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八王子城落城始末

2015年10月21日 13:23

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/20(火) 12:30:17.25 ID:YdwXRHRU
八王子城落城始末

八王子城の城主北条氏照は小田原城にあり、家臣がその留守を預かっていた。
そこに前田・上杉が攻め寄せ、先に降伏した北条氏邦を使者にし「小田原城は既に落ちた。早く開城せよ」と言いつけたが、
「主の氏照が降伏したのであればその書状を以て開城に応じよう。だが主の命なくして降伏するのは、武士の恥だ。氏邦如き臆病者は一人も城内にはおらん!」
と家臣らは突っぱねた。利家や景勝はその義に感じ入ったが、鞘を納めるわけにもいかず、一万五千の兵で城を包囲した。
城将の狩野一庵・近藤出羽助実・金子三郎右衛門家重らは死兵となって討って出て、討死を遂げた。氏照の第一の重臣横地監物も、城に火の手が上がるのを見、今日を最期と散々に戦い、寄せ手側は多くの犠牲を払うこととなった。

同じく城将の中山勘解由家範は猛将として知られ、特に八条修理満朝の馬術を会得し、関東無双と称されたほどの人物であった。
大敵に怯むことなく、200人を引き連れ駆け込み、ここが死に際と切って回ったが、寄せ手も次々に新手を入れ替えて攻め寄せたので、供回りが15,6人にまで討ち減らされてしまった。
この奮戦を見た利家は「誰か中山の縁者はおるか」と問い、「松山城の降人根岸定直が妻は中山の妻と姉妹であり、小岩井雅樂助は中山の馬術の弟弟子であります」と返事を聞き、中山を味方に引き込むようにと両人を城中へと送ったが、既に中山とその妻は自害してしまっていた。
まだ息が残っていたため両人は中山と言葉を交わして帰っていき、その旨を報告すると利家は非常に惜しんだ。
なお横地監物は死地を切り抜け落ち延びていった

北条の城は多しと雖も豆州韮山の城以外は大半が降伏を選ぶ中、その城兵が城を枕に討死したことを東照宮も聞き、中山の嫡子助六郎昭守・次男佐介信吉に禄を与えた。
昭守の子信守は大阪の陣で功をたて、信吉は後に水戸家に仕えて備前守と称した。狩野一庵の子主膳も徳川家に仕えたそうな。

『常山紀談』
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    兄貴の家臣にぼろ糞言われた氏邦さんカワイソス

  2. 人間七七四年 | URL | -

    まあ主戦論引っ張ったA級戦犯のくせして速攻降伏したヘタれやからしゃーない

  3. 人間七七四年 | URL | -

    >信吉は後に水戸家に仕えて備前守と称した

    水戸黄門でお馴染み、あの中山備前か

  4. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    辻斬りさんは時代的にその手の人たちと繋がりあるからなあ
    鮭さまの子供とか
    孫市の系統も水戸にいるんだっけか

  5. 人間七七四年 | URL | -

    氏邦は後詰の無い籠城には反対してたんだから、降伏を貶されるいわれはないな

  6. 人間七七四年 | URL | -

    各支城の主将集めて小田原にこもって支城はのぼうの城以外全滅 小田原もまともに戦えず降伏
    こんな戦術しかなかったのかなー

  7. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    秀吉を侮りすぎてたか、政宗や家康に期待していたか

  8. 人間七七四年 | URL | -

    複数の方面から侵攻してくる大軍を他にどないせいっちゅーねんって俺なら思うけど

    猪俣さんの件は北条方も秀吉がそこまで強硬に打って出ると思わなかったって話があったなぁ

  9. 人間七七四年 | URL | -

    北条の顛末は関東以北への見せしめと考えれば、
    さほど不思議ではないと思うがどうだろう?
    何度も遠征してくるの面倒くさいし。

  10. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    佐竹の求めに応じたわりには政宗に甘かったね

  11. 人間七七四年 | URL | -

    ※9
    >何度も遠征してくるの面倒くさいし。
    つ酔っ払いの軍神さまをどうぞ

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