むくいのつみやめぐいくるらん

2015年09月12日 15:20

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/11(金) 18:45:59.04 ID:G6QpP7XT
まず、阿波国に屋形があった。細川三周(讃州?)公(細川持隆)といい、彼を三好實休が
生害させ、実休が阿波の惣主となった。屋形には子が一人もなく、實休は屋形の御台を自分の妻とし(小少将)、
この腹に若君一人産まれた。後に長治と称する。この母が三周公の御台であったので、實休は長治を
屋形と号し籠め置いた。
實休は威勢おびただしく成り、天下に上り威を振るった。また實休には本腹の男子が多数あった。

年を経て、和泉の久米田を實休は本陣として、明日は一戦すべきという夜、實休が寝ていた
枕元に彼が殺した細川持隆が立ち、歌を詠んだ

『草からす 霜またけふの日に消て むくいのつみやめぐいくるらん』

實休は夢から醒め、あたりにいた人々に「明ければ討ち死に疑いない」と言い、案のごとく
敵に囲まれて實休は自害した(久米田の戦い)

三周公生害の日が三月二十一日、實休も三月二十一日に果てたのだという。

(十河物語)




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    細川真之は存在しないのか、とか實休の
    本妻腹の男の子たちが存在したらどこに消えちゃったのか、と突っ込みどころが多いが
    wiki見るかぎり、十河存保は実は小少将の腹ではないっぽいな

  2. 人間七七四年 | URL | -

    この記事を読んで、信孝の辞世「昔より主を討つ身の野間なれば 報いを待てや羽柴筑前」を連想した。

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