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神子田半左衛門は豊後にて切腹した

2015年11月08日 06:45

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 21:38:52.73 ID:7xZwe7U+
豊臣秀吉創業の頃からの家臣であった神子田半左衛門(正治)は豊後にて切腹した。この時半左衛門は

「私がこのように成った上は、秀吉の心にかかることは最早あるまじ!」

そう言ったという。

神子田半左衛門は長久手の戦いの時、頸一つを取ってきた。
秀吉はこれを見て、敵の襲来を半左衛門が構わず匹夫の功を立てたことを怒った。
しかし半左衛門も反論し、ついに雑言に及んだ。これによって彼は牢人と成り、
後に豊後にて切腹したのだ。

秀吉は半左衛門の頸を一条の戻橋に晒し、そこに『天下の大臆病者なり』と札を立てたという。

(武功雑記)



600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 21:55:17.07 ID:dvXvBD1j
成金と同じでプライドと見栄の塊だよな

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/07(土) 23:03:20.38 ID:pLYiESxG
羽柴四天王ってなんか報われないな

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/08(日) 01:25:32.95 ID:wwFiG7we
九州征伐あたりからちらほらラスボスの片鱗が見えるよね
それを考えたらセンゴクは上手く泳ぎきったわさ

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/08(日) 09:26:29.07 ID:J9xDjA1o
二重堀砦の撤退戦だよな
金ケ崎撤退戦の英雄としては譲れないところだったのでは

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/08(日) 11:51:14.26 ID:hS/xgfqa
単独で離脱したらしく臆病者扱い
これ本当なの?

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/09(月) 21:09:35.80 ID:+1n/NtSK
>>604
秀吉軍の撤退中に最前線の二重堀砦は織田信雄軍に攻められ
しかも神子田が勝手に退却したので大ピンチなところを
細川忠興が救援に駆けつけ大勝利
ってのを三斎様が書き残していたような

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コメント

  1. 人間七七四年 | URL | -

    センゴクは漫画みたいに秀吉に好かれてたのかなぁ

  2. 人間七七四年 | URL | -

    あの状況で切腹とかになってないあたり、温情はあったような

  3. 人間七七四年 | URL | -

    切腹ですらなくもはや処刑だった尾藤に比べれば、神子田はまだいくらかマシ…だったのか…?
    まぁ尾藤の場合、尾藤自身の身の振り方にも半分くらい落ち度があったからラスボスの怒りを買ったぽいけど…

  4. 人間七七四年 | URL | -

    隣に手柄立てた上でスライディング土下座してる奴(仙石)が居る状態で
    全部終わってからノコノコ出て来て泣き落としかかる奴(尾藤)を見たら…ねえ…

    でも何も命まで取ることは無いと思ってしまう

  5. 人間七七四年 | URL | -

    仙石に比べて神子田や尾藤はやることをやらずして赦免を求めているイメージ
    尾藤は可哀想だけど不思議と神子田は自業自得な気がする

  6. 人間七七四年 | URL | -

    両名共にここぞと言う時の失敗ですからね。初期の頃ならいざ知らず、
    この頃の秀吉なら優秀な家臣達なんて掃いて捨てるほど居るから、
    神子田や尾藤を切っても別段問題が無い存在だったのでは?

  7. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    それだけの器ではないといっても、譜代も持たず子飼いや親類の少ない秀吉にとって人材は貴重だと思う

    仙石の大敗を受けて慎重になりすぎていたかもしれない尾藤にはちと同情する

  8. 人間七七四年 | URL | -

    ※5
    そうは言うが大抵はそういう赦免の求め方なんだぜ。
    仙石のように軍功立ててってのが理想だけど、牢人になるとなかなかそうもいかんし。

  9. 人間七七四年 | URL | EybeWf1w

    犬千代の弟みたいに陣借りした戦でくたばったほうがまだましだったかもなあ

    それとも古参だから陣借りはプライドが許さなかったかな?

  10. 人間七七四年 | URL | -

    大臆病って書いてあるとおり神子田や尾藤のヘタレっぷりには癪にさわったんだろう

    仙石はその点ポジティブというか捨て身というか汚名返上したい気迫がすごかったな
    帰参を取り成した家康にも気に入られたし

  11. 人間七七四年 | URL | -

    鬼日向「数年のうちに帰参願いとかただの甘え。
    ちっとは自力でサバイバルしてみろや」

  12. 人間七七四年 | URL | -

    秀次連座の件を見ても、この件が特別な出来事って訳でもないでしょう。
    事実、この連座を免れている人物も居る以上、ラスボス化だけでは無いと思います。
    秀吉に取って必要ないと思われてしまえば、新旧関係が無い感覚。
    何にしても、時期も含めて運が無かったと思う。

  13. 人間七七四年 | URL | -

    「根来焼討太田責細記」に神子田半左ヱ門が出てくるんだけど根来征伐への参陣が事実だったら最後のチャンスだったりしたのかなと妄想が膨らみます

  14. 人間七七四年 | URL | -

    いさかいの経緯が諸説あるな~。さっき見たwikiだと
    無断かつ単身(部隊放置して)撤退の件を、首級あげたことで免じようとした(?)
    秀吉を神子田が「匹夫の勇を褒めるのか?」などと逆に面罵して怒りを買ったとなってて
    この流れだと驕慢で口さが無いところが災いしただけに思えた
    元は同じ織田家直臣で乞われて家臣になってやったんだと
    自ら恃むところも厚かったりしたのかなとも

  15. 人間七七四年 | URL | -

    11
    いや、「それ誰でもできるわけじゃないw」

  16. 人間七七四年 | URL | -

    ※8
    陣を貸してくれるくらいの関係になるのが難しいし
    肝心な戦にうまく絡むような陣にいるっていうのも巡り合わせなんだよね
    仙石はその点うまい

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