もし私が一城の主となれば

2015年11月07日 06:42

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/06(金) 19:17:34.06 ID:wjP2zWPx
明智光秀が渡り奉公をしていた頃、三河牛久保の牧野右近大夫に使えていた事があった。
知行は百石ばかりであった。

この時、光秀は朋輩の中野某に言った
「侍の行く末は互いに解らぬものだ。もし私が一城の主となれば、被官も必要となるだろう。
貴殿は頼もしい人だから、その時は私の方に呼んで城代としよう。逆に貴殿が立身すれば、
わたしが被官となろう。」
そのように約束した。

光秀が後に、丹波を拝領した時、中野を呼んで亀山の城代とした。

(武功雑記)




955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 00:04:32.70 ID:ZGJ4YiRY
>>952
北条の御由緒六家みたいな話だな

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    光秀「こんど むほん します あなたも きますか」
    中野某「!」

  2. 人間七七四年 | URL | -

    光秀さん、何回転職したんだろうか?

  3. 人間七七四年 | URL | -

    似たような話を読んだ記憶があるな
    単に既出なのか同じテンプレの別人の逸話かはわからないけど

  4. 人間七七四年 | URL | -

    確か、大友の丹生島城の縄張りは明智光秀なんだったよね?

  5. 人間七七四年 | URL | -

    中国の古典に似たような話があったような…

  6. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    ※4
    あくまでそういう伝承もあるってだけでしょ。

    全国を歩いていたという話もあれば、丹生島築城の頃には朝倉に世話になっていたって話もあるし。

  7. 4 | URL | -

    ※6
    俺も眉唾ものだと思いながらもそう言われていたからそうなのかと思っていたけど、よく考えたら浪人者に城の縄張りさせることの方が可怪しいよね。

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