大阪冬の陣の時の、福島正則

2015年09月08日 18:28

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/08(火) 12:18:48.56 ID:Hk+BZSPx
慶長19年8月下旬、徳川家康は片桐市正(且元)を江戸に呼び出し、秀頼の奉納した
大仏の鐘の事悪しきとして(方広寺鐘銘事件)、御袋(淀殿)か秀頼が江戸に下るようにと
片桐に申し付けると、片桐は大阪に参り、「御袋様にも秀頼様にも、どうにかしてお下りなされるべきです」と
申し上げた。

秀頼は片桐まで心変わりして大阪に戻ってきたかのように思い、色々あって、福島正則にこの件について意見を
申すようにとの求めがあり、正則は大阪によしみのある堀田角左衛門という武士を上らせ
秀頼に意見を申し上げた

「御袋様が江戸にお下りになり、家康公と御対面した上で再び大阪に帰る事こそ尤もです。
江戸において、御兄弟方とも参会されるのがよろしいでしょう。」

しかし秀頼はこれに同意せず、殊の外立腹し
「重ねてそのような意見を言ってはならない!」との返事であった。

さて、正則はこの使いの堀田角左衛門に、予めこう申し付けていた
「大阪より御返事を取れば、それを私に報告するより先に、直に家康公に差し上げるのだ。」

家康は堀田より届けられた秀頼の返事を見ると、殊の外立腹し、早速京都に出陣することとなった。
諸大名衆も尽く大阪に馳せ向かったが、この時正則は家康に申し上げた

「私には、秀頼を攻めることは出来ません。ですので嫡男の備後守(忠勝)を上らせ、私には
江戸留守居を仰せ付けられますように。」

家康もいかにも尤もであると思い、「では備後守を急ぎ上らせるように」との事で、
備後守は大阪に上った。

(福島太夫殿御事)

大阪冬の陣の時の、福島正則の対応である。



284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/08(火) 21:01:51.23 ID:eUZyDxLo
御兄弟方って誰?
御姉妹の間違いで、江の方のこと?

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/08(火) 23:52:28.26 ID:Hk+BZSPx
>>284
原文のままだけど姉妹のことだろうね


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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    正則が、色々な所に義理を果たしまくっている逸話だけど、それ以上に秀頼の強硬ぶりに、家康も数少ない豊臣恩顧の諸大名も「もういい加減に現実見ろよ」という気分だったんだろうなあ。

    しかし、秀頼がここまで頑なになった原因は何なんだろうねえ。
    徳川の助力がなければ摂河泉三国の統治にも支障を来している節があるんだけど、そういう状況下なのに、冬の陣にしろ夏の陣にしろあそこまで挑発的行動取る辺り、よく言われる「秀頼は優秀だった」説にも疑問持つんだけどなあ。
    少なくとも大名家当主として、二条城会見以降の行動は、どう考えても自分の立場を理解していないとしか。

  2. 人間七七四年 | URL | -

    秀頼は(当然だが)幼少期からずっと『天下人』としての教育を受けて来て、そのプライドを持ったまま育って来たのだろうと思う。

    それが二条城会見では、事実上自分よりも家康の方が格上なのだという対応を取らなければならなかった。その事実が余程腹に据えかねたのではないだろうか。それこそ太閤が生きていた時から「あなたが太閤殿下の後を継ぎ、あまねく天下を統治あそばされるのです」と教育され続けていたような男が、太閤の家臣に過ぎなかった家康を上座に迎えねばならなかった事は、現代人が考える以上に屈辱的で、彼の自尊心を決定的に傷つける出来事だったのでは。人はそんな簡単に考えを変えられる生き物ではない。明治維新が成った後にも、現実を受け容れられず極めて大真面目に攘夷を唱え続けていた人はなお数多く存在した。それと同じ事のように思う。

    よく、俗にこの会見で家康が豊臣家滅亡を決意した、などと言われるが、実際には秀頼の方が「本来自分が持っていた正当な権利(天下人)を取り戻す」決意をしたのではないだろうか。秀頼は自尊心を殺して御家を守れる心性の持ち主ではなかったのだろう。逆説的に言えば、秀頼は政務に意欲的な性格だったからこそ豊臣家を滅ぼしたのだと思う。もし彼が通俗的に言われている『母親に頭が上がらないひ弱な男』だったなら、母や片桐の言うままに家康への臣従を受容していたと思うね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    秀頼がもう少し賢かったら家康が死ぬのを待つだろ

