99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:36:39 ID:SFPqod9w
キリスト教と言えば、こんな話もあるね、
いち早くキリシタン大名になった者の一人、大村純忠が、キリスト教を学ばせるため、
ローマに千々石政左衛門と言う少年を留学させた。
やがて学問を究め、無事帰国した政左衛門は、キリシタンになっていない純忠の息子、善前に
密かにこういった
「耶蘇教は間違いなく邪教です。彼らの目的は日本にこの宗旨を広め、それによって
国を奪うことです。」
こんな事があったので、善前が大村家の家督を継ぐと、領内からすべてのバテレンを
追放したと言うことだ。
100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:53:46 ID:E3T3wDRs
鎖国して正解だったな
101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:57:02 ID:B4BnftS7
いつの時代でも見る目がある人間は本質を見抜けるわけだ
104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 21:37:18 ID:uKHbhrmT
イエズス会の戦略には、常に政治、軍事が絡み合って
布教してきたことはある意味事実である。
が、日本にやってきたイエズス会、ポルトガル人、イタリア人には、
ろくな経済的支柱がなかった。
フェリペ2世に何度も援助を要請したが、口約束
だけであったし布教に必要な費用は困窮していた。
日本が高度に武装化していて、とても生半可な派兵では
占領できないことがバリニアーノらの情報で知っていて
諦めていたし、イギリス、オランダ相手の戦争で余裕も無し。
大村純忠の許可で、長崎の港湾使用料をポルトガル、中国商人から
徴収できたが、関税はちゃっかりと純忠が自分のポケットに。
植民地の手先という誤解を生んだのは、準管区長コエリィオの
短慮、朝鮮侵攻を目論む秀吉への阿諛による大言壮語からである。
105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 22:35:00 ID:uKHbhrmT
99>
天正遣欧使節の千々石ミゲルが棄教した理由は、日本帰国後にマカオでの
キリスト宣教師養成特訓講座への派遣に、彼ひとり人選からもれた点が
大きい。
大村喜前は、千々石ミゲルが棄教した後も彼を嫌い家来を遣わした。
その家来に襲われ大けがをさせられ千々石ミゲルは、
命からがら故郷から逃げ出した後、消息不明、ときいたが。
鎖国の理由は複数だと思う。
家康は、天下を取ったのちもしばらくはスペイン、さらには
オランダ、イギリスとの交易を望んだ。
が、肥前の各領主らの行状もあったが、なによりも他の大名が
海外との交易で巨利を得れば幕府にとって脅威となると考え、
これを禁じ、幕府が交易を独占する方向を画するようになった。
キリスト教と言えば、こんな話もあるね、
いち早くキリシタン大名になった者の一人、大村純忠が、キリスト教を学ばせるため、
ローマに千々石政左衛門と言う少年を留学させた。
やがて学問を究め、無事帰国した政左衛門は、キリシタンになっていない純忠の息子、善前に
密かにこういった
「耶蘇教は間違いなく邪教です。彼らの目的は日本にこの宗旨を広め、それによって
国を奪うことです。」
こんな事があったので、善前が大村家の家督を継ぐと、領内からすべてのバテレンを
追放したと言うことだ。
100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:53:46 ID:E3T3wDRs
鎖国して正解だったな
101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:57:02 ID:B4BnftS7
いつの時代でも見る目がある人間は本質を見抜けるわけだ
104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 21:37:18 ID:uKHbhrmT
イエズス会の戦略には、常に政治、軍事が絡み合って
布教してきたことはある意味事実である。
が、日本にやってきたイエズス会、ポルトガル人、イタリア人には、
ろくな経済的支柱がなかった。
フェリペ2世に何度も援助を要請したが、口約束
だけであったし布教に必要な費用は困窮していた。
日本が高度に武装化していて、とても生半可な派兵では
占領できないことがバリニアーノらの情報で知っていて
諦めていたし、イギリス、オランダ相手の戦争で余裕も無し。
大村純忠の許可で、長崎の港湾使用料をポルトガル、中国商人から
徴収できたが、関税はちゃっかりと純忠が自分のポケットに。
植民地の手先という誤解を生んだのは、準管区長コエリィオの
短慮、朝鮮侵攻を目論む秀吉への阿諛による大言壮語からである。
105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 22:35:00 ID:uKHbhrmT
99>
天正遣欧使節の千々石ミゲルが棄教した理由は、日本帰国後にマカオでの
キリスト宣教師養成特訓講座への派遣に、彼ひとり人選からもれた点が
大きい。
大村喜前は、千々石ミゲルが棄教した後も彼を嫌い家来を遣わした。
その家来に襲われ大けがをさせられ千々石ミゲルは、
命からがら故郷から逃げ出した後、消息不明、ときいたが。
鎖国の理由は複数だと思う。
家康は、天下を取ったのちもしばらくはスペイン、さらには
オランダ、イギリスとの交易を望んだ。
が、肥前の各領主らの行状もあったが、なによりも他の大名が
海外との交易で巨利を得れば幕府にとって脅威となると考え、
これを禁じ、幕府が交易を独占する方向を画するようになった。
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コメント
人間七七四年 | URL | g/ILcvkE
コメント104に対して
1.宣教師と南蛮商人の奴隷に対する扱いの酷さは、日本国内の人身売買の比ではなかった。
2.イエズス会は日本の寺社仏閣の破壊、神仏への信仰の断絶を大名に強く勧め、実行させていた。これに反対する修道士は僅かだった。
3.当時日本の商人はインドまで出かけて貿易を行っていた。この貿易路が西欧列強の進出で脅かされ、日本船の活動領域はどんどん狭められていた
4.この時代でもすでに西欧列強の東南アジア侵略と植民地化は確実に進行し、その情報は逐一日本に届けられていた
5.東南アジアの宗主国を自認する明国は、これらの事態に対してほとんど何もしなかった
6.侵略行動はどこの国でも長期間に渡り少しずつ進められていた。計画的なものもあるし、そうでない場合もあるが、征服された国は「気づいたら手遅れ」になっていた。
7.秀吉の大陸出兵は朝鮮征服が目的ではなかった。当初からはっきりと明国との対等外交だと宣言している。明国征服は、諸将を奮い立たせるための詭弁に過ぎなかった。
8.朝鮮の征服など問題にもしていなかったことは、占領中に日本の統治体制を持ち込むこともせず、明国との和睦でも日本・明双方とも李氏朝鮮を除け者にして交渉していたからも明らか。当然朝鮮半島の領土など一切要求しなかった。そもそも当時の朝鮮は独立国ではなかった
9.後に満州族の攻撃を受けた明では、日本に朝鮮半島を割譲して満州族に対抗させようという案を出した。二代将軍徳川秀忠は御前会議でこの議題を議論させた上で、明の申し出を拒絶している。当時の朝鮮は、日明両国にとってその程度の扱いだった。
( 2010年01月20日 19:07 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
米1
9に興味があるのですが出典は何でしょうか。
お教え下さい。
( 2010年01月20日 20:24 )
あ | URL | KD5XUSzs
日本はムリ目だったってだけで、奴ら宣教師が植民地化の出先だった事実は変わりないじゃんw
( 2012年01月17日 11:24 [Edit] )
あ | URL | KD5XUSzs
日本はムリ目だったってだけで、奴ら宣教師が植民地化の手先だった事実は変わりないじゃんw
( 2012年01月17日 11:25 [Edit] )
人間七七四年 | URL | -
※1
( 2012年02月11日 19:24 )
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