これは黒田長政一人の謀を以って

2015年09月26日 17:29

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/25(金) 21:22:32.02 ID:96dtYwcU
おおよそ関ヶ原の軍は、天下分け目の大合戦にて、徳川家の存亡、天下の安危、ただこの一挙にあった。

東方は良将兵を掌り、属する所の猛将多しといえども少勢であった。
西方は総大将無くして、治部少輔が兵権を司るといえども大勢にて、その上太閤の薨去近ければ、秀頼のために
忠を成さんと思う者も多く、殊に、もろこしまで武名を顕した島津、小西、その他猛将また多し。
その上筑前中納言(小早川秀秋)は大軍にて、その家臣たちは皆、小早川隆景が平生教練した屈強の
兵達であった。

この小早川秀秋がいまだ裏切り無いうちに、戦いは既に半ばに及ばんとした時、
敵の旗色良く、勇み進んでいた。この時、もし秀秋が裏切らず松尾山より素早く下りて、敵とともに
味方を防げば、おそらくは勝負がどうなったかわからない。また、もし敵がこの一戦に負けたとしても、
秀秋の裏切りがなければあれほどの惨敗はせず、敵の諸大将暫く弾き退いて、宇治、瀬田の橋を引いて
防ぎ戦えば、敵は大軍であったから、寿永、承久で東兵が利を得たようにはならず、勝敗もまた
心もとない。

また、南宮山の敵、吉川らが内応無く、素早く攻撃にでて、関ヶ原で横合いにかかってくれば、
両方の敵を防ぐことは難しかったであろう。

であれば、筑前中納言、並びに毛利家の返り忠は、内府公天下万世を保たれた枢機であり、
これは黒田長政一人の謀を以って、敵の大群を味方に引き入れ、返り忠をさせて、斯くの如く
莫大の忠功を立てられたのだ。

また、長政が竹中丹波守と言い合わせ、間道を経て敵陣の横合いに出、奇兵を以って
島左近の堅陣を破り直に石田の本陣に攻め入られた故に、一戦に東兵勝利を得た。
これらは真に希代の勤労と言うべきである。

司馬相如が『世必有非常之人而後有非常之功』(世には必ず非常の人があり、後に非常の功有り)と
言ったのは、まさに黒田長政のような人を語ったのだ!

(黒田家譜)

「徳川の天下は全部黒田長政のおかげだったんだよ!」という黒田家譜の熱い主張である。



743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/26(土) 00:16:51.90 ID:QGYiI3d0
長政もあの世で苦笑い

744 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/26(土) 00:39:15.74 ID:KAo1MPtx
毛利吉川小早川のサボり&寝返りでテル涙目

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/26(土) 09:44:28.11 ID:NvEji9+i
黒田家譜はブレないな

746 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/26(土) 10:05:10.60 ID:T9zYNIIf
九州でお怒りになられてる方がおります

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/26(土) 20:35:32.56 ID:eZHYdQhF
さっすが長政さんだぜ
孝高超えたな

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/26(土) 21:02:24.34 ID:pGj6ICXj
あたぼーよ52万石(笑)だぜ
だてに逃散させてねーぞ

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/27(日) 09:25:39.55 ID:yZR+BSu7
他の関ヶ原参戦諸侯の検地打出しで石高2~3割増程度だったのに
黒田は7割増だもん、そりゃ色々と問題も出ますわな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    あの世でクッション(座布団?)に顔を埋めてジタバタしてるNGMSを想像したらちょっと笑ったが
    遺言覚とかで本人が大体これと似たような事書いてるし…

  2. 人間七七四年 | URL | -

    ※1殿
    そうそう、大関ヶ原展の福岡会場で遺言状が出ていましたが、
    同じようなことが書いてあって説明文に突っ込まれてましたね。

  3. 人間七七四年 | URL | -

    さりげなーく金吾ではなく
    隆景さまをむりやり褒めているあたり
    ホント家譜はブレないというか期待通りですな

  4. 人間七七四年 | URL | -

    まぁ関ケ原戦役で外様の中で黒田の果たした役割って福島さんに並ぶorそれ以上って感じで1,2争うんじゃないかって思うから誇張だとしてもあながち嘘ではないと思うけどな

    まぁ南宮山から東軍に向かって素早く降りるなんて無理なんですけどね

  5. 人間七七四年 | URL | -

    そもそも秀秋の代の小早川勢に毛利系がどれほど残ってたものやら

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ほめ殺しっぽくなってる気もするなぁ

  7. 人間七七四年 | URL | -

    秀秋期は隆景が隠居した時や越前に転封させられた時に、かなり毛利へと復帰してるね。
    あと慶長4年には輝元養女も離縁してるし、毛利との関係も希薄にはなってただろう。

  8. 人間七七四年 | URL | -

    「小早川秀秋が裏切らなかったら」を2回も書いてるのは「大事なことだから2回書きました。」ってことでしょうか。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    関ヶ原は黒田・竹中両兵衛Jr.が肩を並べて戦った、ある意味貴重な合戦だったりする。
    西の方角に目を向けるとゲヒ殿・有楽・金森法印らが「茶人軍団」を結成しているが、全然強く感じないのは何故なのか(笑)

  10. 人間七七四年 | URL | -

    茶釜湧かして敵陣に放り込んでたら少しは戦歴に残ったんじゃないか?

  11. 人間七七四年 | URL | -

    >ゲヒ殿・有楽・金森法印らが「茶人軍団」を結成しているが、全然強く感じないのは何故なのか(笑)

    長近「槍先で飛騨一国の大名になった儂を愚弄するか!」
    可重「おじいちゃん、血圧が」

  12. 人間七七四年 | URL | -

    ※11
    御年76才は頼むから自重してください

  13. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    前方にいる三斎様を加えれば無問題

  14.   | URL | -

    戦国無双4の関ヶ原で茶人三人がいっぺんに出てきてたが
    本当に固まってたのか

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ※12
    その後の金森先生
    隠居先で城下町を開く(上有知・現在の美濃市)
    側室に子を生ませる
    全然自重してませんw

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    確かに何故か茶人武将が固まってたよねwまぁ率いた兵数も関係あるけど。
    しかも結構奮戦してるし。

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