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「もし大将をお許しになるのなら、私はここに留まります!」

2015年10月28日 08:34

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 20:50:43.24 ID:DVPqIe60
会津征伐の途上にて石田三成の挙兵を知った徳川家康は、小山にて諸将と軍評定を行い、
その後息子である結城秀康を呼んだ。

秀康が家康の陣所に参ると、本多正信が迎え出て
「少将様(秀康)、天下の安否は今日に決します。よく心してお答えなさいますよう。」
そう申し上げると跡に従って家康の御前へと出た。

家康は東西の軍事状況を秀康に説明し、
「秀康、お前が私のためにここに留まって関東を鎮めるならば、私は上方に向かって戦おうと思う。
これをどう考えるか?」

秀康はみるみる機嫌を悪くし
「この秀康、どうして御後に残りましょうか!?ただどこまでも、先陣をのみ望んでいます!」

しかし家康
「上方の軍勢は、みな国々からの集まりに過ぎず、それが何十万騎となろうと何ほどのことがあろうか?
しかし上杉家は累代関東の大将であり、中でも故輝虎入道(謙信)の時に至って、弓矢を取って
天下に肩を並べるものは少なかった。その子として景勝は、幼少の頃より合戦の中で成長し、
歳も既に老け、現在彼に対してたやすく合戦の出来るものは多くない。
天晴、お主のためには良き敵ではないか。

海道に向かって打ち込みの戦をするより、お主一人ここに留まって合戦をすることは、
且つは弓矢取っての面目、且つはこれに過ぎたることはない、何よりもの孝行である。」

そう語ると、秀康は少しの無言の後
「…合戦は、必ずしも軍勢の多少には寄らぬと承っています。上方の大将にも、名を得たもの
少なく有りません。軍勢の規模もきっと多いでしょう。

秀康は未だ合戦に慣れていませんが、景勝一人の軍勢と戦うのに、何ほどのことがありましょうか?
もし大将をお許しになるのなら、私はここに留まります!」

本多正信はこれを聞くや感極まった
「よくぞ仰せに成りました!関東を鎮められるというのなら、その大将に参らせられること、
仰せにも及びません!」

家康も世にも嬉しげに、しきりに涙を流し、自ら鎧一領を取り出して
「この鎧は私が若い頃より身につけ、ついに一度の不覚も覚えなかったものだ。
この、父の嘉例に准じて、今回奥方の大将として良き戦をし、天下に名をあげるのだ!」
そう言ってこれを与えた。秀康も心地よさげに御前を下がり、下野国宇都宮に陣を取り、
関ヶ原の役の間、関東を鎮めた。

上方で西軍が敗れた後、景勝も降参を乞うて伏見へと参った。
秀康にはこの勲賞として越前国が与えられ、明けて慶長6年5月、福井城へと移った。
(藩翰譜)




893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 21:24:59.96 ID:3XFxN570
>家康も世にも嬉しげに、しきりに涙を流し

利用する為には、子供に対してもこんな小芝居しなきゃならんのか

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/27(火) 23:14:33.66 ID:74kpQ63m
秀吉もそうだがこういう時にちゃんと泣けるのが天下人なんだろうよ

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/28(水) 07:39:19.25 ID:jibHBUEb
演義の劉備は泣いて皇帝になった、と言われるが
実際役立つんだな
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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    家康「鎧にちょっとミソついてるけどね」
    秀康「…」
    正信「…」

  2. 人間七七四年 | URL | ZPZR469g

    ※1
    思い切り不覚を覚えてるじゃねぇか!w

  3. 人間七七四年 | URL | -

    案外簡単に折れた印象の秀康

  4. 人間七七四年 | URL | -

    信長は家臣や息子の前では涙流したっけ?

    ( ●Д゜)「俺が天下を取り逃したのは、泣かなかったからか。」

  5. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    本当かどうかはわからないが平手政秀諫死の時は大泣きしてたらしい

  6. 人間七七四年 | URL | -

    ※4だった
    あとは森可成とか兄弟が死んだ時にひどく悲しんだとか

  7. 人間七七四年 | URL | -

    確かに寄せ集めの西軍よりか、上杉単独の方が手ごわい・・・ か?
    (実際、徳川本隊がいなくても西軍には勝ててるけど)

  8. 人間七七四年 | URL | -

    >奥方の大将
    一瞬、小松殿を連想した。そういう意味ではないと分かってるのに・・・。

  9. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    奥方の大将というか奥方が大将というか

  10. 人間七七四年 | URL | -

    ※4です。ありがとうございました。
    なるほど、家臣や兄弟の死の時は泣くという人間らしい一面があったんですね。
    でも、家康や秀吉みたいに人の言葉を聞いて感動して泣くというのはないみたいですね。

    戦国武将の中で「泣き上戸」は、福島正則さんや加藤清正さんだと思いますが、他にいますか。

  11. 人間七七四年 | URL | -

    秀康「父上は、若い頃は戦で不覚はないとおっしゃいましたが、あの「しかめ面」の絵は、なんですか。」
    家康「・・・」

    秀康って生まれた時、家康から「魚の顔に似てる」って言われ嫌われてましたよね。

  12. 人間七七四年 | URL | -

    内心どう思っていようと泣くべき場面で泣き、笑うべき場面で笑い、怒るべき場面で怒ることができる才能は政治家なら必須じゃないかなぁ。そこで素直に自分の内心そのままを顔に出しちゃうタイプは、天下人以前に政治家に向いてないと思う。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    馬上天下をとる初代と、その他政治家では求められる必要能力が違うんじゃないかな

  14. 人間七七四年 | URL | /wCHgXfw

    この場合、権現様も、半分は建前・半分は本気、で嬉し泣きしたのかな

    こういう時、単に打算のみで泣く大将だったら、それこそ三成公みたいに、
    命かけてついて来てくれる人が少なくなりそうな気がする


    …三成公は、太閤殿下に仕える以上のことは望まず、大将になるつもりは無かったんだろうけど
    自分に不向きでも、挑まずにはいられなかったんだろうな…
    仕える者故の、不器用な忠義だぜ

  15. 人間七七四年 | URL | -

    ど心配性の家康だから、養子だったことさえ怖がってそうだもんな

  16. 人間七七四年 | URL | -

    >家康も世にも嬉しげに、しきりに涙を流し

    涙の数だけ天下人になれるよ~♪

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