  4. 人間七七四年 | URL | -

    義父さま義父さま言っておいて死ぬの待ってればよいものを・・・。

  5. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    自分は秀頼のプライドというか、現実はわかった上で、それでも太閤の子として
    死に場所を求めての大坂の陣だったんじゃないかと思うんだよなぁ…
    そう言う意味では織田信忠の死に様に似ているんじゃないかと思う。
    もしかしたら土下座外交で豊臣家は守れるかもしれないけど、難癖つけられて
    滅ぼされるかもしれない。そうしたら秀頼自身は土下座した挙げ句に
    豊臣家を滅ぼした当主として名を遺すことになってしまう。
    それくらいなら、華々しく散ろうと思ってもおかしくないんじゃないかと思う。

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4 あれ、義父だと秀忠まで待つことになるんだが・・・
    千姫って家康の養女になってたけか

    まぁ加藤清正、浅野幸長や前田利長といった親豊臣の有力大名も死んじゃってるし、これ以上待ってると豊臣の影響力もどんどん減る一方で、ここが勝負時って判断したんじゃなかろうか


  7. 人間七七四年 | URL | XPh8VFiw

    親族が極端に少なくて一人っ子の悲劇でもあるかも。もし秀頼に兄弟がいて、彼に大名として臣従していたり、せめて姉妹がいて嫁いで舅がいる風景をみていたりしたら、少しは違ったんじゃないか。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    そういや家康も兄弟のいない
    数少ない大名の一人だったかな(タネちがいとかは一応いるにはいるが)  
    家族関係が微妙すぎる原因の一端かもしれん

  9. 人間七七四年 | URL | -

    武家の兄弟はバラバラで育てられる事も多いからなんとも

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    おおむね言いたいことは分かるけど、信忠じゃなくて信孝の方に近いと思う
    親の天下を他人に奪われそうになっているっていう状況の面で

  11. 人間七七四年 | URL | -

    三成が動かなきゃ、ただ家康の死を待てば良かっただけだとは思う。

  12. 人間七七四年 | URL | 6m5BDBwc

    関ヶ原敗戦のどさくさで領地をごっそり獲られた時点で終わり。豊臣直轄領が250万石以上あったら家康も手が出せなかった。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    関ケ原後でも豊臣家は直臣を併せて100万石ほどはあるし、大阪の経済力を含めて考えると200万石くらいの力はあったと思うけどね

  14. 人間七七四年 | URL | -

    ※1
    生まれてから「あんたは日本一番」と吹き込まれ、
    自分が2番目以下の世界が存在していなかったんだろう。
    プライドというより、それしか無かった。

  15. 名無しさん@ニュース2ch | URL | -

    二条城会見で上座を譲った件の背景ってのはなんかいい資料無いですかね?

  16. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    結局、秀次を消してしまったのが痛かったんじゃないの?
    秀頼が成人して関白を譲っていたとしたら、少なくとも関ヶ原のような失態は防げたかと

    まあ、そうするといまにいたる日本とは別の世界になっていたかもしれんが
    仮にキリスト教との共存を探って交易国家へと成っていたら、拠点確保のために東南アジアへの侵攻に踏み切るのかな?

  17. 人間七七四年 | URL | -

    死に場所を求めた割に落城後に助命嘆願なんてアクロバティックなことしてますけどね

  18. 人間七七四年 | URL | 6m5BDBwc

    当時畿内の250万石は実質関東の500万石に相当したんだっけ。東北だと1000万石?

  19. 人間七七四年 | URL | -

    ※16
    文禄の役が失敗に終わった時点で豊臣家は「天下人」として終わったからなあ。
    正直、秀次はあの失敗の詰め腹切らされた観はあるなあ。
    よくよく考えれば、豊臣家一門衆で次代のホープ視された宇喜多秀家は、文禄の役での統制失敗、小早川秀秋も碌に活躍できずに不興を買うなど、秀吉にしてみたら「一門衆ですらこのざまか・・・」と、絶望したろうし、そりゃあ准一門である家康を頼りにするわと。

    ※17
    強硬姿勢見せながら、遂に大阪城の奥に引っ込んでいたままというのも、あれ徹頭徹尾「家臣がやった」で終わらせる気だったんだろうなあ。
    責任感強くてけじめをつけることに厳しい秀忠がブチギレて、銃弾ブチ込んで「さっさと腹切れや」とアピールするのも頷ける。

  20. 人間七七四年 | URL | -

    ※19
    文禄役のころの秀家は21さい 慶長役の秀秋に至っては16とかそこらだぞ
    いくら秀吉に近い立場だから総大将格とはいえ、そこまで多くを求められるだろうか

