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拝郷次大夫の討ち死に

2015年10月09日 12:28

798 名前:人間七七四年[aaaa] 投稿日:2015/10/08(木) 21:22:35.29 ID:2LGsNHl9
前田筑前守利長の近臣に拝郷次大夫という者があった。拝郷の祖父は五左衛門宗直(家嘉)といって、柴田勝家の臣であり、賤ケ岳で討ち死にした。父は丹羽長秀に仕え、小松の城にいた。
次大夫は十六歳の時、加賀に行き、利長の寵臣となった。慶長五年八月、利長と長重が仇敵の仲になると、次大夫は「長重は旧主であり、父親も丹羽家にいる。父母の主君に弓を引くのは、武士の定めと言っても不義である」と思い利長に暇乞いに行った。
利長も感じ入り、この戦が終わったら必ず帰参するように申渡した上で暇を出し、次大夫は同僚に挨拶をし、小松に帰っていった。浅井縄手では次大夫が一番手として討って出て、松平久兵衛と槍を合わせたが、日頃入魂の間柄であったので、笑い通していた。[
続いて水越縫殿助と槍を合わせたがこれも同様であった。その後、岩田伝左衛門と槍を合わせたが、決着をつけようと組打の最中、伝左衛門に討ち取られてしまった。
利長は首実検で、次大夫の首を見、無慚に思い涙した。松平・水越らも次大夫を思い、立派な忠孝者であったと称した。

『元禎筆記』



799 名前:人間七七四年[no] 投稿日:2015/10/09(金) 17:14:18.64 ID:SbIuOL0o
次大夫「俺、この戦が終わったら前田家へ帰参するんだ」
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    槍をあわせながら笑いあうのが、花の慶次で再生された

  2. 人間七七四年 | URL | -

    伝左衛門さんは友達じゃなかったのか

  3. 人間七七四年 | URL | -

    子連れ狼の拝一刀は拝郷家の末孫設定

  4. 人間七七四年 | URL | TQl5Jic2

    ※1
    久兵衛「まさか次太夫殿と槍を合わせられる日が来るとはのう!」
    次太夫「わしもじゃ、こんな日が来るとは思わなんだわ」
    久兵衛「ふふふ」次太夫「はははは」
    解説:戦場では先日友であった者と合いまみえることもあった。しかし戦場であろうと友同士である、しばしこのように戯れるようなこともあった
    縫殿助「わしも次太夫殿と槍を合わせてみとうなったわ、次はそれがしが参ろう!」
    次太夫「ふふふ」縫殿助「はははは」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    >4

    ありそうw

  6. 人間七七四年 | URL | -

    岩田さんがKYな奴と思われてそうで心配

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