. 人間七七四年 | URL | -

    明の婿になるわけもないし喜悦もしないだろw

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