  21. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    俺もそういう理解をついしたくなる。
    秀頼を美化しようとかじゃなくて、むしろネット上で理解不能なこと言ってる人を見た時に釣りだと思う真理に近い。
    この一連の秀頼の言動だけはどうも理解できない。

  22. 人間七七四年 | URL | -

    ※19
    冬の陣の和睦ですら反対してた秀頼が、今さら全て部下のせいでした、なんて言うかねぇ?
    助命嘆願は、そりゃ大野治長の最後のご奉公だもの、無駄だと思ってても聞きいれてやらないといかんでしょ、天下人としては。
    第一、死を避けるんなら伝説にあるように、城から落ちのびる事を先に考えそうなもんだけどね。

  23. 人間七七四年 | URL | -

    当時の秀頼は、天下人というだけでなく「豊国大明神の子」。

  24. 人間七七四年 | URL | -

    ※20
    年齢的にはかなり厳しい(経験不足)のですが、秀吉としては既に老境で、おまけに秀頼が幼児であったことを考えると、頼りになる一門衆(それこそ秀吉にとっての秀長)が喉から手が出る程必要だったでしょうし。
    宇喜多にしろ小早川にしろ、秀頼の後を襲う可能性がない以上、秀吉としては補佐役として最適の一門衆なのですが、それが適わない以上、家康一択しかないんですよねえ。

    ※22
    秀頼自身は言わずとも、淀や家臣団は何とかそうしたいと思ったかと。
    何というか、軍事も政治も、何一つまともに出来ないのに、武士としての名誉意識、戦闘意欲ばかり高いんですよねえ。秀頼の行動を見ると。
    ここのコメ欄で「豊国大明神の子」という意識の強さを指摘していますけど、それを果たすための帝王学を怠っているとしか言えない訳で、ここら辺は淀殿や片桐且元が、理念と現実のすり合わせをすることを先送りしまくった結果としか言えないんですよねえ。

  25. 名無しさん@ニュース2ch | URL | -

    個人的に秀頼が不運だったのは、成人する前から周りが老獪の士ばかりだったのと、
    過保護とも言ってよい母。それと同年代の友人と呼べる相手が居なかった事だと思う。

    秀吉政権と言えば全国の生き残りが結集した存在だから、秀頼が豊臣家の大切な存在でも
    政治の実務としては必要な人材ではないし、何か自発的にしようと思える環境作りをしな
    い子育てだったと感じる。

    そして、他の戦国武将や大名達は大抵苦楽を共にした友人的ポジションの人が居るけど、
    秀頼はどう見てもその類の友人が居ないor作れない環境でもあったと感じる。
    家臣達もオッサン連中ばかりだし、小姓衆もそう言う相手じゃないしね。

  26. 人間七七四年 | URL | -

    幼い頃から強硬派と言うわけでもなかっただろうに
    天下人の跡継ぎとして育てられた結果、そういう思想に染まった可能性もあるかな
    秀吉死後はまだ豊臣の天下が続くと思われてたし
    側近たちもそのつもりで育てただろう
    成長過程で時勢が刻々と変化し続け、徳川の世になっていったのが理解できなかった
    もしくは、天下人として育てられた故に受け入れることが出来なかったんだろう
    10万人の牢人を17年も養い続けても金銀は尽きることはなかったの見ても
    それだけ財力あれば豊臣家の威光は健在だと錯覚してしまうのも仕方がない
    最期の最期で出陣せず、千姫使って助命嘆願させ、蔵に逃げ込んだのは情けないが
    母が止めたといっても、散々恭順派の母を跳ね除けてきたんだから
    最期も跳ね除けて出陣すれば少しは武威を見せたと言えるけど…

  27. 人間七七四年 | URL | -

    牢人衆そんなに長いこと抱えてねぇだろwww

  28. 人間七七四年 | URL | -

    17年も給料払ってりゃそれは牢人衆ではなく普通に新規雇用された家臣団になってるのでは

  29. 人間七七四年 | URL | -

    ※26
    もう少し調べてからコメントしましょう。流石に個人の感想と少なくても分かっている範囲の
    歴史にそんな記述はありませんよ?

  30. 人間七七四年 | URL | 3aXRcdxk

    まあ正則がこれの通りやってたんなら、改易のときのあそこまで(徳川に)尽くしたのにって
    恨み言を言ったのも多少は理解出来る
    まあ改易時代は市松が悪いんですけどね

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