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島左近の”声”・いい話

2009年01月12日 00:02

島左近   
59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 09:53:53 ID:gMPl6wOI
有名な挿話なのだけどまとめスレに無かったので、島左近のお話を

関ヶ原の合戦(1600年・慶長五年)も元和偃武(1615年・元和元年)も遠い昔となってしまった
天下泰平の江戸時代の事、筑前黒田家で"関ヶ原の合戦"について話をしよう、となった時の事。
関ヶ原の戦いと言えば大谷刑部吉継の奮戦や井伊直政・福島正則の先陣争いと話題に事欠かなかったが、
皆が首を傾げるような事が、起きた。

誰も島左近の『姿』を覚えて居ないという。
そんな事は筑前黒田家に於いては考えられない。島左近の軍勢と真っ向切って戦ったのは
他のどの家でもない黒田家なのだから。だが、誰に聞いても島左近の姿が判らない。

逆に皆が鮮明に覚えて居たのは、島左近隊が上げる地獄の底から響くような『鬨の声』だった。

黒田家老臣壱>>…今思い出してみても、"あの声"には身の毛がよだって汗が出る…。(;・(,,ェ)・)
黒田家家臣弐>>あの時は、みな大方の者が魂魄を見失う様な恐怖だった、武辺で鳴らした黒田家でも恥ではあるまい…。
黒田家家臣参>>儂なぞ、夢にまで見たぞ。…何度あの"声"を聞いて飛び起きたものか…。(汗

『えい、えい!!(良いか、良いか野郎共!!(意訳)』『掛かれえェェエェ!!!』『死ねええぇえ――(#゚Д゚)――ッ!!!』と
怒鳴り散らしていた鬼神の様な左近の"声"だけは覚えているが、島左近の外装については誰も覚えて居ない。
『鬼神すら欺くであろう』と誰かが評した、そのあまりの恐ろしさに直視出来てなかったのだ。

そこで、当時石田家の家臣であった者(出典によっては島津家の関係者)に聞いたところ、こんな返答が得られた

石田家旧臣>>兜の立物は三尺余り(1㍍弱)の天衝を付けた朱塗り、具足は桶革胴の漆塗り。浅黄木綿の陣羽織を着ていた。

要するに、真っ赤な鎧と鍬形蟲の様な角、その上から薄黄色の陣羽織を着て居たと言うのだ。相当派手である。
だが、誰も覚えて居なかった。

"鬼"と綽名されるのは伊達じゃない。死後数十年を経ても武勇で鳴らした黒田家を恐れさせた島左近の奮闘、(かっこ)いい話。




60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 10:15:21 ID:LrA2yTxp
さすが、さこにゃん
まさに鬼

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 17:19:26 ID:/gELtD7W
島左近というと、杭瀬川の一戦で中村、有馬を川の中に引っ張り込んで軽く一蹴した
話が有名だよね。

家康が、川の中に誘い込もうとする島側の動きを眺め、すぐに察知していた
ところはさすが。
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コメント

  1. ぱぴー | URL | bYNA0qDs

    浅黄色は、薄黄色じゃなくて
    淡い水色ですねー

    切腹の時に着る裃の色です
    つまり死に装束
    SAKONさんパネェっす!

  2. 左近のゆくえ | URL | yqw0daAI

    関ヶ原で左近の首が見つからず、生存説が囁かれた話は有名だが、みんな左近の姿を恐怖で覚えていなかったから、首も分からなかったんじゃ?

  3. まーびー | URL | f01HtxLQ

    >1
    浅黄色は、薄黄色です。
    浅葱色が淡い藍色で、死装束の裃の色ですねー

  4. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原でPTSDになった人どれだけいるんだろう

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