武将感状記が伝える巌流島の決闘

2015年10月26日 18:50

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/26(月) 02:11:33.31 ID:v7c2s4a3
宮本武蔵は二刀を好んだ。細川忠利に仕え、京都から豊前の小倉へ赴く時のこと。
巌流という剣術者が、下関で待って武蔵に試合をしようと言い遣わしてきた。

武蔵は「心得た」と言って、棹郎に櫂を請い、それを2つに割って手元を削り、
長いものを2尺5寸、短いものを1尺8寸にして、舟から上がって巌流と闘った。

巌流の刀は3尺余りであった。下関の者たちは、残らず囲んでこれを見物した。
武蔵が二刀を組んで巌流にかかると、巌流は拝み打ちに斬りかかったが、
武蔵はこれを受け外して巌流の頭を打とうとした。

しかし、巌流は身を振ったので左肩に当たった。巌流はその勢いのまま踏み込んで
横に払った。武蔵は足を縮めて飛び上がり、彼の皮袴の裾が3寸ほど切れて落ちた。
武蔵は全力を出して巌流を打ち、彼の頭は微塵に砕けて即座に死んだ。

巌流は墓が築かれて、今もその跡がある。

――『武将感状記』

武将感状記が伝える巌流島の決闘という話。




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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    二櫂流

  2. 鎌倉幕府 | URL | -

    戦国時代は大太刀を持ってる人間が沢山いたから別に物干竿クラスの長太刀が珍しいわけでは無かったんだよね?当時は。
    つまり実際に小次郎が実在していたら最低でも武蔵と同じぐらいの歳だろう。

    ・・・そういえば、以前大太刀・長巻は刀とほぼ、同じ感覚で使えるから刀の鍛錬の応用で使えるって聞いたけど・・・どのぐらいなの時間がいるんだろうか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    古流剣術で、相手が木刀とか鈍器のときは、肩(三角筋)でとめるという方法がある。
    ここだと骨折しない。

  4. 人間七七四年 | URL | -

    >巌流はその勢いのまま踏み込んで横に払った。武蔵は足を縮めて飛び上がり、彼の皮袴の裾が3寸ほど切れて落ちた。

    これがかの有名な燕返しかな?

  5. 人間七七四年 | URL | aNn4.8kc

    シャッ秘技つばめ返し!
    上に飛んで避ける武蔵、
    次のコマでボコる
    つっぷして倒れる小次郎
    ドラえもんの該当シーンが、文献ママなので、そのまま再生された
    (剣豪チャンバラにかぶれたジャイアンが迷惑というお話)

  6. 人間七七四年 | URL | -

    >5
    ひょっとして、武将感状記のこの記述が漫画の参考に使われたのでは。

    しかし数多くの見物客が居た中で行われたというのが本当なら一般的な巌流島決闘のイメージとはずいぶん違うな。

  7. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    切腹すると高札立てたら黒山の人だかりができる世の中だし

  8. 人間七七四年 | URL | -

    武蔵が退却した時は、小次郎は生きてて、トドメをさしたのは武蔵でなく、武蔵の弟子か、細川家の家臣達がトドメをさしたのが有力というのを、昔、何かの本で読んだことがある。
    小次郎の年齢も20代や70代と様々。
    私的には20代がいい。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    史実では小次郎(に相当する人物)が老練の剣士であってもいいとは思うけど、
    やっぱり物語的には武蔵と同年代の紅顔の若武者であって欲しいよね

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